2-2-02
ドルルルルルル。
単気筒のリズミカルなエンジン音を響かせて、闇の中を一台のバイクが駆け抜けていく。
深夜。インドネシアの首都、ジャカルタの中心地。
東南アジア最悪といわれている昼間の異常な渋滞も、二十二時をまわる頃にはさすがに鎮静化して、車の姿はまばらだ。
夕方のスコールの跡はもう残っていない乾いたアスファルトの上を、ヤマハSR400が走る。
行く先は、いつものコース。スディルマン通りからウォルター・モンギンシディ通りに入って、パサール・サンタへ。
パサール・サンタは、古ぼけた建物の中にある市場だ。一階は電気製品や食品、洋服などの小さな店舗が入っている、何の変哲もない地元の古いマーケットに見える。しかし、二階には若者向けのカフェや雑貨屋、セレクトショップ、本屋、レコードショップなど、サブカルチャー好きにはたまらないマニアックな空間が広がっている。
黒革のライダーススーツに身を包んだバイクの乗り手は、パサールサンタの駐車場でバイクを停めて、降り立った。
ヘルメットを脱ぎ、パサール・サンタに入っていく。一階の店舗はすでにシャッターが下りている。階段を上り、二階へ。リノリウムの床に寝ている猫たちをまたいで、小さな店が並ぶ狭い通路を進む。まだ開いている店舗がぽつぽつと見受けられる。やがて、とあるレコードショップの前で立ち止まった。
店の前の廊下に置かれたベンチでは店主のボブが煙草をくゆらせている。
「やあ。フィフィ」ボブがバイクの乗り手に手を上げる。
「ハイ、ボブ」
ボブは立ち上がって、店のドアを開けた。「ちょうどよかった。オススメが入ってきたところなんだ」
二人は店内に入った。三人くらい入るとぎゅうぎゅうになってしまいそうな狭い店内にぎっしりとレコードの詰まった棚がしつらえられていて、壁面にはレアなレコードジャケットが飾られている。
ボブは棚の中から一枚のレコードを抜き出して、フィフィに渡した。
ジャケットには、サムライの格好をした男がベースを持って不敵に笑っている写真が使われている。タイトルは『SAMURAI FUNK』とある。
「聴いてみる?」
ボブの言葉にフィフィがうなずく。ボブがターンテーブルにレコードを乗せ、針を落とすと、スピーカーからうねるようなベースが聴こえてくる。
軽快なリズムを刻むギターとハイハット、男性コーラスにホーンがかぶさる。
思わずフィフィは体を動かしていた。
「いいね、これ」
「だろ」
「インドネシアのバンド?」
「そう。いろんなバンドのコンピレーション」
「なんか、エンジンの振動みたいで気持ちいい」
なるほど、とボブはうなずき、スマートフォンを取り出した。
「新しいの、読んだよ」ボブは『R⇔W』インターナショナルの画面を表示させて、フィフィに見せた。
「面白かった。ワヤン・クリをベースにしているところもいいね」
「ありがと。でも、まだまだ日本の作家には及ばない」
「そうかな」
「うん。それに実際、本屋で売られている漫画やライトノベルはほとんどが日本のものばかりだし」
「でも、このあいだグランメディアに行ったら、インドネシアの漫画も売ってたよ。ほんのちょっとだったけど」
「確かに、漫画は少しずつ増えてるわね」
「小説だって、ファンタジーっぽいのはあるじゃないか」
「ああ。ああいうのとはちょっと違うのよ、ライトノベルは。もっと自由な感じがするの。何でもありっていうか。ああいう昔からあるファンタジー小説って若い子にとっては古臭く感じるみたい」
「キミだって十分若いと思うよ」
「二十五歳じゃ、ぜんぜん若くないわよ」フィフィは肩をすくめた。「とにかく、今若い子が一番関心があるのはイセカイストーリーよ。私もいちばん書きたいのがそれ。こちらの世界からイセカイへ行くっていうフォーマットを使うだけで、いろんなお話が書けるから」
「つまり、イセカイものって、無限の可能性を秘めてるってことか」
「そういっていいと思う」
「いろんな国で盛り上がってるみたいだし。そういえば、日本のイベント、もうすぐじゃなかったっけ」
「うん。来月」
「すごいよね、招待されるなんて」
「これがきっかけになって、もっと盛り上がってほしい。やっぱり寂しいよ、自分たちの国の作家の作品が本屋さんに並んでいないなんて。例えそれが漫画やライトノベルであったとしてもね」
「それはわかる気がする。インドネシアのインディーズバンドのレベルはものすごく高いんだけど、世界的に見たら話題の端にも上らない。それってやっぱり、悔しいよね」
そういって、ボブはレコードをA面からB面に変えた。
「でも、ボブはずっと前から、世界的に活動してるじゃない。その筋では有名なDJとして。ボブの方が、すごいなって思うよ」
「僕の場合は、趣味でやってたらなんとなくこうなっちゃったって感じだから。それに、プレイするのはインドネシアの曲だけじゃないし」
「でも、なるべくかけるようにしてるんでしょ」
「もちろん」
「次に日本に行くのはいつだっけ」
「十月に東京のクラブでイベントがあって、それに呼ばれてる」
「そっか。タイミングが合えば向こうで会えたのにね」
「これからは、そういう機会も増えるよ、きっと」
フィフィはうなずくと、天井を指さした。
「これ、もらうわ」
「毎度、どうも」
ボブはターンテーブルからレコードを取り出して、ジャケットに収めた。
「ねえ、日本って、どんなところ?」
「んー。ひと口ではとてもいい表せないな。とても複雑で多層的なところだよ。ただひとつ確実にいえることは」ボブはにやっと笑った。「レコードコレクターにとっては天国のようなところだよ」
「私たちのような趣味を持っている人間にとっても、たぶん天国のようなところだと思う」
「それは僕も保証する。秋葉原にはぜったい行くべきだよ」
「当然」フィフィはうなずいた。「とにかく、私今、とってもわくわくしてる。いつかきっと私たちが書いたライトノベルがたくさんお店に並ぶ日がくる。今私たちはそのための道筋を作ろうとしているところなんだ。そこに立ち会えることができて本当に嬉しい」
「僕も楽しみにしてる」ボブがレコードを手渡しながらいった。
「ありがと」フィフィはにっこりと微笑んだ。
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