偽る人々の物語

クライトカイ

名前1:ヒーロー

 とある夜。

「おっさんさ。それ、マナー違反だってこと、分かってる?」

 女は、向こうから歩いてきたサラリーマン風の男に声をかけた。

 ここ、大通りより一本南に位置する小さな路地では、人通りが少ないせいか、歩きタバコをする輩が後を絶たない。

 男は咥えていた煙草を右手に持ち、怪訝そうな顔で女を一瞥した。

「はあ? ……いや、別にいいじゃねーか。誰も歩いてないんだし」

「誰もですって? 私がいるじゃない」

「……ちっ。はいはい、分かりましたよ」

 そう言うと男は、心底面倒臭そうな素振りで、右手のタバコを地面に落とし、足で踏みつけた。

「ほら。これでいいんだろう?」

「いいわけあるか。拾いなさい」

「おい。いい加減にしろよお前。あんまり大人を舐めてると痛い目見るぜ? ……その制服、どこの学校だ! 言ってみろ! ああ?」

「……歩きタバコ、ポイ捨て、逆切れ――同情の余地なし、ね」

 突然恫喝し始めた男に冷ややかな視線を向けながら、女は独り言のようにそう呟き、背中に背負っていたケースのようなものから何かを取り出した。

「ちょ……おま……マジかよ」

 女が手にしたのは、金属バットだった。

「あんたは今から『悪の怪人』よ。観念しなさい」

 そう言って女は、

「何わけわかんねーこと……頭おかしいんじゃねーのか!」

 少しの躊躇も見せずに、

「おい止めろ! 警察呼ぶぞ!」

「もう遅いわよ」

 それを振り下ろした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る