崩壊の原因22
そのような病気はドイツでは芸術や文化のほとんどすべての分野で確認することができた。そこではすべてのものが峠を通り越してしまって深淵へと急いでいるように見える。
演劇は目立って深く落ち込んでいた。そして、宮廷劇場が芸術の売春化に逆らっていなかったならば、演劇はすでに文化として失格していたであろう。宮廷劇場と、その他二、三の例外を除けば、舞台で上演されるものはそれを見るのを避けたほうが国民にとって有用であるものであった。
こうしたいわゆる「芸術の殿堂」の大部分に青年を行かせることを禁じられたということは、堕落の悲しい兆候であった。そのことは、「未成年は入ることができません」という一般的な注意でもって、恥知らずにもしばしば公認されていたのである。
劇場は青年の教養のために存在すべきであり、決して年をとった年齢層の楽しみのために存在する場所であってはならず、このような予防策がとられなければならなかったことを考えてみよう。あらゆる時代の偉大な劇作家はこのような処置に対してなんというだろうか? 特にそのような処置をとらせた事情についてなんというだろうか? シラーだったらどんなに怒りを燃え上がらせたことだろうか? またゲーテならどんなに憤慨してそっぽを向いたことだろうか!
しかし、明らかにシラーもゲーテも、あるいはシェークスピアも近代のドイツの詩文学の英雄たちにとっては実際何の意味もないのだ! シラーたちは古い陳腐な時代遅れの、いや、克服されてしまった亡霊である。すなわち、この時代の特徴なのだが、彼ら自身がただいかがわしい作品を生産したばかりでなく、過去のあらゆる偉大な作品が彼らによって冒涜されたのである。
もちろんこのようなことはそうした時代にいつも見られる現象である。ある時代の、そしてその時代の人々の創造物が卑しく、みじめであればあるほどそれ以前の時代の偉大さと品位の証人は憎まれるものなのだ。その結果として、あらゆる可能性を除去してしまい、偽物を相変わらず「芸術」であるかのように見せかけるのだろう。
したがって、どんな新しい制度も添えが惨めであさましいものであるほど、過ぎ去った時代の証拠を徹底的に拭い去ろうと腐心する。他方、真に価値のある人類の革新は過去の世代が残した優れた成果と結びつくことができる。いやそれどころか、しばしばそれらの成果を多くの人に認めさせるように努力さえするのである。
そうした革新は過去と比較され、色あせてしまうことを少しも恐れる必要はなく、進んで人類文化の共有財産に価値のある貢献をするのである。したがって、そうした革新はしばしばその貢献の価値を十分に認めさせるために過去の作品の回想の火を掻き立てるだろう。つまりそうして新しい贈り物が確実に現代人の理解を得るのである。
ただ、自分から価値のあるものをこの世に贈ることができないのに、何かたいしたものをこの世に与えようというものに限り、すでに存在しているすべてのものを憎み、また好んで否定し、あるいは抹殺さえするであろう。
このことは決して一般的な文化の領域に新しく生じた現象というわけではなく、政治の新現象にも言えることである。革命的な新しい運動はそれ自体が劣等であればあるほど、ますます古い政治形態を憎むのである。
この場合でも、自分のいかさまを注目すべきものと見せかけたいがために、過去のものより優れたものを盲目的に憎悪することを見ることができる。例えば、フリードリヒ大王についての歴史的記憶が死滅しない限り、フリードリヒ・エーベルトが人々に驚嘆されるのも限定的であるにすぎない。
サンスーシに住んだ英雄フリードリヒ大王は、昔ブレーメンの居酒屋の亭主だったエーベルトに比べればまるで太陽と月のようである。太陽の光が消えたあと、初めて月は輝くことができる。したがって、あらゆる人類の新月の連中が恒星を憎むのも明白なことなのである。
政治生活の中でこのような能無し連中が運命によって一時的に権力を握った場合、疲れを見せることなく熱心に過去を冒涜し、汚すばかりでなく、さらに表面的な手段でもっていつも自分自身を周りの批判から逃れさせようとするのである。この例として、新ドイツ国、つまりワイマール国家の共和国保護法がある。
したがって、何かある新しい理念、教義、新世界観、あるいはまた政治的、経済的運動が過去をすべて否定しようと努めたり、中傷したり、価値のないものに見せようとしている場合には、この動機からして極度に用心して、信用したりしなければならない。
多くの場合、このような憎悪の理由はただ自分の低劣さだけか、もしくは悪意そのものにあると考えられる。
人類にとって幸せな革新というものは常に、そしてまた永遠に確実な基礎が終わっているところから建設を進めていかなければならないだろう。その革新はすでに存在している真理を利用することを恥じる必要はないのである。なにしろ人類のすべての文化も人間自身もそれぞれの世代の建設素材を運び、継ぎ合わせていったただ一つの長い発展の結果であるにすぎないからである。
したがって、革命の意味と目的はすべての建築物を取り壊すのではなく、悪く継ぎ合わされたところや、不適当なところを取り除き、健全さを取り戻した部分をさらに建て広げて増築してゆくことにあるのだ。
このようにして、人々は人類の進歩について語ることもできるし、語る理由もあるのだ。そうでない場合は、世界は無秩序から救い出されないに違いない。なぜならその時は過去を拒否する権利がすべての世代に与えられることになり、それらの世代が自分の仕事をするために過去の成果を破壊することも許されるようになるからである。
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