第四話

 淡い月明かりが照らしだす広い庭には、雑然と草木が茂り放題になっている。 風が吹くたびに踊るように背の高い植物が揺れ、不気味さを醸し出す。

 そんな庭の中央に建っている不気味な館を見上げる。外装の一部が破壊され、朽ちた壁はひび割れている。割れた窓の奥に目をやるが闇に包まれていて何も見えない。


「さてと」


 あられもなく茎を伸ばす背の高い雑草を掻き分け、玄関であろう扉の前に辿り着く。木製の両開きの扉は、建物の破損具合と比べて綺麗なまま残っている。

 木製の手触りの良いドアノブに手を掛けた時、タイミング良く内側から鍵が外れる音が鳴った。辰也は警戒心を露わにして一歩後ずさるが、まるで辰也の背中を押すかのように、庭の外から魔獣達の血に飢えた唸り声が聞こる。更に、腕の中にいる少女の身体は冷え切っていて、館の中に避難せざるを得ない。


「あー……怖くて禿げそう……」


 一度深呼吸をして、銃を握りしめる。

 ドアノブを掴み、扉を開けると同時に、まるで辰也を歓迎するかのように、小鳥達が一斉に飛び立ち、草木がより一層激しく揺れた。


「暗いな……」


 扉の奥にあったのは、左右に2階へと登るための朽ち果てた階段。その中央には、奥のホールかなにかに繋がる扉。二階から見下ろすのは、まるで伝説の勇者のような、剣を宙高く掲げ馬の上で誇ほこっている絵が飾られている。


「……」


 割れた窓から月明かりが差し込んではいるものの、それ以外の場所は影に塗り潰されている。


「こんな所でうだうだしていられないか」


 辰也は先程の内側から鍵を外された事が気掛かりで、未だに館の中に足を踏み入れていない。


「……行くか」


 警戒心を最大限まで引き上げ、館の中に一歩踏み入れた瞬間すべてが変わった。


「なッ?!」


 朽ち果てていた館の内装は辰也の眼前には無かった。あるのは、心安らぐ光を放つガラス製の美しいシャンデリア。縁は金色の刺繍ししゅうが施された深紅の絨毯。

 シャンデリアから放たれる光彩と相極まった深紅の絨毯が階段の上から波打つように流れ、どこまで続いている。壁は白よりも白く、形容しがたい美しさと気品を醸し出している。

 

「?!」


 変わり果てた屋敷に驚愕していると、背後に気配を感じ、振り返りざまに銃口を向ける。

 そこに居たのは、黒のタキシードに身を包んだ人だった。辰也は油断なく観察する。年齢は60代後半、白髪で、タキシードの上からでも見て取れる筋肉の付き方。

 紳士のような立ち姿の男は、腰を深く折り口を開いた。


「私わたくし執事のエアリィーズと申します。おかりなさいませ我が主よ」


「ひ、人違いですよ」


 するとエアリィーズと名乗った執事は首を横に振った。


「突然の事で驚きかと思います。御説明致しますので、どうぞこちらへ」


 奥に繋がる扉を開ける。

壁際にある、暖炉の低い炎がパチパチと燃え上がり、影に塗りつぶされていた深紅の絨毯をぼんやり照らし、ひと際優雅な雰囲気を演出している。そんな暖炉の前にある革張りのソファーに、銀髪の少女をソファーに寝かせ、辰也は素朴ながらも高級感のある椅子に腰掛ける。


「紅茶でございます」


 少しすると、白髪の老紳士が優雅な動作で紅茶を淹れてくる。


「あ、ありがとうございます」


 そう言って淡い赤色に染まる紅茶を口に運ぶ。

 口の中に紅茶の芳醇な香りが広がり、鼻腔をくすぐる。更に口当たりも、水かと思うほど丸く柔らかく滑らか。


「うまい……」


 一言呟いてからハッと気がつく。

 最大限まで警戒心を引き上げていたのにも関わらず、差し出された紅茶を迷わず飲んでしまっていた。


(体に異常が見られてない……遅延性の毒か?)


「毒など入れておりませんよ」


 辰也の内心を見透かすように、老紳士が柔和な笑みを浮かべる。


「御説明致しますので座ってもよろしいですかな?」


「あぁ、どうぞ……」


 辰也のひとつ溜め息をついた。表情はなにかを諦めたような顔をしている。


「では、御説明致します。まず、この屋敷ですが特殊な波動を放つ魔術によって保護されております。その魔術によって放たれている波動と一致する者の前に現れる仕組みなのです」


「つまり、その波動と一致したのが俺だったと?」


「そう言う事です。普通の人間からは一致する波動は感知できません。つまり、貴方様は一般人とは何処か違うはずなのです」


 辰也はイマイチ分からないといった顔をしている。

 しかしこの反応は普通だろう。なにせ、自分が他の人間と比べて特殊、異常と言われているのだから。


「えっと、その波動? が一致すると現れるんだろ? 俺以外にも結構居るんじゃないのか?」


 純粋に疑問に思ったことを口する。この世界の人口は、およそ60億人。いくら特殊な人間が珍しくても、これだけの人がいるのだから、何万人いてもおかしくはないと思っていた。

 しかし、眼前にいる老紳士は首を振ると明確に答えた。


「私と貴方様を含め、特殊な人間は23人しかいません。これは断言できる事です」


「23人? 何故そこまで明確な人数が分かるんだ?」


 辰也はもっともな質問をする。


 そもそも、この老紳士が何者なのかすら分かっていない。辰也の目がスッと細くなると、老紳士は慌てて立ち上がった。


「お伝えするのをすっかり忘れておりました」


 老紳士は、手をポンと叩きながら、ほがらかな笑みを見せる。


「私は"吊り人"という名の異端者なのです。貴方様と同じ、特殊な存在なのです」


「吊り人?」


 どこかで聞いた吊り人と言う単語を聞き、チクリとこめかみに痛みが走る。額に手を当て、膨大な知識や記憶を掻き分けながら必死に記憶を探る。

 少し手を伸ばせば思い出せる予感がする。だが、その少しが今は遠く感じる。

 辰也の額には、汗が浮かび、呼吸が乱れている。それは当然の事で、霞んで見えない記憶を無理やり掘り起こそうとしているせいだ。


「主……さ…………まッ! ……」


 音が遠ざかり、温度が消え、周りの空間が白くなってきている。それでも、辰也は記憶の断片を取り戻そうとする。


(アタマが……割れソウだ)


 鐘のような音が頭蓋の中に響き渡り、言語するらも不自由になってきている。


「うっ」


 胃が絞られるような痛みに襲われ、おもわず口を抑えるが、時既に遅し。先程の紅茶と胃液が吐瀉物として吐き出される。


「うぅ……」


 頭だけでなく、全身が痛み悶え苦しむ中、失礼します、という声だけが鮮明に聞こた。顔を上げようとする前に、首元に軽い衝撃が走り、暗い意識の底へと戻されたのであった……



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