名前3:マサ

 最近、梅野咲良うめのさくらの様子がおかしい。

 いつもは放課後になると決まって図書館で一人、黙々と本を読んでいるというのに、ここ数日は毎日のようにさっさと下校しているのだ。

 バイトを始めた? それとも外部に友達ができた? いや、どっちもあり得ない。

 何故なら、梅野咲良はあり得ない程に無愛想な女だからだ。

 例えば、クラスメイトから「おはよう」と挨拶されたとする。普通、どんなにコミュ障なヤツだって、頭くらいは動かすはずだ。

 だが、あの女は違う。まるで挨拶した側が存在していないかのように、完スルーだ。

 当然、そんな態度の女などイジメの対象になる。

 机や教科書への落書き、便所での水かぶせ、上履きへの画鋲。殴る蹴るの暴行。一通りの嫌がらせは受けていたと思う。

 しかし、どんな目にあっても、あいつは微動だにしなかったのだ。

 落書きは消さず、水は拭きもせず、画鋲はなんとそのまま踏んづけ、一日を過ごした。殴られても蹴られても、その表情は変わらない。

 まるで最初から何も起きていないかのようだった。

 そのうち、あまりの手応えのなさにイジメる方も馬鹿らしくなったようで、今や梅野咲良の方がいないような扱いをうけている。まるで透明人間のごとく。

 一方、この俺――赤井優利は、ハッキリ言って、リア充の権化であると言っても過言ではない。

 俺は自他共に認める、クラスの中心的存在だ。所謂スクールカーストで言うと、間違いなく頂点に位置するだろう。

 クラスの大半は俺のことを慕ってくれているのがよく分かる。それも当然だ。俺は自分で言うのも何だが、整った顔立ちをしているし、かなりの長身である。成績はトップクラスだし、運動神経も抜群。そんなの、人気が出ないわけがない。

 恋人だって、作ろうと思えばいつでも作れる状況だ。今は『あえて』作っていないに過ぎない。

 正に順風満帆な青春。悩みなど何もない……はずだった。

――梅野咲良。

 気づくと目で追ってしまっている。

 あいつの一挙手一投足(尤も教室じゃほとんど動かないが)が気になる。

 重たい黒髪に野暮ったい眼鏡。どう見てもスクールカースト最下層って感じの無愛想女なのに。

 見ていると、胸がざわついて仕方がないのだ。

 この感情は、認めたくはないが、やはり…… 

「ちょりーっす! マサ! 今日もオケカラ、イッちゃう系ーー??」

「……いや、悪いけど今日は用事が入っていてな」

 下品な金髪をなびかせ、下品な笑顔で話しかけてきたのはチョリスと呼ばれる女だ。

「ママママージで!? 超ガン下げなんすけどぉぉ!!」

「すまん、チョリス。この埋め合わせは必ずするからさ」

「しゃーないーなぁ! ナウイ棒十本で許してやんよぉ! ウチら、マブダチっしょ??」

「お、おう! サンキューな」

 何がマブダチだ。

 この女が俺に次ぐクラスの中心人物であるなんて、未だに納得がいかない。

 こんなノリがいいだけの中身スッカラカンなビッチ、本当は今すぐ縁を切りたいくらいだ。

 そんなことを思いながら、ふと梅野咲良の席に目をやると、あいつの姿は既になかった。

「あっ! ……じゃ、じゃあ、今日はもう帰るわ! それじゃ……」

「ちょりーっす☆」

 俺は駆け足で教室を抜けだした。

 折角チョリスを撒けたというのに、梅野咲良を見失っては意味が無い。

 今日こそはあいつを尾行し、放課後に何をしているのか暴いてやると決めていたのだ。

 しかし、既に廊下にも姿はなく

「くそっ!」

 俺は全速力で下駄箱に向かった。 


 結局その日は梅野咲良を見つけることが出来なかった。

 だけど、昨日が駄目なら今日、だ。改めて尾行すればいいだけのこと。

 今日こそはあいつの秘密を……

「ちょりーっす☆」

 ……またこいつか。

「マサ、今日こそオケカラっしょ??」

「い、いや、実は今日も予定が……」

「ナニよナニナニ?? マサってば最近ノリ悪くね!?」

 無駄にデカイ声で嘆きながら、チョリスがグイグイと顔を近づけてくる。本当に面倒な女だ。

「悪いけどちょっと立て込んでてな……それにお前、俺以外にも沢山友達いるじゃないか。そいつらと行ったらどうだ?」

「いやいやいやいや、マサが来ないと始まんないっしょ!? マージで!!」

 何なんだこいつは。ウザい。ウザ過ぎる。

 俺に次ぐクラスの中心人物だということで、一応今までは表面上仲良く付き合ってきたが、いい加減、我慢の限界だ。

「あのさぁ……俺にだって事情ってもんがあるんだよ」

「アハハッ! マサの顔、超怖いんですけど!」

「おい。ふざけるなよ。俺は真面目に言っているんだ」

「え……?」

「俺は忙しいんだよ。毎日毎日遊んでばかりはいられない。頭カラッポなお前と違ってな」

 チョリスの顔面から血の気が引く音が聞こえた気がした。

「じゃあな……もう二度と誘ってこないでくれ」

 そう吐き捨て、俺は教室を後にした。

 梅野咲良はとっくにいなくなっていた。だけど、俺の気分は晴れやかだった。

 これでいい。所詮、あいつはナンバー2。クラスの連中がどっちにつくかは明白だ。

 もっと早くこうしておけば良かった。

 案の定、次の日からチョリスの立場は地に落ちた。きっとクラスの連中も、内心ではチョリスのことがウザったかったのだろう。あいつのようなノリを好む奴なんて、実は一人もいなかったというわけだ。

 邪魔者は排除した。これで思う存分、梅野咲良を尾行することが出来る。


 放課後に尾行すること七日目。

 俺はついに梅野咲良の秘密を知った。

 あいつは……男と会っていた。

 とても楽しそうだった。笑顔なんて初めて見た。

 ああ、こいつも笑ったりするんだな、と妙に冷静な感想が浮かんだ。

 そしてあの顔は――完全に恋する女のそれだった。

 意中の相手に向ける女の表情を見慣れている俺だからこそ、確信が持てたといえる。

 結局、声をかけることすら出来ずに、俺は黙ってその場を去った。

 以来、俺は完全に無気力状態となってしまっていた。

 親やクラスの連中が何度も話しかけてきていたが、空返事を繰り返していると、そのうち腫れ物のような扱いを受けるようになった。

 そしていつの間にか、委員長である吹野橙子ふきのとうこがクラスの中心になっていた。

 吹野は、俺のことはともかく、チョリスがよほど目の上のたんこぶだったのだろう。この機を逃すまいと、嬉々としてイジメ始めた。そういえば、梅野咲良をイジメていたのもこいつだったな、とボンヤリ思い出した。あの頃は梅野咲良なんて全く興味がなかったけど、どんな目にあっても全く意に介さないあいつの態度に興味を持ち、少しづつ惹かれていったのだな、と今になって気づいた。

 そしてチョリスはというと、あのバカギャルっぷりが嘘のように静かになっていた。目は虚ろで一言も発さず、吹野とその取り巻き連中にされるがままだ。

 こうなった原因は俺にあるのだという自覚はあるし、いくらチョリスが鬱陶しくても、イジメたいほど憎んじゃいなかった。だけど、今更庇う気も起きない。


 スクールカーストの頂点にいる俺が、最下層の奴らと仲良く会話をするなど、あってはならないことだと思っていた。だから今まで、梅野咲良に対して声すらかけられずにいた。

 だけどもはや、そんな序列なんかはどうでもいい。

 ようやく立ち直りかけてきた俺は、昼休みに、教室の隅で一人黙々と弁当を食べている梅野咲良に声をかけることにした。

「なあ、梅野。ちょっといいか」

「…………」

 突然、絶対にあり得ない相手から声をかけられたというのに、ヤツに動揺した様子は見られない。それどころか、この俺を完全に無視しやがった。

 腹立たしい感情を抑え込み、俺は冷静に言葉を続けた。

「お前さ、放課後、変なおっさんと会ってるだろ」

 梅野咲良の肩がピクリと震えた。

「エンコーだったら止めておけよ」

「……違うわよ」

 敢えて挑発するような発言をしたことが功を奏し、ようやく梅野咲良の口を開かせることが出来た。 

「じゃあ、あいつと付き合っているのか?」

「……あなたには関係ないでしょう?」

「利用されているんじゃないのか、お前。なあ、あいつと付き合ってはいないんだろう?」

「うるさいわね」

「いいから答えろよっ!」

 思わず荒げてしまった俺の怒声に、一気に教室がざわめく。

「……だったら何よ。悪い?」

「……んでだよ」

「はあ?」

「何でだよっ! 何でよりによって、あんなおっさんなんだよっ!!」

「だから、あなたに、関係ないでしょう?」

「俺……俺のほうがっ! 絶対っ……!」

 瞬間、合点の入ったような表情を浮かべた梅野咲良が、フっと鼻で笑った。

「ああ、そういうこと……でもごめんね。私、趣味はないの」

「ううっ……!」

「あなた、エスカレーター組だったかしら? まあ、中高と女子だけの空間にいたら、のも無理ないかも知れないけど……」

「うるさいっ! 俺は、本気でお前のことがっ」

「気のせいよ、きっと。あなたもこんな狭い世界でお山の大将気取ってないで、少しは外にも目を向けてみたらどう? ……ああ、どうやら今は違うみたいだけど」

 梅野咲良が俺の背後に目を向けた。

 振り向くと、クラスの連中が、蔑んだような、哀れんだような目で、こちらの様子を観察していた。

「見てんじゃねーよ!! クソボケどもがっ」

 そう吐き捨て、俺は教室を飛び出した。

 きっと、保留状態だった俺の地位は、今をもって完全に終了しただろう。

 自分がこんなにも脆かったなんて、知らなかった。

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