送南風(おくりまじ)

針山

 数日後、古謝は神衣曲の習得に入った。その管理・監督を任されたのは魔醜座ましゅうざだ。

 魔醜座は先の「七夕の会」で怪我をし、しばらくは表に出ないようにしていた。その間、柘榴帝に命じられるままに蓮に関する隠ぺい工作を行っていた。爆薬を片づけ周囲の口封じをし、暗殺計画を見事になかったことにして、ひと段落ついたと思ったら今度は古謝の神衣曲だ。優秀な鎮官の魔醜座には息つく暇もない。次から次へとふりかかる難題にいい加減に腹もたっている。


「この上を渡れ。それが第一の段だ」


 唖然と立ちすくむ古謝に、だから不機嫌にそう告げていた。


「これを……わたる?」

「そうだ」


 茫然とつぶやく古謝の前には、魔醜座が苦労して設置した針山がある。楽舎の裏、人知れずある小さな庭の端から端まで灰色の剣山が延々と伸びている。針の長さは足首ほどもあり、剣山の道は人の片腕くらいの幅だ。

 魔醜座はその最奥を指さした。


「あそこまで行って戻ってこい。それを百回だ」

「なんで? そんなことしたら」


 困惑する古謝に留飲が下がった。この針山を素足で百往復もすれば、足が潰れ歩けなくなる。それでもいいと思えるものだけが神衣曲を習得できるのだ。


「無理なら私は構わない。これは神衣曲の習得に必要な儀式だ。私が考えたわけではない」


 古謝は意を決し、針山へ一歩踏み出した。


「っ、ぐぅぅぅッ――!」


 容赦なく鋭い針が足の裏から甲までを貫いた。古謝はそこから一歩を踏み出せずにいる。魔醜座は冷静にそれを眺めていた。

 この針山は一足進むだけでも大怪我をおう。頑丈で折れない針は人の筋肉だけでなく軟骨まで容赦なくうがつ。いかな豪傑でも百往復どころか庭の端まで辿りつくこともできないだろう。

 古謝はしゃくりあげ泣きながら、それでも豪気なことにもう一歩を踏み出した。ずぶずぶと多量の針が左足を貫通し、苦悶の悲鳴がこだまする。


「やめたくなったら言え。助けてやる」


 魔醜座がそばにいるのはそのためだった。極限状態で行われる神衣曲の習得には必ず介助者が必要となる。奏者が死なないように見極め助け、手当てするのが魔醜座の役目だ。


「っ、こんなこと、なんで必要なんだよ!?」


 二歩を進めたまま歩けないでいる古謝に、魔醜座は冷たく笑ってやった。


「柘榴様から聞かなかったのか?」


 神衣曲の習得には九つの段をへる必要がる。それぞれが極端な拷問となっていて、段をこなす過程で曲を奏でるための素養を得るのだ。

 いま古謝が行っているのは初期の、痛覚の段だった。痛みを受け入れその存在を忘れられなければ、この段は終わらない。

 悲鳴をあげた古謝はそれでも足をまた進めようとした。片足を持ち上げる際に針が抜け擦れ、苦痛の呻きが響き渡った。


「っ、……おれは、……おれは、諦めないっ……!」


 息をあらげて前を見る目に、揺るがぬ決意がある。魔醜座はため息をつく。案外、長引くのかもしれない。誰も訪れない小さな裏庭には、またひとつ古謝の悲鳴が響きわたった。


 ****


 そのころ、別の場所でも悲鳴が響いていた。美蛾娘の宮である。


「まだ託宣は降りぬのか?」

「は、今しばらく」


 美蛾娘は呪い師に宮女の背を焼かせ、羅刹女神らせつにょしんから新たな助言をたまわろうとしていた。七夕の会で寵愛を得た蓮楽人を失脚させるためだ。


「なにかあるはずじゃ。なにか。ああ忌々しい!」


 またひとつ悲鳴をあげた宮女が白目を剥き息絶える。焼きごてを当てていた呪い師は死体を部屋の隅へ運ばせた。すでに焼けただれた宮女の死骸は山と積みあがり、部屋には肉の焦げる独特の臭いがたれこめている。

 呪い師は吐くのをこらえ「次を」と新たな宮女を運ばせた。必死に抵抗しようとする宮女を押さえつけ、背に赤く熱した焼きごてを当てる。羅刹女神からの託宣は中々下りなかった。


「まだかえ!? あまりに遅いとそちらも供物にしてくれるぞ」


 呪い師は慌てて拷問の手を速めた。

 羅刹女神は退屈しているようだった。血と肉を何より求める戦神は、それでも続けられる供物の悲鳴についに答えた。


 ――蓮楽人を天河てんがの針山に捧げて殺せ。さすれば百万の騎兵が味方するであろう。――


「よくやった」


 託宣に満足げな美蛾娘はさっそく兵を向かわせようとしている。呪い師は首を斬られる覚悟で慌てて引き止めた。


「恐れながら申し上げます。蓮楽人はいまや寵妃です。迂闊に手を出されては御身に危険がおよぶかと」

「愚かものめ。妾がさようなこと思い至らぬと思うたか」


 金扇を開いた美蛾娘は、宮女に黒い布人形を持ってこさせた。人形には赤墨で呪詛の言葉と、第三皇子・紫香楽しがらきの名が書かれてある。


「これを蓮楽人の宮へ持っていって罪をなすりつけるのじゃ」


 皇族を害する行為は見つかれば大罪だ。

 柘榴が即位してからすぐ、美蛾娘は第三皇子の紫香楽しがらきをそれとなく支持してきた。第三皇子を蓮が呪ったとなれば、その後見人たる美蛾娘が罰をくだしても問題ない。

 何より羅刹女神のお告げもある。かの戦神が「それでうまくいく」というのならその通りにすればいいのだ。呪い人形を兵に持たせて美蛾娘は満足げだった。


「楽しみじゃのう」


 天河てんがの針山を思い浮かべ美蛾娘はくすくす笑う。川べりに作らせた針山は彼女のお気に入りだ。落ちた者は必ず死ぬ――その悲惨な死を想像し、美蛾娘は快感に身を震わせていた。

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