ヴィーンでの勉強と苦難の日々1

 母が亡くなった時点で、運命は決まっていた。


 母が病床にいたころ、私は美術学校の入学試験を受けるためにヴィーンに行った。そのとき私は、試験は簡単に通るだろうと確信し、かさばった大きな絵の包みをもって出発した。


 実技学校の中では、私がずば抜けて絵がうまかった。その後も私の能力は成長しているはずなので、誇りと幸福感に満たされながらヴィーンへと向かった。


 ただ、一つ不可解なことがわかった。私は画家としての才能よりも、建築家としての才能があるようだった。そのため、私は建築学について興味がわいてきた。それは十六になる前に、初めてヴィーンへ旅行して以来、ますます強くなった。


 私は帝室博物館の絵画展に行った。しかし、私の目は博物館そのものに対して集中していた。毎日、朝から晩まで名所を巡ったが、私をひきつけたのはいつも建築物だった。


 こうして私は何時間も歌劇場の前に立ち、何時間も講事堂に目を見張った。すべてが千夜物語のように私に語り掛けてきた。


 私は再び美しい都会にやってきた。火のついたように闘志に燃え、入学試験に対する自信に満ちていた。


 私は合格を確信していた。だからこそ、不合格通知は青天の霹靂のようであった。しかし、それは事実だったのだ。


 私は学長に会い、不合格の理由を説明してくれるように頼んだ。私が持ってきた絵が不適当なのは異論がない。しかし、私の才能まで否定されるのは納得がいかなかった。


 私は打ちのめされた。初めて自分を信じられなくなり、シラー広場にある建物を後にした。


 このことは私の素質について長年思い悩んできたことを電光のように暴露されたように思えた。


 数日のうちに私はいつか建築家になることを決意した。


 もちろん、その道は厳しかった。美術学校の建築家に行くためには、専門の建築学校を出ていなければならなかった。そこが私には欠けていた。考えれば考えるほど、芸術家になる夢は、満たされる可能性がないことがわかった。


 さて、私が母の死後、三度目のヴィーンに来たとき、長い時間が経っていたので、平静と決断力が戻っていた。以前のような自信が再び戻ってきたのだ。そして、再び自分の目標に向かって歩みだした。


 私は建築家になろうとした。


 私はかつて貧しい村の靴屋から官吏にまでなった父の姿をいつも目に浮かべながら抵抗した。私の基盤は父のときよりもよかったし、可能性もあった。


 困窮の女神が私を抱きしめ、私を挫こうとしたが、私は抵抗の意思によって、ついに勝利をおさめたのだ。


 私が強くなったこと、そして強くなろうとした当時のことを、感謝している。それ以上に感謝しているのは、このことが後に戦うべきものを教えてくれたということだった。

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