九度鐘

 ちょうどその頃、柘榴も橋の上から双眼鏡で天河での成り行きを見ていた。棒打ちにいそしむ宮女と死にかけている宮女。

 ふと視線を感じ双眼鏡をずらし見ると、まっすぐにこちらを睨みつけてくる蓮の姿があった。

 目が合った。そう感じ柘榴は身を震わせた。殺意のこもる少年の鋭い目つきには思うところがある。


「ねぇ」


 双眼鏡を覗いたままですぐ横にいた鎮官に呼びかけた。


「最近、男宮にあたらしい楽人が入った?」

「はい。数時間前に選抜が行われ、二名が生き残りました」

?」

「はい」


 異様な言葉にちらりと鎮官を見るが、彼は黒布覆いの下で静かに頷くだけだ。


「ふうん」


 柘榴は驚かなかった。大方の察しはつく。


(あの女の仕業だろう)


 双眼鏡で元凶を探すと、美蛾娘は女宮の川べりに立ち率先して宮女へと矢をいさせていた。船上にいる宮女はすでに五本目の矢をくらい、ふらふらになっている。


「まったく、酷いことを」


 柘榴は喉奥で唸ってしまう。すくなくとも棒で叩いたほうの宮女を柘榴は助けてやるつもりだったのに。

 王宮のしきたりからすれば柘榴が今回くだした処遇は甘すぎる、いっそ恩情ともいえるものだ。彼女たちを哀れんでの処遇だった。


(後宮に囲われた者は籠の中の鳥。ここには今生で望むすべてがある。しかし本物の愛だけがない)


 後宮で道を踏み外した宮女たちが柘榴はひどくうらやましい。己の欲望のために生きるその有り様が妬ましく、同時に殺してしまいたいとも思う。相反する感情をもてあまし、ふたりに恩情を与えることにしたのだ。ひとりは愛する者に殺され、もうひとりは生き延びられる刑罰を――けれどその思惑も美蛾娘のせいで台無しになった。

 双眼鏡を覗くとちょうど六本目の矢が射られたところだ。殴られ瀕死の宮女にも矢が射かけられている。あのふたりは遠からず死ぬだろう。

 鎮官に双眼鏡をかえし柘榴はため息をつく。もう見る価値もない、そう衣を翻しかけたとき遠くで低い鐘の音がした。

 音は慟哭するように天をつき王宮中に響き渡った。その鐘の意味を知るものは固まり、顔をこわばらせて思わず晴天をあおぎ見た。

 もの悲しく尾を引く音は腹底に響き不安をあおるものだ。音は一回二回と続けられ、きっちり九回で止まった。


「柘榴さま」


 音の響きがおさまるや鎮官たちが一斉に地へとひれ伏した。両膝をつき武器を降ろして皇族に対するなかでも最上の礼を捧げてくる。


「コンシー、フォワンシャン。万歳マンセー万歳マンセー万々歳マンマンセー


 柘榴は瞬間的に目をつむっていた。王宮にある大鐘が九度鳴る。それは現天帝の崩御を意味する。


「ようやく……」


 柘榴にとって父・鳳梨帝ほうりていは怨敵だった。その死が近いことは薫香がすこし前から柘榴自身へ移ったことからもわかっていた。みな薄々は察していたことだ。じきに鳳梨帝は崩御するだろうこと、そして次の天帝たる器はその第一子ではなく、薫香が漂いはじめた第二子の柘榴であろうことも。




 鐘の音が響き渡ると人々のざわめきは大きくなっていった。「天帝崩御」の噂が瞬時に広まり宮女の刑罰どころではなくなった。

 美蛾娘は知らせを聞くなり血相を変え立ち上がった。


「早すぎる!」


 天帝の崩御が近いのは美蛾娘も薄々感じていたことだ。御身から発する薫香はしだいに薄れほとんど消えかけていたのだ。出会った頃には御前に立つだけで腰が抜けるほど甘美だったのに、今や天帝はただびとのようになっていた。だからこそ美蛾娘は子を産もうと躍起になっていたのだ。

 現天帝・鳳梨帝ほうりていには子が十三人いるが、順当にいけば世継ぎは第一子の不花ふばなか、あるいは第二子の柘榴となる。美蛾娘は自身で子を産み次の天帝となしたかったのだ。天帝が崩御した後も権勢をほこれるようにと――その企みの最中さなかにどうやら天帝はみまかってしまった。

 美蛾娘は慌てて衣を翻す。本当に鳳梨帝は死んだのか、もしそうならすべきことが山ほどある。

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