祝水の宴
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「
滅多な用ではけして入れない女宮へ、この時ばかりは招かれた男宮の才人たちも赴く。
春うららかな青空の下を蒼白な顔で風虎は歩いていた。そのうしろを蓮と古謝が、魔醜座に見張られるようにしてついてきている。
蓮は隙のない足取りで鋭く周囲を見回していた。古謝はここ一週間ずっと魔醜座に甘やかされて、すっかり鎮官になついていた。
「なぁ、あれ何? どうしてみんな俺たちを壁の上から見てるのかなぁ」
聞かれて、すぐ横を歩いていた魔醜座は女宮の塀を見あげた。
人の背より高い土塀の上に女官たちが顔をのぞかせ、珍かな男宮の楽人たちの様子を窺っていた。数十、数百の女官たちが黄色い声を上げ、木登りに興じているのは異様だ。塀の上に位の高い貴人の姿を見かけて、魔醜座は顔を覆う黒布の下で苦笑した。
「気にするな。もの珍しいのだろう」
「ふうん」
古謝は足元に投げられてきた包みを拾い、なかを見て破顔する。
「わっ、菓子だ! ありがとー!」
古謝が塀の上に手をふると、木の枝に腰かけた若い女官がにっこりと笑いかえしてくる。
魔醜座は見なかったことにした。どうせ止めても無駄だし、これくらいの息抜きがないと後宮の暮らしは息がつまってしまう。
蓮が「見せてみろ」と古謝の包みを覗きこみ、それが無害かどうか確かめている。
「普通の菓子だよー、大丈夫」
「懲りないな。まあ、たぶん大丈夫だろう」
「たぶん?」
「嫌なら捨てろ」
包みを見て仲良さげに話し合っている二人へ、塀の上からさらに包みが祝儀のように投げられた。たまたま身に当たった包みに蓮が顔をしかめると、塀の上から歓喜の悲鳴が上がる。迷惑そうに飛んできたほうを見る蓮に場が沸き、さらに包みが投げられた。蓮の凛とした佇まいは女官たちの贔屓心をおおいに買ったようだ。たまさか目にした男宮の者が蓮ほど麗しければ、権力争いに興味のない女官たちが熱を上げるのもわかる――魔醜座は興味深くその様子を観察していた。
「なにか?」
視線に気づいた蓮が眼光鋭く睨みつけてきた。牽制するような目つきに魔醜座は昔飼っていた子猫の威嚇を思い出した。
「いや。受け取ってやらぬのか?」
投げられた包みを捨てているのを揶揄すれば、蓮はきりとした笑みを浮かべてみせる。
「受け取られては困るでしょう? 後宮で、男女間の交わりは厳禁です」
魔醜座が肩をすくめると、蓮はすぐにそっぽを向いてしまう。可愛げのない素振りは昔飼っていた子猫にそっくりで、魔醜座はこらえきれず静かに笑っていた。視界の端では古謝が、前を歩く風虎に追いつき話しかけている。
「おじさん、どうしたの? 顔色悪いよー」
風虎は答えなかった。ただ黙々と歩くその足取りは死地へ赴く者のそれだ。
天河へ魔醜座が来てからというもの、古謝は筝をまったく練習していない。天帝の前で無様な音を披露すれば今度こそ楽人たちは美蛾娘に根絶やしにされてしまう。風虎は死を覚悟していた。
「おじさんこれ食べる? おいしいよー」
古謝は恐れを知らないようだ。無知であることは、後宮ではこの上なくおそろしいことだ。
風虎はため息をつく気力もなく、白い顔で力なく笑った。
「安心しろ。いざとなれば、儂がすべての罪をかぶれるように努力する」
「なんの話?」
「なんでもない、気にするな」
風虎は女宮のうつくしい春の花々を目に焼きつけていた。最後に見るのがこれほど鮮やかな景色なら贅沢な話かもしれない、そう自らをわびしく慰めていた。
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