3-1-02

「ほんとうに、メサなの?」

 俺の質問に、目の前にいるメサと名乗る女性がうなずいた。

「はい」

「ほんとに?」

「はい」

「メサのお姉さんとかじゃなくて?」

 メサは――少なくとも本人はメサといっている目の前の美しい女性は――微笑みながら首を振った。

「お姉さんでも叔母さんでも従妹でもありません。正真正銘のメサですよ、右京さん」

「いったいどういう――」

 俺の言葉を遮って、再び俺の腕をつかむと、メサはいった。

「まずはここから離れましょう。右京さんが直接被害を受けることはないと思いますけど、百パーセント保証はできません。別の場所でゆっくりお話しします」

 周囲には動いている人はいなくなったが、たまに物が倒れる大きな音やガラスの割れる音が響いてきた。

「わかった」俺はうなずいた。


 俺と自称メサは商業施設――どうやら郊外型のショッピングモールのようだった――の中にある携帯電話ショップにいた。店の中には誰もおらず、近くの店にも人の気配はなかった。俺たちは店の外を見渡せるソファに並んで腰かけた。

「未だに信じられないんだけど」俺は自称メサにいった。

「実は私にも理由はよくわからないんですけど、どうやらこの世界での私は、大人の状態で固定化されてしまったみたいです」

 俺は前にアイノさんがいっていた向こうの世界のことを思い出した。

「それもメサの持っている可能性のひとつ、ということなんだな」

「はい」

 それにしても、メサがこんなに美人になるなんて。

 肩が露出して、胸の形が強調されている服を着た大人の姿のメサをじっと見ていられなくなって、俺は思わず視線をはずしてしまう。

「右京さん、顔が赤いですけど、どうしました?」

 そんな俺の顔を覗き込むように、メサがすり寄ってきた。

「い、いや。別に……」

「右京さんも意外とちょろいですねぇ」メサがにやにやと笑っている。「そんな顔してると、ほたるさんにまた張り倒されますよ」

「う、うるさいな」

 まいったな。でも、どうやら本当に彼女はメサのようだ。

「それで」俺はなんとか落ち着きを取り戻した。「ここは、カレヴァの作り出した世界なんだな」

 メサは少し表情を硬くした。「兄の作り出した反地平面上にある仮想空間です」

「さっきのは、いったい何なんだ。何が起こってる?」

「前にアイティがいったこと、覚えてますか」メサのグリーンの瞳が俺を見た。「向こうの世界とこちらの世界のこと、そして、ふたつの世界をつなぐ道のこと」

 俺はうなずいた。「メサたちの世界で発生する負の感情の捨て場所として、俺たちの世界が作られた。そして、想像力がふたつの世界を結び付けている。特に物語を想像する力、集合的無意識が大きく影響している」

「その通りです」メサは大きくうなずいた。「でも、それが全てではないんです」

 そしてメサは、語り始めた。

「右京さん。前に図書館で本を借りてくれましたよね」

「ああ。覚えてるよ」

「あのとき私、本に書かれたことが理解できないって、右京さんにいいましたよね。登場人物の気持ちが書かれていないから、彼らの気持ちがわからないって」

「うん」

「でも、今は違います。私は、彼らの気持ちが理解できるようになりました。彼らの気持ちを想像することができるんです。向こうの世界にいたときは、負の感情を理解することができなかったし、人の気持ちを想像することが苦手でした。こちらの世界に来て、右京さんたちと一緒にいることで、私は負の感情を理解できるようになったし、人の気持ちを想像することができるようになったんです。右京さん。人間の想像力って、どこにあると思いますか?」

 メサの質問に、俺はしばらく考えてから答えた。

「やっぱり、脳の中のどこかの部位なんじゃないのか」

「いいえ」メサはゆっくりと首を振った。「想像力は、人間に備わってはいません。より正確にいうと、それぞれの人間、ひとりひとりに想像力は宿っていないんです」

 疑問を口にしかけた俺にメサはいった。

「ちょっと来てください」

 立ち上がったメサについて、俺は店の奥に備え付けられているカウンタ―席に近づいた。

 メサは五つほどあるカウンターに備え付けられているコンピューターの端末を指さした。

「シンクライアントというシステムを、右京さんは知っていますか」

「聞いたことはある。確か、端末で作業をするのではなく、すべてサーバー上で処理するシステムのことだったような……」

 メサがうなずく。「シンクライアントシステムは、サーバーとクライアント端末で構成されていて、ハード的には従来通りのシステムですが、クライアント端末には最低限の機能しか備わっていません。ソフトやアプリケーションはすべてサーバー側、またはクラウド上に存在し、そちら側で処理されます。つまり、端末にはほとんど何の機能も持たされていないのです。でも、端末を操作する人は、あたかも端末上で処理を行っているように錯覚します。すでに、一定規模以上のオフィスに導入されているコンピューターシステムでは、シンクライアント方式が一般化しつつあります。セキュリティ面でも、コスト的にも、シンクライアントシステムは優れているからです。そして、人間の想像力の在り方も、このシンクライアントシステムとまったく同じなんです」

「つまり……」俺は思いついたままを口にした。「想像力はそれぞれの人間の中にあるのではなくて、どこか別の場所に――」

 そうか。

「集合的無意識か」

 メサがうなずいた。

「想像力そのものは、集合的無意識の中にあるのか。そして、人々は集合的無意識にアクセスすることで想像力を得ている。そういうことか」

「その通りです。問題は、集合的無意識のある場所です」

「向こうの世界なんだな」

「はい」

「じゃあ、もしも向こうの世界とのリンクが切れてしまったら、俺たちには想像力が一切働かなくなるということなのか」

「そうです。そしてその状態がここで起こっていることなんです」

 思わず俺は店の外を見た。先ほどのコーヒーショップの店内で起こった出来事が脳裏に蘇る。

「しかし、想像力がなくなったぐらいで、あそこまで人は変わってしまうものなのか。あれじゃあまるで野生の獣みたいだ」

「右京さん。右京さんが考えているよりも、想像力というものの存在はとても重要なんです。右京さんたち人間に、善意や良心、思いやりやモラルといったのものは存在しません。そういうものがあると思い込んでいるだけなんです。人間が負の感情――むき出しの悪意や欲望を制御しているのはあくまでも想像力です。己の欲望のみに従って行動したらどのような結果になるのか、それが想像できるから行動を制御しているにすぎないんです。ですから、想像力がなくなってしまったら、人は、本能の赴くまま、自らの欲望を満たすことを最優先に行動する存在になり果ててしまうんです」メサは申し訳なさそうに付け加えた。「受け入れがたいことかもしれませんけど……」

 確かにそれが事実なら、にわかには受け入れられないことだが……。

「それを考えるのはあとだ。とにかく今はここから出ることを考えないと。メサの力でなんとかならないのか」

「私ひとりだけならできないことはないです。でも、右京さんとふたりでここから出るのはおそらく不可能に近いと思います」

「そうか……」

 肩を落とす俺に、メサはいった。

「でも、きっとなにか方法があるはずです。あきらめずに、探しましょう」メサは俺の手を握った。「それまで、右京さんは、私が守ります」

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