名前6:CHRIS
イギリス人の母と日本人の父が結婚し、私――増原クリスは生まれた。
一人っ子な上に内気な性格だった私は、小学校時代、ほとんど友人が出来ず、いつも一人で本を読んでいるような子供だった。
そんな自分に転機が訪れたのは中学に入学してすぐのこと。
その日は入学式の次の日で、クラス全員が一人ずつ壇上に立ち、自分の名前を黒板に書いてから自己紹介をすることになっていた。
私はちょうど親の転勤で引っ越しており、その中学に内気な私を知っている人間はいなかった。
自分を変えるチャンスだと思った私は、ハーフであるということを武器にしようと決め、敢えて名前を英語で書くことにした。
――増原Chris
「え、外人!?」
「ハーフだよきっと!」
教室がにわかにざわめき出した。上手くいった、と思った。
「あの、初めまして! 私の名前は、増原……」
「ちょ、チョリス、って読むのか、それ?」
私の自己紹介を遮ってまでそう言い放ったのは、声と態度だけはデカイ、バカな男子生徒だった。
「ちょっと、増原さんが喋っているじゃないの!」
「だってよーっ! チョリスって、変な名前ーっ! ちょりーっす、ちょりーっす!」
「ち、違うわよ、バカね!」
そう注意する女子生徒達も笑いを堪えているのが遠目からでもよく分かった。
この時、私は二つの選択を迫られていた。
①あくまで自分の本名を主張する。
②この流れにノる
内気な自分を変えたい私が選んだのは――
「ちょ……ちょりーっす! 増原チョリス、でーっす!!」
――当然②番だった。
この日、爆笑の渦と共に『クリス』は死に、新たに『チョリス』が誕生した。
それからの三年間、私はどんどん『チョリス』のキャラクターを作りこんでいき、最終的にはノリだけは異常に良いバカギャルという立ち位置で落ち着いた。
中学はそれでも良かった。ノリと勢いさえあれば、何とでもなった。
でも高校はそう甘くはなかった。
私が入学した女子校には、中学の同級生も何人かいたため、最初のうちこそ、その子たちが私を持ち上げてくれた。
「この子、ちょー面白いんだよ!」
「マジ、バカでサイコーだから!」
そんな後押しもあって、あっという間に私はクラスの中心的存在となった。
女の子なのに、イケメンで背が高くて、クラスで一番の人気者なマサとも仲良くなれた。
マサは本当にカッコイイ人で、いつの間にか私の中に、友人の枠を超えた感情が芽生えていた。
だけど、段々と――みんなから疎ましがられてきているようだということが、何となく伝わってくるようになった。
そしてとうとう、マサにも嫌われてしまい、私のクラスでの立場は地に落ちた。
私のことを「面白い」と推してくれてた、中学からの友人である吹野さんが中心となり、嫌がらせを始めてきたのだ。
机や教科書への落書き、トイレでの水かぶせ、上履きへの画鋲。殴る蹴るの暴行。
とても辛くて苦しくて、地獄のような日々だ。
少し前まで同じようにイジメられていた梅野咲良さんはこんな毎日に平然とした顔で耐えていたのか、と驚愕し、その頃見て見ぬふりをしていた自分を恥じた。
そしてそのうち、イジメとは別の悩みが私を襲った。
一人暮らしをしている私は、他人とマトモに会話をしない日が何日も続き、自分という存在がよく分からなくなってしまったのだ。
他者と接しない限り『チョリス』は存在できない。でも、本当の私――『クリス』とはどういう人間だったのか、それも今ではよく思い出せなかった。
そんなある日。
何故か最近塞ぎ込んでいるように見えたマサが、突然咲良さんに食って掛かった。
会話を聞く限り、どうやらマサは咲良さんのことが好きだったみたいだ。
そのこと自体もかなりのショックだったけど、それよりも咲良さんの発言に私は衝撃を受けた。
「あなたが私を好きだというのは気のせい。少しは外に目を向けてみろ」
彼女は大体、そのようなことを、マサ相手に言い放ったのだ。
私はまるで自分に対して言われたような気分になった。
気のせい。そうかも知れない。
マサに対する想いも。『チョリス』も。全部偽物。
外面のキャラクター作りにばかり注力していたせいで、気づけば、将来の夢も、やりたいことも、私には何もない。
私はカラッポ人間だ。
咲良さんはきっと、見えている景色が私達とはぜんぜん違うのだろう。
ああなりたい、とは思うけど、今更もう、なれる気がしない。
それよりなにより、私はもう、疲れてしまっていた。
『チョリス』は偽物。『クリス』もどこかに行ってしまった。じゃあもういっそ『私』の存在も消してしまおうか。
そんな妄想をしてみると、少しだけ気持ちが楽になった。
そして、本当に死んでしまおうか、死ぬならやっぱり飛び降りだろうか、なんてボンヤリと考えながら、ひと気のない夜道をフラフラと徘徊していた時――彼に出会った。
最初はただの酔っぱらいがデタラメに踊っているのかと思った。
だけど、よく見てみると、何かを振り回している。オモチャ、だろうか。
私は子供時代、全く友達がいなかったから、こういうオモチャにはとても疎くて、彼が持っているのが何なのかは分からない。
というか、いい大人がこんな夜遅くに、一人でよく分からないオモチャを振り回しているなんて、普通に考えたら頭のおかしい人だ。
だけど、私は彼の――その心底楽しそうな笑顔に、すっかり目を奪われてしまっていた。
この人はもしかしたら、私に今までとは違う新しい『存在』を与えてくれるかも知れない。
もちろん何の根拠もなかった。でも悪い人には見えなかった。
私は、死ぬために使う予定だった勇気を、知らない男性に声をかけるために使うことにした。
「あの……今の、先っちょのタマをグワッと回すやつ、もう一度やってみてくれませんか?」
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