名前2:ソトヤマスター
大学時代、僕が所属していたサークルの先輩である
それもあだ名は決まって花の名前から流用していた。
本人に直接聞いたわけではないが、恐らく相手にピッタリな花言葉を選んでいたのだと思う。
例えば、流行に敏感な田中には『紫陽花』――花言葉は『移り気』
真面目で控えめな鈴木さんには『金木犀』――花言葉は『謙虚』
といった具合だ。
普通、そうやって人に無理やりあだ名なんてつけるような女など煙たがられそうなものだが、音霧先輩の場合はそういう行動が不思議と許されてしまう雰囲気を有していた。
それどころか、いつの間にかサークル内でもお互いに花の名で呼び合うことが定着してしまったくらいだ。
先輩らのことを『キンモクセイさん』とか『クローバーさん』なんて呼ぶのには最後まで違和感を拭えなかったものの、何となく上下関係の壁が薄くなって雰囲気の良いサークルになっていたのは音霧先輩の功績とも言える。
因みに僕のアダ名は『ムスカリ』だった。最初はその花の存在自体知らなかったが、ブドウみたいな、見ようによっては少しグロテスクな見た目だ。
音霧先輩からは『ムスカ』とか『ムっくん』なんて呼ばれていた。
花言葉は、『明るい未来』『通じ合う心』
あるいは――『失望』『失意』
先輩がどういった考えから、この花の名を僕に授けたのかは分からないし、今やもう、聞く術もない。
僕には明るい未来が待っていそうだと感じてくれていたのか、それとも何かしらの失望を抱いていたのか。
ともあれ、彼女が付けたこのあだ名は、今にしてみれば中々的確だったなと思える。
かつて、僕の未来は確かに明るかった。明るすぎて眩しいほどだった。
しかし今はどうだ。失望や失意といった単語がこれ程当てはまる男もいまい。
何故なら……
「おい、外山ぁ! 聞いているのか!?」
「え……? あ、はい、スミマセン」
「たっくよぉ……シャキッとしろ、シャキッと! もう一度言うぞ? この図面の修正、明日の朝までに頼みたいのだが?」
「え、明日……ですか? いやそれはちょっと」
「ちょっと、ってお前なぁ……確かにキツイとは思うが、施主が早く提出しろってうるさいんだよ」
「はあ……」
僕は胃が痛むのを感じた。今日は終電コースになりそうだ。
半年前に派遣された今の会社は建設関係の仕事をしており、僕は主に土木構造物の図面作成を任されている。とはいえ、実際に設計を行うのは正社員である技術者であり、僕は指示された通りに図面を引くだけだ。土木工学の知識などとんと持ち合わせていない。付け焼刃的に覚えたCADソフトの操作技術を買われたのだ。
「覇気ねえなぁ、おい。お前、『マスター』なんだろう? もうちょっとシャキッとせいや!」
シャキシャキうるさいんだよ。大根でも食ってろよ。
なんてことはもちろん言えずに、僕は上司に対して「すみません」と頭を下げ、ノロノロと仕事に取り掛かった。
――マスター、か。
『ソトヤマスター! もっかいプレイを見せて下さい!』
『マスター、マジすげーよ! ヒーローだよマジ!』
子供達の尊敬に満ちた声が脳裏に蘇る。
今や、その呼び名は単なる蔑称に成り下がっているが、あの頃、僕は確かに『マスター』だった。
十年程前、大手玩具メーカーから発売された商品である『ケンヨー』が、小中学生の間で大ブームを巻き起こした。
けん玉とヨーヨーを組み合わせただけの単純な玩具だったが、メーカー側が提示した技――通称『プレイトリック』の多種多様ぶりが功を奏し、子どもたちはこぞって練習し、仲間内でトリックを披露し合った。そのうち全国各地で競技大会が開かれるようになり、子供だけではなく、大人まで参戦するような一大コンテンツとなっていった。
そんな中、僕の実力は自分で言うのも何だが、正直言って群を抜いていた。
全国大会決勝で見せた圧倒的なパフォーマンスをメディアが大々的に取り上げたことから、僕は一躍有名人となった。
いつからか『ソトヤマスター』の愛称が定着し、児童用の雑誌はもちろんのこと、TVCMやバラエティ番組、果てはドラマ出演まで果たした頃には、僕は子供たちの憧れの的――ヒーローになっていた。
しかし皮肉なことに、僕に憧れ、少しでも追いつきたい一心で練習を重ねた子供達の成長は驚異的であり、当時既に二十歳を過ぎていた僕の実力なんて、あっという間に追い抜かれてしまった。
子供達が僕を見る目が、段々と羨望から失望へと変化していくのがハッキリと分かった。
『ソトヤマスター』の世間への露出は減っていき、同時にブームも落ち着きを見せ始め、数年も経った頃には、僕は完全に『過去の人』になり下がっていた。
「……せめてちゃんと大学を卒業してりゃ、もうちょいマシな人生だったのかな」
ネットで僕の名前を検索すれば、沢山の小馬鹿にしたようなクソコラやMADが溢れかえっている。
今の時代、正体を隠して社会生活を過ごすことは不可能に近い。
会社でもとっくに僕が『元・ソトヤマスター』であることは知れ渡っており、嘲笑の目で見られていることも気づいている。
いくら有名人だったとはいえ、所詮、オモチャの扱いが上手かっただけに過ぎない。
そう思って笑っているのだろう。
「おい! 外山ぁ! ボーッとしてんじゃねえぞ!?」
「は、はい、スミマセン……」
僕は既に花咲き、散ったあとの人間。あとは腐る一方だ。
仕事は結局、終電どころか朝までかかってしまった。
しかもその後も何やかんやと雑用を押し付けられ、三十時間以上ほぼぶっ通しで働き続ける羽目になった。
その間、コーヒーや栄養ドリンクを飲みまくったせいで、眠気など完全に吹き飛んでおり、むしろ若干ハイになっていた僕は、定時を過ぎてようやく開放された瞬間、一人で飲み屋街に繰り出すことにした。
それから三時間程飲み続け、流石に酔いが回り過ぎてしまったため、酔い覚ましを兼ねて駅まで遠回りでフラフラと歩くことにした。
その途中、小さな児童公園が目に入った。周囲にひと気はない。あまり利用されていないのか、まるで時代から取り残されたように寂れている。
「いいカンジだな」と思った。こういう場所は何だか他人事な気がしないのだ。
僕はその公園に立ち寄り、いつも持ち歩いている愛機『アイスボール』を鞄から取り出し、得意のプレイトリックを始めてしまった。
いつもなら外でプレイなんて絶対にやらないが、今夜は酔いも手伝って、珍しく大胆な気分になっていたのだ。というかもはやヤケクソ的と言っても良かった。
「よしっ! ここで『ストリングプレイ クラウディベイベー』だっ!」
「そこからのー……『スペース・ワン・ループ』……決まったー!」
十年経っても難易度の高い技を難なくこなせるのは、自宅で日課のようにプレイしているからだ。
例え、もはや誰も顧みないような時代遅れの玩具であろうと、僕にとっては今でも唯一の遊び相手なのである。
ひと通りプレイを終え、さて帰ろうかと回れ右すると、目の前に女性が立っていたので、思わず「ひあっ!?」と素っ頓狂な声が漏れてしまった。
「あのぉ……」
見た目からして恐らくまだ高校生くらいとおぼしき女の子が、おずおずとした調子で声をかけてくる。
「いやスミマセン! これはその……」
警察に通報するつもりだろうか。いや、それなら何故わざわざ僕に近づいた?
一瞬でパニックに陥った僕だったが、彼女は完全に予想外な台詞を放ってきた。
「あの……今の、先っちょのタマをグワッと回すやつ、もう一度やってみてくれませんか?」
「へ……?」
どういうわけだろう。まさか僕のプレイに興味を持ったとでもいうのだろうか。
「グワッと回すって……『スペース・ワン・ループ』のこと?」
「え、いや、名前は知りませんけど……」
「あ、そ、そうだよね……じゃあ、あの、一応、最初からやってみようかな」
訳がわからないまま、僕はもう一度、得意のプレイトリックをひと通り披露した。
その間、彼女はジッと僕のプレイを見ていた。
「……ふう。これで終わりだよ」
「……ごい」
「え、なんだって?」
「すごいっ! なんなんですかソレ!?」
彼女が目をキラキラさせながら顔を近づけて来る。
「ち、近い近い! ていうか、ま、マジで言ってるのかい?」
「だってだって、何でそんな動きができるの!? まるで曲芸みたい!」
彼女は興奮した面持ちで、まるで小動物のようにピョンピョンと飛び跳ねてみせる。
信じられない。今どきケンヨーのプレイに驚く人がいるなんて。ひょっとして彼女は、僕がアルコールを摂取しすぎたせいで誕生した幻なのだろうか。
「はは、ありがとう。それじゃ……」
僕はそそくさとその場を立ち去ろうとした。目の前で起きている出来事にまるで現実味がなく、何だか気分が悪くなってきたのだ。
だけど彼女は僕を引き止め、こう言ったのだ。
「あの、ちょっと待って下さいっ! えと……あの……もし、良ければですけど……その……私にその技を、お、教えてくれませんか!?」
やっぱりこれは幻だ。こんな女子高生がいるわけない。
公園の水道で顔を洗い、水をたらふく飲んで酔いを覚ましたというのに、女の子は消えなかった。
つまりこの状況は僕の妄想ではなく、紛れも無く現実だということだ。
「あのぉ、大丈夫ですか?」
「あ、うん。ちょっと、お酒が入っていてね……もう平気、だと思う」
結局僕は、彼女のお願いを聞くことにした。
妄想でなければ新手の詐欺か、という疑念も頭をよぎったけど、どう見ても本気で教えて貰いたがっているようにしか見えなかったからだ。
かつてソトヤマスターだった頃、色々な人間に会った。それこそ僕を利用しようと近づいてくる悪どい連中も沢山いた。その経験あって、他人が嘘をついているかどうかが何となく分かるようになっていた。
「じゃ、じゃあ、まずはケンヨーの基本的な造りから教えようか」
「お願いします! ……あ、でもその前に」
彼女が右掌をひょいと挙げ「あの、何てお呼びすればいいですか?」と質問してきた。
「ああ……そうだな。僕のことは……その、『マスター』とでも呼んでくれないか」
「え、マスター、ですか?」
彼女が困惑した表情を見せる。引かれてしまっただろうか。
「あ、ごめん、変かな……」
「ふふっ、いえ、いいですね! 確かに、達人! って感じでしたし」
そう言って、とても可愛らしい笑顔を見せてくれた。良かった。どうやら軽いユーモアと受け取ってもらえたようだ。
「ありがとう。それじゃ、君のことは何て呼べばいいかな」
「えっと、私は……」
彼女は少し間を空けて
「サクラ……と呼んで下さい」
と答えた。
「サクラちゃん、ね。よろしく」
「よ、よろしくお願いします!」
最初から何となく感じていたけど、見た目の割に素直な子だと思う。
「じゃあ、君には僕の弐号機である『ステルスゲイダー』を授けよう」
「あ、ありがとうございます! うわーすごい……」
サクラちゃんの頬が僅かに蒸気し、口元が緩む。こんな子供用玩具にここまで喜ぶなんて、やっぱり少し――いやかなり、変わっている。
「いいかい? ケンヨーは、その名の通り、けん玉とヨーヨーを組み合わせた玩具だ。見てごらん、ボディはまさしくけん玉のように十字の形をしているだろ?」
「はい、でも、先っちょがカーブしてますね」
「そう。普通、けん玉は両横が皿のような形になっていて、てっぺんが尖っているよね? でもこのケンヨーは、持ち手部分を除いた三点が半月状になっているんだ。何故か分かるかい?」
「さっきのマスターの踊りを見てたから分かります! この紐にぶら下がっているヨーヨーを乗せるためですよね!?」
「お、踊り……あれは『トリックプレイ』というんだ。覚えておいてね? でも正解だよ! 因みにこの三つの半月は『ピット』と呼ぶ」
「トリックプレイ……ピット……」
いつの間にか、彼女の手にはメモ帳とペンが握られており、僕の説明を一心不乱に書き込んでいた。
「えっと……説明を続けても大丈夫かな?」
「あ、はい、お気になさらず!」
「うん……で、基本的なプレイスタイルなんだけど、まずはヨーヨーをてっぺんのピットにセットする」
「てっぺん……セット……」
「あ、簡単だから、多分メモしないでも大丈夫だよ。とりあえず僕のプレイを見ててごらん?」
「は、はいっ!」
「セットしたら、こうやって勢い良く……降り下ろすっ!」
愛機アイスボールがシャーッと小気味いい音を立てて回転する。
「この状態を『ロングシエスタ』というんだけど、まあ名前は覚えなくても影響ないよ。で、ここからプレイを始めていくんだけど……まずは実際にやってみようか?」
「え! もうですか!? できるかなぁ……」
えと、えと、とあたふたしながらも、何とかヨーヨーをピットにセット出来たようだった。
「えーっと、これを、思い切り……振り下ろすっ!」
しかしサクラちゃんはボディごとケンヨーを地面に叩きつけてしまった。
「ああっ!?」
「あー、まあ、最初はよくやっちゃうんだよね」
「ご、ごめんなさい! 壊れてないかなぁ?」
「大丈夫大丈夫。なんせ子供用の玩具だ。乱暴に扱われることを想定して造られているから」
「ほんとだ、良かった……ふう、でも、難しいなぁ」
ケンヨーを地面から拾い上げたサクラちゃんは、眉がへの字になっている。
「……もう止めにしようか?」
「え、そんな……まだ始めたばかりじゃないですか。私、まだまだ頑張れます!」
「……そっか」
こんな風に、人から頼られたのはいつ以来だろうか。
瞬間、僕は昔にタイムスリップしたような感覚に陥った。
あの頃は、サクラちゃんのようなロングシエスタすら出来ないような子供が沢山いて、皆僕のことを頼ってきてくれていた。
「えいっ! ……あれ? 全然回らない? よし、もっかい……えいっ!! ……あれぇぇ?? あの、マスタ……」
「え、ああ、ごめん、ちょっと考え事してて」
「あれ? あ、あの……もしかして泣いて……?」
「え!? あ、いやこれは……!」
「な、泣くほど才能無いですかね? 私」
「いや! ……いやいやいや、違うよ!? この涙はそういう意味の涙じゃないから!」
「それならいいですけど……ねえマスター、どうやったら回るか、コツとか教えてくれませんか?」
「あ、う、うん。どれ! もっかいやってごらん?」
ソトヤマスターがおよそ十年ぶりに復活した夜だった。
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