わがヴィーン時代の一般的政治考察9

 その他のことについては鋭い目を与えられていない俗物たちにもはっきりとオーストリア王国の腐敗を示す制度の中で、その先端にあって最も多くの力を自分のものにしている制度が――議会、あるいはオーストリアというライヒスラートである。


 この団体の手本は明らかにイギリス、すなわち古典的「民主主義」の国にあった。そこからこの恵まれた機構を完全に転用し、できるだけ変更せずにヴィーンに用いたのである。


 衆議院と貴族院という形でイギリスの両院組織が再生した。ただ「建物」自体がいくらか違っていた。パリィがかつてテムズの洋々たる流れから議事堂を作り上げたとき、彼は世界に冠たる大英帝国の歴史の中に手を入れ、その中から壮麗な建築物の千二百の壁龕、腕木、柱の飾りを選び出した。そのようにして彫刻と絵画で上院と下院は国民の名誉の殿堂となったのである。


 ヴィーンにとってはここに最初の困難があった。というのはデンマーク人のハンセンが新しい民衆代表の大理石建築に最後の破風をつけ終わったとき、彼は装飾を古代美術から借りてくる以外に方法がなかった。ローマやギリシャの政治家や哲学者が今ではこの「西欧的民主主義」の劇場の建物に美を添え、そして皮肉ともいえるのは両院の上に四頭立ての馬車が東西南北の四方の天空に向かって引っ張りあい、これによって当時国内で行われていたことを外部に最もよく表現していることである。


 諸国民たちはこの建物の中でオーストリアの歴史が賛美されているのを侮辱であり、挑発であるとして拒絶した。同様にドイツ帝国自体においても世界大戦の砲声が初めて轟くまで、ヴァロットの作った議事堂をその碑銘だけでドイツ民族に捧げるものがいなかったのだ。


 私が二十歳にもならない頃、フランツェンスリンクにあるこの壮麗な建物へ初めて行き、見物人として、傍聴者として衆議院の会議に出たとき、私はこの上もなく不快な感情に包まれた。


 私はずっと以前から議会を憎悪していた。しかし断じて制度それ自体を憎んでいたのではない。逆に自由な感情を持っている人間として私はこれ以上に政治の可能性があるとは思わなかった。というのはある独裁政治の考え方は、私のハプスブルク王家に対する姿勢から言えば自由に逆らい、すべての理性に反対する犯罪のように思えたからである。


 私は若いころから新聞を多く読んできたため、自分自身ももちろん気づかずにイギリス議会に対する賛美の念を植え付けられ、無造作に捨てることができなかったために、少なからずそれに影響されていた。


 イギリスでは下院もまたその品位をもって責任をとる(新聞はこれを実に美しく描くことを心掛けていた)というが、その品位は我々に強烈な印象を与えた。いったい民族自治にとってこれより高度な形式があり得ようか。


 だがまさにそれだからこそ私はオーストリア議会の敵であった。私は全体の行動の形式が偉大な手本にふさわしくないと思えた。しかし今やなお次のようなことが付け加わったのだ。


 オーストリアにおけるドイツ人の運命はオーストリア議会におけるドイツ人の立場にかかっていた。無記名普通選挙を導入するまではドイツ人は議会でたいした勢力でなかったが、とにかく多数を占めていた。この状態でもすでに危険であった。と言うのは社会民主党の国家的に信頼しがたい態度によって――個々の異民族に属しているものを背かせないため――ドイツに関する問題になるといつもドイツ人の利益に批判的な態度をとったからである。


 社会民主党は当時すでにドイツ人の政党としてみることができなかった。しかし普通選挙権の導入とともにドイツ人の優越も数字通りにとどまることになった。これによりいっそう非ドイツ化を推進しようとする道筋にはもはや障害物は何もなかった。


 当時すでにこうした理由から自分を守ろうとする衝動がドイツ人を代表せずいつも裏切っている民衆代表機関をあまり好ましく思わなかったのだ。だが、その欠陥は他の多くの場合と同じようにまた事柄それ自体ではなく、オーストリア国家に原因を帰するものだった。


 私は以前はまだ代表団の中にドイツ人がもう一度多数を占めるようになればこの古い国家が存続する限り、これに反対するきっかけはもう存在しないだろうと信じていた。


 このように内心で考えて、私は初めてこの神聖にして異論のある場所に踏み入った。もちろんそれはただ壮麗な建物の崇高な美しさによって聖化されているだけだった。ドイツの地に建てられたギリシア風の驚くべき建築である。


 しかしやがて私は眼下に展開されている憐れむべき光景を見るや否や憤慨した。


 ちょうど重要な経済的意義を持つ問題について態度を決定するために、数百人の民族代表が出席していた。この最初の日だけで数週間考え込ますのに十分だった。


 提案の知的な価値はその演説を理解しうる限り、本当に意気消沈する「水準」のものだった。と言うのは代議士のある者はドイツ語で話さず、彼らの母語であるスラブ語か、あるいはよく言えば方言で話していたのである。


 私が今まで新聞で読んで知っていたことを、今や自分の耳で聞く機会を持っただけであった。大げさな所作であらゆる音調が入り乱れて叫び、荒々しく動く人の群れ、その間に人のよさそうな老人が鈴を激しく鳴らしながら、あるいはなだめ、あるいは諭すかのようにまじめに呼びかけ、議会の尊厳を取り戻そうと顔中汗を流しながら一生懸命になっていた。私は笑わずにはいられなかった。


 二、三週間後私は改めて議会に入った。様子が変わっていた。認識を改めねばならなかった。議場はまったくのがら空きだったのだ。下のほうでは眠っている人もいた。二、三の議員が席にいて互いにあくびをしており、一人が「演説」をしていた。副議長がいたが、明らかに退屈そうに議場を見ていた。


 最初の疑惑が頭をもたげた。そこで私はとにかく時間の余裕がある限りいつでも何度でも議会に行き、そのときの様子を静かに注意深く観察し、理解できる限り演説に耳を傾け、この悲しむべき国家の国民の代表の知的な顔つきを研究した――そして次第に私独自の思想を作っていった。


 だが、私が以前にこの制度の本質について持っていた考えをまったく変えるか、あるいは除去するためにも一日の静観で十分だった。私の心はもはやこの思想をオーストリアに採用した作りそこないの形式に反対しない。そうだ。私は議会そのものをもはや認めることができなくなったのだ。


 その時まで私はオーストリア議会の不幸はドイツ人が多数を占めていないことにあると考えていた。しかし、今やこの制度の様式と本質にそもそもの災いがあるのだと思えたのである。


 当時、私はたくさんの疑問が浮かんできた。私はこの制度全体の基礎として多数決の民主主義的原理の研究を始めた。また、国民の選別としてこの目的に奉仕すべき人物の知的、道徳的価値に大きな注意を払った。私はこのように制度とその制度の担い手を同時に知ったのである。


 二、三年経つうちに私はさらに近代の最も威厳のある幻影が私の認識と洞察の中に彫像のようにはっきりと浮かんできた。すなわち国会議員だ。彼らは決してそれ以上本質的な変化をする必要のない形で私に印象づけられ始めた。


 今度も実際の直観教育が、最初ちらっと見ただけでは非常に魅力的に思えるが、それにも関わらず人類を破滅させる現象に数えられるべき理論倒れになることから私を守ったのである。


 今日の西欧民主主義はマルクシズムの先駆であり、マルクシズムはそれなしにはまったく考えられないに違いない。民主主義がまずこの世界的ペストに培養の基を与え、そこからさらにこの伝染病が広がったのだ。その議会主義という外面的な表現方式で民主主義はさらに「汚物と火から生まれた奇形児」を作ったのである。その際、私には遺憾ながらこの「火」がすぐに燃え尽きてしまったように思えた。


 私はこの問題をヴィーンで検討するために想起させてくれた運命に、十二分の感謝をしなければならない。というのは、私は当時のドイツにおいてであったら簡単に答えを出してしまっただろうと恐れているからである。もし私がこの『議会』という笑うべき制度を初めてベルリンで知ったならば、おそらく私は反対の方向に進み、そして民族とドイツ帝国がドイツ皇帝中心思想の権力をもっぱら促進することを求め、そのくせ時代と人間を理解しようともせず、同時に盲目的に対立しているものの側に、はっきりした理由もなく立ったに違いない。


 オーストリアではこれは不可能だった。


 ここでは一つの誤りから他の誤りに簡単に陥ることはできなかった。議会は何にも役に立たなかったが、ハプスブルク王家はそれ以上に役に立たなかった――それ以上にである。


 ここでは議会主義を否定しただけでは何にもならない。というのは依然として「何をするか」という問題がはっきり残っていたからである。ライヒスラートを拒否して廃止してしまうと、唯一の政治権力として実際にハプスブルク王家だけが残るだろう。こう考えただけで私は我慢ならなかった。


 私はこの特別な難題を研究して、この程度の若年では踏み込めないほど、この問題をさらに徹底的に観察するようにしたのだった。

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