ミュンヘン7

 この世界の「経済的平和的な制覇」が無意味だということからだけでも三国同盟の無意味さははっきりしていた。


 それではいったいどこの国と同盟を結べばよかったのか?


 もちろんオーストリアと結んでもヨーロッパだけですら戦争で征服することはできなかった。まさにこの点こそこの同盟の内面的な弱さがあった。


 ビスマルクごとき人物は応急処置をやったが、少なくともビスマルクが成し遂げた同盟は本質的な前提がとっくの昔になくなって時代であり、手際の悪い後継者たちでは何もできなかった。


 と言うのはビスマルクはオーストリアの中に依然としてドイツ国家があると信じていたからである。しかし普通選挙権が導入されるとともにこの国では議会政治で統合される非ドイツ的混乱状態に陥ったのだ。


 今やオーストリアとの同盟は人種政策的にも有害であった。人々はドイツの国境に新しいスラブ強国が出来上がることを受け入れている。この国は早かれ遅かれドイツに対して、例えばロシアに対するのとはまったく違った態度を取るに違いなかった。


 それと同時にこの王国における同盟思想の担い手が影響力を失い、決定的な地位から落ちていくのに比例して同盟自体が年々内部的に空虚かつ弱くなった。


 すでに世紀の転換期にオーストリアとの同盟は墺伊同盟と同じ段階に達していたのだ。


 ここでもまた可能性が二つ残されていた。すなわち、ハプスブルク王国と同盟をつづけるか、ドイツ人の駆逐に対して抗議するか、である。しかしこういうことが一度始まると結末はたいてい戦争になるものだ。


 また三国同盟の価値は心理的にもすでに些細なものであった。というのは同盟の堅固さというものは同盟が目的の維持に制限すればするほど、それにつられて減少するものだからである。


 しかし、反対に同盟は締結国がそれによって一定の包括的な目的に達する希望を持つことができればできるほど強くなるものである。


 どこにでも当てはまることだが、ここでの強さとは防御にあるのではなく攻撃にあるのだ。


 これは当時いろいろな方面によって認められていた。遺憾ながらいわゆる「その職にあるもの」だけが認めなかったのだ。特に当時の参謀本部付士官であるルーデンドルフ大佐は一九一二年の建白書の中でこの弱点を指摘している。


 もちろんこのことは「政治家」の側からは何の価値も意義も認められなかった。と言うのは、明瞭な理性は普通の人間の目的にかなうように現れるのであって、「外交官」に関するかぎり除外されるようだからである。


 一九一四年の大戦がオーストリアという回り道で勃発し、ハプスブルク家も参加しなければならなかったことはドイツにとって少しだけ幸いだった。なぜならばドイツで勃発していたならばドイツは孤立していたからだ。


 ハプスブルク国家はドイツで起こった戦争には決して参加することはできなかったであろうし、また参加しようとさえしなかったであろう。


 人々はその後イタリアを非難したが、それがもっと早くオーストリアに対して起こったであろう。少なくともその初期に革命から国家を救うためにオーストリアは「中立」にとどまっていたに違いない。


 オーストリアのスラブ民族は一九一四年にドイツの援助をするより、王国を叩き壊していたであろう。


 だが、ドーナウ王国との同盟がもたらした危険と困難がどんなに大きいものであったかを、当時理解していたものはほとんどいなかった。


 第一、オーストリアにはその腐敗した国家を継ごうと考え、ドイツに対する憎悪を生じさせる敵が多くあった。なぜならドイツこそ人々はあらゆる面から期待され、王国の崩壊を阻止している本元だと認められていたからである。


 結局ヴィーンはベルリンという回り道を通ってのみ到達できるものと確信されるに至ったのだ。


 第二に、ドイツは最も見込みのある同盟を失った。それどころか代わりにロシアやイタリアとすらますます大きな緊張が生まれたのである。しかもローマではイタリア人の最後の一人の心の中にまでも反オーストリア的気分が眠っており、しかもしばしば燃え上がると同時に親ドイツ的であったのだ。


 人々が一度商工業政策をとった以上もはやロシアと戦う原因は少しもなかった。両国民の敵だけがこの争いに興味を持った。事実、ここにおいてもあらゆる手段で両国間を戦争に扇動し、けしかけたのはユダヤ人とマルクス主義者であった。


 最後にこの同盟はドイツにとって計り知れない危険を有していた。と言うのは今やビスマルク帝国に敵対している大国がオーストリアの同盟国の犠牲ですべての国が富裕になれることを予期させたので、それらの国々はドイツに対抗するためにいつでも動員することができたからである。


 ドーナウ王国に対しては全東ヨーロッパを扇動させることができた。特にロシアとイタリアだ。


 イギリス王エドワードの主導によってつくられた世界連合はもしドイツの同盟国であるオーストリアがそのような誘惑的な遺産と思われていなかったならば決して成立しなかっただろう。


 この遺産があったからこそ、異質の欲望や目標を持っている国々を唯一の攻撃戦線に加えることができたのである。いずれの国もドイツに対する共同戦線によってオーストリアの犠牲で自分たちの富を増やすことができると思っていた。


 このような不幸な同盟にさらにまたトルコが匿名の関与者として属していたと思われることはこの危険度を極度に強くしていた。


 しかし、国際的なユダヤ人の金融家が普遍的な超国家的金融経済の支配になお服しないドイツを滅亡させようと熱望してきた計画を遂行するためには、このオーストリアという餌が必要なのだった。


 それによって人々は今や何百万の進軍する軍隊によって強化され、勇気づけられ、ついには不死身のジークフリートに肉薄する覚悟をもった連合をでっち上げたのである。


 私はすでにオーストリア時代からいつも不満でいっぱいだったハプスブルク王国との同盟は今や長期にわたる内面的な原因になり始め、その後においても今までに抱えていた考えをなおいっそう強くするだけだった。


 当時私はいつも行き来している小グループにおいて没落するに決まっているこの国家との不幸な協定はすぐに解消しないとドイツの破滅的な崩壊に導かれると確信していた。


 ついに世界大戦の嵐がすべての理性を断ち切ったかのように思い、一番冷静に現実の考察を為すべき地位にある者までも一緒に感激に陶酔したときも、私の岩のように固い確信だけは一瞬たりとも揺るぐことはなかった。


 私自身が前線に立っていた間もこの問題が語れるごとに、この同盟は破棄されることが早ければ早いほどドイツ国民のためになり、またハプスブルク王国を放棄することでドイツの敵を少なくできるならば決して犠牲を払ったことにはならないと主張したのだった。


 というのは何百万のものが鉄兜をかぶったのは堕落した王国を維持するためではなく、むしろドイツ国民を救済するためにあったからだった。


 大戦前に何度か、少なくともある陣営においてこの同盟政策のとる方向にかすかな疑惑が浮かび上がったかのように見えた。


 ドイツ保守層は時々あまりのお人好しに警告したが、これはすべての理性的なものがそうであるように聞き流されてしまったのだ。その効果は絶大で、犠牲はゼロに等しい世界の「制覇」の正しい道を進んでいると確信していた。


 しかし著名な「その職についていないもの」は、「その職にあるもの」がなぜかハルメンの鼠捕りのように愛する民族を後ろに引き寄せながらまっすぐ破滅に進んでいくのをだまって傍観するしかなかったのだ。

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