第三話

 茜色だった綺麗な空には、たちまち暗い夜が重い幕のように落ちてきている。風は木々の隙間を抜け、肌を刺すような冷気が、衣類を無視して千本の鋭い切っ先となって肌につき刺さる。

 朝は冷たい小雨が振り霧を発生させ、昼間は太陽に照らされ灼熱の地獄、夜は命を落としかねない凍土になる危険な森の中にふたりの影がある。

 片方は顎に手を当てて悩んでいて、もう片方は藁に縋るような思いを滲ませている。


「どうしたもんかなぁ……」


(危険な森にか弱い少女を置いていく訳にいかないしなぁ……でもなぁ……)


 ここまで辰也が悩むには理由があった。その理由とは、奴隷を買うあるいは引き取る場合は基本的な生存権の保証。つまりは奴隷に衣食住の保証ができる人間のみ。

要は、奴隷は主人に尽くす変わりに衣食住を保証するって事だ。けど実際は、奴隷を大切に扱い衣食住を保証する主人など滅多に居ないのが現状だと記憶している。


(罰則が重いけど……危険地帯とは言え、一文無しの俺が引き取って良い……のか?)


目の前にいる少女を引き取るのなら、しっかりとした衣食住--と言うより対等な立場の人間として接するつもりではあるが……


「お願い……しま……す」


 少女は片目だけで辰也を見つめている。少女の瞳は黄昏を思わせる澄んだ琥珀色をしている。そんな綺麗な琥珀色の瞳には涙が溜まり、今にも零れ落ちそうになっている。


「すまないが……」


 それでも辰也は少女の申し出を断ろうとした。この世界では、奴隷とはいえ一人の人間として扱っているため、罰則が非常に重い。これから死への道を歩ませてしまう少女を忘れまいと脳裏に焼き付けようとした時。


「あ……」


 少女を見た時、不意に声が漏れてしまった。


 白くほっそりとした華奢な身体は寒さで震え、綺麗な瞳の奥底には昏い色を覗かせている。


まるで、あの時を見ているようで……


一瞬ズキリとした痛みが走るが、すぐに引いていく。


「いや、なんでもない。一緒に森を出よう」


 昏い瞳と表情を見てそんな事を口走っていた。

 一文無しの辰也が少女を引き取ることは重罪だという事は理解している。

 しかし危険な森に、か弱い少女を置いていく事は出来なかった。


「行こう」


 すると少女の表情は絶望から歓喜へと変わった。


「あ、ありがとうございま……」


 安心からか、少女は感謝の意を伝え終える前に、気を失い倒れ込んでしまった。 倒れ込んだせいで、所々破れた外套のあちこちがめくれ上がって色々と見えてはいけないものが丸見えだった。


辰也は出来るだけ目を逸らしながら、少女を優しく抱き上げた。今日はこれ以上の移動は厳しいと判断し、夜の寒さから凌げる場所を探そうと歩きだした。


「はぁ……」


それにしても拾っちゃったなぁ……。この事が治安を守る衛兵にバレたらかなりキツイ処分が下されるのは目に見えている。

まあ、バレなきゃどんな事したって罪にならないんですけどねぇ!


成り行きとは言え、拉致? してしまったものは仕方がない。もはや自暴自棄になり思考を停止させた。


 --歩き出してすぐに、辰也の脳裏に、拉致、軟禁、ロリコンという言葉が過ぎった。


「う……」


 声を唸らせながら頭を勢い良くかぶり振る。


(そ、そうだ保護だ。うんうん保護だよ保護。別にやましい気持ちなんて一切ないんだッ! 成り行きで仕方なぁーいんだ!)


 辰也は少女を抱いたまま勝手に自己完結させ、うんうんと頷いている。ひとまず自分を納得させ少女を見下ろす。


「それにしても……」


 腕の中にいる少女の容姿はとても奴隷とは思えないほど綺麗だ。腰まで届きそうな長い白銀の髪。人形のような端正な顔立ちで、色素が抜けたような白い肌が印象的だ。


 この少女が奴隷だという先入観がなければ、どこかのお嬢様にも見えてくる程だった。


 そんな思いを巡らせながら歩いていると--

 --深い木々によって閉ざされていた暗闇の中に、ポツリと淡い月明かりが注いでいる場所が現れる。


「ん?」


 辰也は突如目の前に現れた建物に動揺する。眼前にある建物は、何故か鬱蒼と茂る森の中にも関わらず、月明かりが注がれている。


「廃墟……なのか?」


 辰也が凝視する先にあるのは、半壊し朽ちかけた廃墟だった。外装はツタのような植物が繁茂し、建物の所々がなにかに破壊されたかのような形跡がある。


「こ、これは相当古いな」


 動揺しながらも、建物の劣化具合を素早く確認した。壊れ方からして恐らく攻城兵器を用いられたと予想する。建物に絡みつく植物の繁茂具合から相当な時間が経っているはず。


「一晩明かすには危険か」


寒さを凌ぐことは出来るが、半壊し朽ちかけた建物は、崩壊の危険があるため立ち去ろうしたのも束の間、辰也達が来た方向から、魔獣達の獰猛な雄叫びが鳴り響いた。辰也は大きな溜め息をつき、廃墟に振り返り小さく呟いた。


「背に腹は変えられないか……」


森に戻れば、凶暴な魔獣に殺される又は、この森特有の異常な環境に殺されるのをただ待つだけになってしまう。


 多少のリスクを犯してでも寒さと魔獣達の脅威から凌ぐため、不気味な雰囲気が漂う館に足を踏み入れる必要がある。

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