反旗

 柘榴帝の危篤を知り、これ幸いと声をあげたのは美蛾娘だ。文官たちが話し合う場へ型破りにも現れ、宣言した。


「現帝には跡継ぎがおらぬ。このままでは国も落ちつかぬ。今のうちに次期帝を第三皇子の紫香楽しがらきと定め、治世を学ばせるのじゃ」


 老臣たちの反応はかんばしくなかった。


「まだ現帝は息災です。今からさようなこと、あまりに早急では」

「早急? そちはいま妾に意見したのか?」


 捕らえよと、微笑みのひとつで諫言を呈した文官は衛兵に拘束された。気づけば会議の場は封鎖され、中へ黒服の鎮官ちんかんたちが押しよせてきている。明らかな謀反だ。


「この、魔女めがッ!」


 立ち上がりそう激した老臣は、即座に鎮官の槍で串刺しにされた。部屋に生暖かな血が流れてようやく文官たちは事態を理解した。もはやこの場に発言権はない、自分たちは人質として捕らえられたのだと。

 美蛾娘は静かになったぐるりに恍惚と息をつく。


「他に意見があれば具申せよ。妾は何人殺してもかまわぬ」


 誰もなにも言わなくなった。この場では賛同するほかない。文官たちは部屋の外へと望みをかけた。


(このことはすぐに知れ渡る。王宮の内外には有望な武官や文官が大勢いる)


 すぐに討伐隊が組まれるはずだ。

 武力をもたない美蛾娘と第三皇子は、謀反のかどで打ち首になる。美蛾娘に反するものには絶好の機会となるだろう。


(まだ柘榴帝は生きている。彼が目覚めてひと言処断を告げれば)


「ああ、そうじゃ。陛下にも同意をもらわねばなぁ。これより参るぞ」


 ぎくりと場が凍りつく。美蛾娘は武器をもつ鎮官たちを連れ、天帝の寝所に押し入ろうとしている。意識のない帝からどうやってあと継ぎの話を引き出すというのか。


「お待ちください、どうか!」


 文官たちには美蛾娘の狙いがわかった。止めようと声を荒げるが、立ち上がった者はみな容赦なく槍で刺し殺された。美蛾娘は柘榴帝を殺すつもりだ。天帝が死んでしまえば、あと継ぎの指名や遺書など些事はどうとでもなる。会議は血と叫び声、嘆願に悲鳴で阿鼻叫喚となった。美蛾娘が向かう先は柘榴帝の休んでいる安寧宮あんねいきゅうだ。




 王宮の外では、蓮の養父・文官が美蛾娘の所業に怒り狂っていた。


「あの女狐、今日こそ許さぬ!」


 呂文官は、寵妃となった蓮がもたらした一族への恩恵を、美蛾娘がふいにしてしまったことに怒り心頭だ。同士をつのり復讐の名目で美蛾娘を倒す機をねらってきたのだが、美蛾娘が王宮の高官たちを人質にとり、柘榴帝の寝所へ向かったと聞くやすぐに手を回し、少数の手勢とともに後宮へのりこんだ。美蛾娘の進路をふさぎ、ここは通さぬとばかり道をはばむ。


「おや」


 美蛾娘はそれを見てせせら笑った。

 呂文官の兵は寄り合わせで数も少ない、反面、美蛾娘の兵は日ごろ鍛えられた屈強な者ばかりで数も五倍はいる。


「妾に言いたいことでも? その命と引きかえに聞いてやろう」

「悪行の数々もう許せん! 貴様を殺し、静ひつな王宮を取り戻す」


 呂文官は口では意気荒いが、顔は青ざめ震えていた。文官とは実戦に出る職分ではない。兵力差も明らかなので、呂文官の手勢は鎮官たちを前におののいている。

 なにより美蛾娘のあの気迫だ。見る者を圧倒する絢爛な銀衣。その艶やかな立ち姿は、満開の花をもしおれさせる激しさに燃えている。

 太ももから下の生足をすらりと露出し、死の香りを――血と鬱屈した息苦しさを焚きこめた匂いを漂わせている。にっこりとなまめかしく笑む口もとは殺意と血に濡れ、黒目が次の獲物を求め光っている。

 とおりいっぺんの美しさではない、妖しさと命の危機を感じさせる魅力に呂文官は息をつまらせた。

 すっかり雰囲気にのまれた文官たちを見て、美蛾娘はほくそ笑んでいる。


「みな死ぬがよい」


 殺せと、その言葉に鎮官たちが槍を構えおどりかかろうとする。

 瞬間、一本の弓が双方の間につき立った。


「待ちなさい!」


 文官たちの後方から馬で駆けてきたのは倭花菜だ。

 弓を射た武官が、倭花菜の後ろについて駆けてくる。

 美蛾娘は目を細めたが、呂文官は「おぉ」と安堵の息をもらしていた。


れい武官。来てくれたか!」


 ふん、と馬上から鼻を鳴らしたのは髭面の武官、麗空家れいくうけの当主だ。倭花菜にとっては叔父であり、美蛾娘の兄にして国一番の武芸者といわれる将軍だ。


「当然だ。我が一族の恥をこれ以上放ってはおけん」


 倭花菜と麗武官のあとから大量の歩兵が駆けつけてくる。これで兵力差は美蛾娘の倍となった。いよいよ命運つきたろうと麗武官が慈悲をもって告げ渡した。


「妹よ。おとなしく罪を認めてひれ伏せば、せめて死に方だけは選ばせてやる」

「なぜ、妾が死なねばならぬ」


 傲然と言い放つ姿に誰もがぎょっとさせられた。意地をはっているのか、プライドの高さから負けを認められないのか。渋面をつくる麗武官に美蛾娘は艶やかに笑んでみせる。


「妾は国のためを思い、第三皇子・紫香楽しがらきさまの指示のもとで動いておる。紫香楽さまは次代の天帝、その命に逆らう者こそ謀反者ではないのかえ?」


 この言には呂文官のほうが激高した。


「誰が第三皇子をあと継ぎにすると!? 継承問題は我ら文官の采配することだ!」

「ほほ、これは異なこと。柘榴帝がそう仰られたのじゃ。妾はその命に従ったまで。それともそちは柘榴帝にも逆らうのか?」

「馬鹿馬鹿しい! 帝がお主に……寵妃の蓮を殺したお主に、そのようなことをおっしゃるはずがない!」

「おや。天帝の、妾の言葉を疑うか。そちこそ謀反人じゃ」


 まるで堂々巡りだ。明らかに嘘をついている美蛾娘を理論で打ち負かすことができない。誰もが武力で制するしかないと諦めかけたとき、凛とした倭花菜の声が響き渡った。


「謀反人はあなたですわ、美蛾娘お姉さま」

「――倭花菜、ずいぶんと顔色がよくなったのう」


 美蛾娘は怪訝と目を細めていた。倭花菜の喉は完璧に潰されていたはず、それがこうも見事に短期間で全快するとは驚きである。


「おかげさまで。わたくし、何度でも不死鳥のように蘇りますわ。この国の、この子を産むまでは」


 今度こそぎょっとさせられたのは美蛾娘のほうだった。倭花菜が慈しむように見ているのはその平らかな腹だ。そこに宿る小さな生命は柘榴帝とのとぎで授かった子にちがいない。

 ことを知らされなかった呂文官が驚きを隠せぬ目を向ける。


「それでは、倭花菜さまはご懐妊を」

「ええ」


 周囲からどよめきがあがる。倭花菜の腹にいるのは柘榴帝の第一子、次代の天帝となる器である。


「この子を授かり、あたくし気づかされましたの」


 なんとしても生きねばならぬのだと。喉を直して復讐し、子を産む。

 絶望の淵で母となったとき、倭花菜に生きる目的とかつての誇りが鮮やかによみがえってきたのだ。死に物狂いで毎日、胎児に問題のない苦薬を煎じて飲んだ。以前の倭花菜なら吐き出しただろうえぐみある生薬を、文句もいわずに飲めるだけ口に含んだ。喉によいと言われることはなんでも試した。城下寺から優秀と評判の寺医者を何人も呼び寄せ、素直に教えを乞いもした。


(あたくしが生き残るためにどうしてもこの声が必要なのよ)


 再起のために倭花菜は決死の思いで日がな一日、弁財天女神に祈りを捧げ続け、ようやく喉の調子を取り戻したのだ。以前のようにとはいかないが、普通に話す分には苦労しないほどに喉は回復している。


「あたくしの子が正統な次代の天帝です。謀反人は美蛾娘お姉さま、あなたのほうですわ!」


 ひくりと頬をひきつらせた美蛾娘は、怒りにまかせて金扇をばさりと開く。


「認めぬ。認めぬぞ!」


 金扇の中から出てきたのは平たく研がれた小刀だ。勢いよく倭花菜の腹めがけて投げられたそれは真横にいた彼女の叔父、麗武官の腕にすり傷をつけ、虚しく地へたたき落とされた。麗武官は倭花菜に傷がないのを確かめ、青ざめている。


「何をするか! この謀反人めが」

「ほほほ、妾は謀反人ではない。負けた者が悪、それが世のならいじゃ!」


 その声に応じたように遠く王宮の鐘が鳴る。

 一度、二度、三度。重々しい音にみなはっとして固まった。

 鐘が九度鳴れば天帝崩御の合図だ。静けさの中、けれど続く鐘の音はない――音は三回で止まっている。


「はて、三度鐘とは?」


 王宮に長く勤める呂文官ですら聞き覚えの無い合図に眉をよせている。遠く鳴る地響きに真っ先に反応したのは麗武官だった。


「いかん、あれは外への合図だ!」

「もう遅いわ愚か者」


 美蛾娘は近づいてくる土煙に目を細め笑っている。門を押し破り城下から襲ってきたのは、国外で押しとどめていたはずの蛮族だ。雨あられと降り注ぐ矢に場は混乱し、麗武官の軍は崩れはじめる。


「体制を立て直せ! 背後を守れ、押し戻すんだ!」

「叔父上、待って! 美蛾娘お姉さまが」


 美蛾娘は混乱に乗じ逃げようとしている。その向かう先は安寧宮あんねいきゅう、天帝の伏している後宮一大きな建物だ。逃がすまいと倭花菜はひとり馬の腹を蹴った。


「あたくしが押さえます! 叔父上は後ろを」

「待て! くそ、第一小隊」


 麗武官は精鋭の小隊を倭花菜につけた。今は美蛾娘より目の前の蛮族を追い払わないことには王宮自体が乗っ取られてしまう。天帝の御身や倭花菜の安全も気にかかるが、武官としてなさねばならないのは一番に国防だ。いつの間に手引きしたものか、美蛾娘が引き入れた蛮族は国の中心にまで迫ってきていた。土煙と雄叫びに巻かれ、麗武官は戦いに身をゆだねていった。


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