名前4:サクラ
「部長! 図面を描き上げたのでチェックをお願いできますか?」
「お、なんだもう出来たのか? どれ……うん、問題ないようだな」
「ありがとうございます!」
「なんかお前、最近調子良さそうだな」
「え、そう見えますか?」
「お前もようやく、仕事の面白さがわかってきたか」
「いや、はは……」
正直そんなもの、全く分かる気がしない。
だけど、僕が調子良さそうに見えるのは気のせいではないだろう。
サクラちゃんに出会ってからひと月が経つ。
あの夜から僕らは、同じ公園で週に2~3回は会っていた。
もちろん、ケンヨーの特訓をするためだ。
サクラちゃんは驚くほどに練習熱心だった。僕と会わない日も家で練習しているらしく、ヨーヨー部分をあちこちぶつけてしまっているのだろう、青アザが絶えなかった。だけどその甲斐あって、少しずつではあるけど、確実にレベルが上がってきている。
そういう子には教えがいがある。僕は暇さえあれば彼女のための特訓プランを考え続け、試行錯誤を繰り返した。
毎日が充実している。こんな風に心が躍るような感覚は久しく忘れていた。
「あの、部長。今日はもう上がってもよろしいでしょうか?」
「ん? まあ、急ぎの案件もないし、いいだろう」
サクラちゃんとは既にメアドを交換しており、僕が会社を出る頃に連絡するのが日課となっていた。彼女の都合が合えば、いつもの公園で落ち合うことになる。
どうも彼女は暇を持て余しているらしく、大抵の場合は来てくれる。会えない日はほぼ
サクラちゃんは女子高生だ。あまり遅くに呼び出したりするのは気が引ける。だから、急いで仕事を片付け、なるべく残業が発生しないように努めている。
「それでは、お先に失礼します!」
「おう……あ、ちょっと待て外山」
「な、なんでしょうか」
まさかここに来て残務処理じゃないだろうな。
「他の社員には注意を呼びかけていたんだが、お前だけすっかり忘れていたわ。あのな、なるべく真っ直ぐ家に帰れよ。物騒だからな」
「は、はあ……」
「なんだお前、ニュース見てないのか?」
「恥ずかしながら……」
最近は家でも特訓プランの考案に忙しくて、テレビやネットなどはほとんど触れていなかった。
「しょーがない奴だな。まあいい……あのな、最近出るらしいんだよ」
「で、出るってなにが……」
「オヤジ狩り、だよ」
部長によると、ここ最近、仕事帰りや飲み帰りのサラリーマン――それも決まって中年男性が何者かに暴行をうける事件が発生しているらしい。犯人はセーラー服を着た女性。黒くて長い髪の毛。細身。背は女性にしては高い。そして、凶器は金属バット。金銭狙いの犯行ではない。被害者はひたすら殴られ続けるのみだという。
「俺の見解では、犯人は多分、おっさんに対して憎しみを抱くガキだな。ま、思春期にありがちなおっさんヘイトが度を越したパターンだろう」
「そうなんですね……気をつけます」
一瞬、サクラちゃんと会うのを控えた方がいいだろうかとも考えたが、そんな暴行犯に襲撃される可能性なんてたかが知れてる。
それよりも、普通に警察に通報される可能性の方がよっぽど高いだろう。おっさんと女子高生が夜な夜な公園で会合しているなんて、あらぬ誤解を受けてもおかしくない。
最近は公園以外にもケンヨーで遊べる安全な場所がないかを探しているのだが、意外と見つからないでいる。先日も近くの市民体育館に問い合わせてみたが、危険そうだからお断りしますと言われてしまった。
だから今のところ僕は、リスクを承知の上でサクラちゃんと会い続けているというわけだ。
何故なら、僕は彼女といる時だけ、ソトヤマスターに戻れるからだ。
きっと、ただの『外山星路』には何の価値もないだろう。だけど、ソトヤマスターは違う。たとえたった一人だけだろうと慕ってくれる子がいる限り、『彼』には存在価値が生まれるのだ。
「えっと、これをこうして……く、クラウディベイベーっ!」
「おお! 出来てる! 出来てるよ!」
「ほ、ホントですか? やったっ!」
サクラちゃんが心底嬉しそうに笑う。努力をしてきた分、喜びもひとしおだろう。
「いや、本当よくここまで上達したよ。正直驚いている」
「えへへ」
出会ってからたったのひと月半で、サクラちゃんはひと通りのプレイトリックを身につける事ができていた。もちろん、精度や速度はまだまだではあるが、とりあえずは中級レベルといったところだろう。
「あのさ、サクラちゃん」
「はい、なんでしょう?」
ロングシエスタを繰り返しながら、彼女が無邪気な視線を向けてくる。
ちょうど一段落ついたということもあって、僕は頭の隅っこに置いたままになっていた疑問を、今更ながら何気なく聞いてみることにした。
「君は、何故そこまでケンヨーに熱心なんだい?」
「え……?」
「あ、いやその……君くらいの年頃だったらさ、他にいくらでも楽しいことがあるんじゃないかなと思って」
サクラちゃんはしばらく黙り込んだあと、ゆっくりと口を開いた。
「あのね、マスター。私……カラッポ人間なんです」
そう発言した彼女の顔は、今までになく深刻に見えた。
「私、やりたいことも将来の夢も、何もないんです」
「…………」
大人らしい、気の利いた言葉など何も浮かんでこなかった。僕だって未だにそうだからだ。
「それに、私、ちょっとクラスで、その……迫害されているというか」
「はく、がい?」
ちょっと待て。それはつまり、イジメということか?
ひょっとして、未だに青あざが絶えないのも、特訓のし過ぎってだけではなく……
「マスターと初めて会った日ね、実は私、目的もなくフラフラと徘徊してて……」
「えっ」
「そんな時、偶然マスターを見かけたんです」
彼女がそこまで追い込まれていたようには全く見えなかった。
「それでね、マスターのトリックプレイを見た瞬間、いえ、正確には、マスターの表情を見た瞬間、かな?」
「表情?」
「はい。何だかとっても楽しそうな笑顔を浮かべていて……見ているだけで、その……心が洗われたっていうか……」
彼女は顔を赤らめ、目を逸らしながらそう言った。
「私も、このケンヨー――その時は名前すら知りませんでしたけど……これをやってみたら、同じように笑えるかな、って」
「…………」
彼女が何か問題を抱えていることなんて、少し考えれば分かることだった。
何故って、生活が充実していたら、サクラちゃんみたいな女子高生が、こんな頻繁に僕のようなおっさんと会って、ケンヨーなんかを特訓するわけがないからだ。
彼女は孤独だった。
酔っ払ったおっさんのヤケクソ的感情から生まれた笑顔なんかに救われるほどに。
そして僕にとって彼女は、彼女の存在は、人生に新たな光を当ててくれた、まさしく救世主に他ならない。
それなのに僕は、完全に自分のことしか考えていなかった。
いつの間にか、サクラちゃんについては『ちょっと変わった女の子』ということで半ば納得してしまっていた。最初は自分の妄想扱いするほど訝しんでいたというのに、だ。
つまるところ僕にとって重要なのは、『己がソトヤマスターでいられる』ことだったのだ。
――実に下らない。
「あはは……なんか恥ずかしくなってきちゃったな。でもね、マスターのお陰で、私、少しは変われてきている気がするんです。だからその……って、マスター!?」
「あ、ああごめん……これは、その、ちょっと自分が許せなくて」
「……あははっ、何ですかそれ? ていうか、マスターって、結構泣き虫ですよね」
そう笑う彼女の目にも、涙が浮かんでいた。
少し落ち着いた後、サクラちゃんがおずおずと口を開いた。
「マスター、あのね。私一つ謝らなきゃいけないことがあって」
「謝ること?」
サクラちゃんがコクリと頷き、少し間を置いた後、緊張した面持ちで口を開きかけた瞬間、突然背後から何やら怒鳴り声のようなものが聞こえた。
驚いて振り向くと、そこにはセーラー服を着た女が立っていた。
長身。長い黒髪。そして手には――金属バット。
「え……」
「あれ? あなた、もしかして…… え、なに? その格好……」
「黙れっ! この……腐れビッチがっ!」
あまりにも唐突だった。
僕が最期に目にしたのは、近づいてくるバットの先端だった。
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