3-1-03

「それで、ここは――この仮想空間という意味じゃなくて、この町はいったいどこなんだ」

 俺とメサはショッピングモールを出て、広い幹線道路の脇の歩道を歩いていた。車道に車の姿はなく、数台が道端に乗り捨てられている。人の姿はないが、ときおり遠くの方で悲鳴のようなものが聴こえてくる。

「特定の町ではありません。兄がこちらの世界で得た情報をもとに構築した町だと思います」

 メサが電信柱を指さす。そこには住所の記載されたプレートが貼られている。でも、よく見ると住所の白い文字がかすれて読めなくなっている。

「固有名詞は巧妙に隠されているみたいです」

「それじゃあ、ここにいる人たちは? 彼らもカレヴァが作り出したのか」

「いいえ、違います」メサは首を振った。「ここにいる人たちは実際に存在している人たちです。なんらかの方法で兄がデータを収集した人たちの情報をもとに、この仮想空間上にその人格を走らせています」

「つまり、ある時点の個人の情報をもとにして作られた人間たちがこの世界に再構築されているわけか」

「私たちがいた世界よりも、少し先の時点で設定されているみたいです。そのときの彼らの状態がシミュレートされているようですね」

「つまりここは少し未来の世界なのか」

 メサがうなずく。

 俺たちは道を逸れ、住宅街に入っていった。

「とりあえず……どうする?」

「この仮想空間がどの程度の範囲をカバーできているか、正確にはわかりませんけど、住民全員を完全に設定することは無理だと思います」家並みを見渡しながらメサがいった。「情報が手薄なエリアを見つけて、人のいない家を借りちゃいましょう」

「わかった」

 当面はメサの指示に従うしかなさそうだ――と思っていたら、突然、曲がり角から人が現れた。中年の男性だった。

 俺は思わず足を止めてしまった。

 その俺の反応を見て、相手も足を止める。

 しまった。

 何気なく通り過ぎるべきだったのか。

 男は、近所にふらっと買い物に出かけた、そんな感じだ。

 相手はじっと俺の顔を見つめると、口を開いた。

「お前は誰だ」

 俺は答えに詰まった。男は続けた。

「お前は誰だ。何を考えている。どういう人間だ。俺をどうしようと思っているんだ。俺に何かするつもりなのか。それとも何もしないのか」

 思わず俺はメサを見た。

「とにかく、敵意はないことを伝えてください」メサはいった。

 俺はうなずいて、男にいった。

「危害を加えるつもりはない。何もしない」

「そうか。でもそれを証明することはできない。俺もお前に危害を加えないと証明することはできない。お前の言葉を信用する確証がない。俺は危害を加えられる前にそれを防ぐ。お前が誰かわからないからだ。お前が誰で、何を考えているのかわからないから、俺は危害を加えられる前に、お前を排除する」

 男は自分の言葉に満足げにうなずくと、おもむろに左右を見渡した。

 そして、近くの住宅の建設現場に落ちている金属製のパイプを拾うと、握り具合を確かめ、ガンガンとコンクリートのブロック塀を叩いてから、こちらに向かって歩き出した。

 メサが俺の前に立ちふさがった。

「右京さん、逃げてください」

 といわれて、はいそうですかというわけにはいかない。

 俺はメサの腕をつかんだ。

「だめだ。お前も一緒に――」

 メサは俺を振り返っていった。

「ちゃんと説明してませんでしたけど、私なら大丈夫なんです――」

 といっているあいだに、男はこちらに近づきながら、金属パイプを頭上に振り上げた。

 俺がメサの体を強引に引き寄せようとしたとき、ガウン! という銃声が響いた。

 俺たちはぎくっと動きを止めた。

 男が、後ろを振り返る。

 いつの間にか、男の背後十メートルくらいのところに、ライフル銃のようなものを構えて立っている、眼鏡をかけた男がいた。

 銃口はぴたりと男を狙っている。

「それを捨てて今すぐここから立ち去れ」眼鏡の男がいった。「俺はお前に危害を加える者だ。立ち去らなければ、こいつでお前を撃つ。想像力がなくても、撃たれたらどうなるかくらいわかるだろう」

 男はあっさりと金属パイプを路上に捨てた。ガララン、とパイプが転がる。そして、すんなりとその場から立ち去った。何事もなかったかのように、ふらりと散歩を再開させたという感じで。

「大丈夫か」

 眼鏡の男が、銃口を上に向けた状態でライフルを抱えて、こちらに歩いてきた。

「ありがとうございます。助かりました」

「いや」俺の言葉に、眼鏡の男は首を振った。「それよりも、君はどうやら、この現象の影響を受けていないようだが」

 まるでメサがこの場にいないかのような男の口ぶりが気になって、俺はメサを見た。

「彼らには私の姿は認識できていません」メサはいった。

「そうなのか」

「はい。でも、彼らに影響を与えることはできます」

「どうした」男が怪訝な顔で尋ねた。「なにか気になることでも?」

「とりあえず、彼の話に合わせてください」メサが俺に告げた。

「ああ。いえ、なんでも……」俺は慌てて答えた。「俺はこの――なんていうか、異常な事態の影響は受けていません」

「僕たち以外で、そういう人間には初めて会ったよ。それで。君はこれからどこへ?」

「ええと……実は行く当てがなくて。どこか安全な場所を探していたんです」

 男はうなずいた。「よかったら、僕たちのところに来るかい?」

 メサはうなずいた。「そうしましょう」

「はい」俺は男にいった。「お願いします」

 歩き出した男の後ろを俺たちはついていった。

「彼にメサの姿は見えてないのか」俺は小声で隣を歩くメサにいった。 

「というよりも、私の存在自体を認識できていません」メサは前を歩く男を見た。「こうやって右京さんが私と喋っていることも、彼は認識できていないんです。だから普通にしゃべっても大丈夫ですよ。彼の目の前で私と話していても、彼には別の状態に補正された形で右京さんの姿が見えているんです」

「でも、メサは彼らに影響を与えることはできるんだな」

「はい。といっても、たいしたことはできません。生身の人間ができることと同じです」

 俺はため息をついた。相手にメサの姿が見えないというアドバンテージしかない、ということか。

「あんまり無茶するなよ」

 メサは嬉しそうな顔でうなずいた。「わかりました」

「この人みたいに、まだリンクが切れていない人もいるのか」

 俺の疑問に、メサは答えた。

「そうみたいです。どういう理由かは、わかりませんけど。もしかしたら、個人差があるのかもしません。いずれはそうなるのかも。くれぐれも注意してください」

 俺はうなずいた。

 五分ほど歩くと、いつしか登りの坂道になった。やがて俺たちは、小高い丘の上に立っている建物の前に出た。

「着いたよ」男が俺を振り返った。

 かなり大きな建物で、高い壁に囲まれている。鉄製の門は開いていて、門の脇には、文字が消えかけたプレートがかかっていた。プレートの文字は、かろうじてこう読めた。

 ――市立図書館。

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