56-13話 スタッフルームへようこそ
「へーい!! らっしゃーい!!」
転移魔法陣の先でクロウを出迎えたのは、ナビだった。
回転式の椅子がぐるんと回り、そこに座ったナビが笑顔でヘビ君の口をぱくぱくさせていた。
足元は回転式だが、椅子じたいはビロードのようなワインレッドの布で作られた、いわゆるバロック式の豪奢な肘掛け椅子だ。王の座るような豪華な椅子というイメージと、現代的な使いやすさが同居した奇妙な椅子である。
「スタッフ専用ルームにようこそ!」
「なにがスタッフだ」
息を吐きつつ、黒幕っぽく腕を広げるナビへ近寄る。
部屋の中はどこまでも暗闇が続いていて、その中にクロウとナビ、そして椅子とテーブルだけがぽっかりと浮かび上がっている。テーブルの上には試作品のチョコレートと、魔導機関のひとつであるスマートナビ。そして、その上には様々な階層の映像が中継された画面が宙に浮かんでいた。
クロウは足を止めると、いちど周囲を見回したあとに視線を戻した。
「だいたいそれは誰の椅子だ? まさか……」
「私のだよ! 主様の椅子に座るわけないじゃないですか~」
べちべちと肘掛けを叩きながら言うナビ。
「それなら良いが」
「それより! 勇者君はうまく引っかかってくれましたね~!」
ナビが「してやったり」という顔でニコニコと言う。
「…………そうだな」
そういうことにしておいた。面倒臭かったからだ。
「勇者はどうなったんだ?」
「ラスボスに相応しい魔法生物と戦ってもらってるよ~。だから、ちょっとは時間が稼げるはず」
「ラスボス?」
「魔女的な。見る?」
「見てたら時間が無くなるだろ」
「まあ確かにね! とりあえず、まずはこれを見てよ!!」
ナビは笑って立ち上がると、指先をぱちんと鳴らした。
テーブルと椅子が消え去り、映像もぶちんとちぎれる。同時に、背後の暗闇に紛れた布がばさりと落ちた。その向こうに、巨大な砂時計が現れる。硝子の向こうには、上からいまもさらさらと少しずつ砂粒が落ちてきていた。それらはすべて深い赤と黒の小さな砂粒だったが、下に落ちると液体のようにも見える。はたまた巨大なひとつのブラッドストーンのようで、赤い模様がひとつに繋がったようにうねっている。
「どう?」
「……どう、と言われても」
呆れ半分で、クロウは硝子を見つめた。
「こんだけ目立つならラスボスのところに設置しても良かったんだけど」
「わざとやってるのか?」
真顔で聞いてしまう。
おもむろに近寄り、硝子に手で触れる。ギリ、と指先に力が入った。
「……哀れなものだ。こんなものまで用意され、矮小な存在に成り果てて――」
神は世界に溶けるものである。
神の権能は、神そのもの。世界に溶ければ神ひとりのものではなくなる。溶けた神の力は人々の中に浸透し、やがて誰もが扱えるようになる。いまや誰もが水に触れることができ、火の力を行使できるように。
だが火の龍はそれを根本から拒否した。世界に君臨することを望んだ。
その傲慢さゆえに、火の権能を奪われた。
火の権能を奪うだけ奪って、地の底へ追い立てた世界。
そのくせ自分たちが奪った神の影に怯える人々は、ブラッドガルドにとってどう映っていたのか定かではない。火という最大のアイデンティティを失って虚無に堕ち、自分を再定義し直してまで世界を呪ってなおすがりついた世界は、彼にとって空虚なものに過ぎなかった。世界はつまらないものに成り下がった。
それこそが傲慢であると気付きもせずに。
「……はたして戻ってくるのやら」
クロウは振り返る。
「残った魔力の欠片を拾い集めようが――それは荒野で砂粒を拾う行為に他ならない。それはブラッドガルドだったものであり、ブラッドガルドではない……。クリスタルシュガーのように簡単にはいかないだろう。これはあくまで呼び水にしかならんのは理解しているんだろうな?」
「それでもぜんぜん構わないんですよ!」
ナビは断言した。
「必要だったのはまさにそれなんですから! 呼び戻すための、欠片です。可能性があるなら、主さまのためにもこれは必要だったんですよ! 私は主さまの使い魔なんですから!」
冒険者をなかば騙すような形になったが、山のような報酬はその対価でもある。どれほど魔石と砂糖と塩と情報をばらまこうが構わなかった。神の実が流出しようが、魔導機関が広まろうが、どうでもよかったのだ。
主の願いはただひとつ。
「使い魔なら使い魔らしい行動をしようとは思わんのか……?」
ナビはいわゆる、ゲームマスターとしての役割を持っている。いわばゲームの進行役や管理者だ。巨大な迷宮という舞台に生まれるイベントを組み込み、プレイヤーである冒険者をまとめ、ルールを定めてシナリオを進行させる。
「ゲームプレイヤーのクロウ君にそれ言われても……」
そしてクロウはゲームのプレイヤーだ。
本来、自分の迷宮を踏破する使い魔など存在しない。存在するはずがない。だが、この迷宮そのものがゲームなのだ。そしてクロウはプレイヤーである以上、迷宮を踏破する役目を持っている。
だが、そのクロウが踏破を目前にして、スタッフルームにやってきたということは。
「まあでも、私たちは主の特徴を受け継いでますからね! しょうがないっちゃしょうがないんですよ!」
ナビはヘビ君の無いほうの手で、指折り数える。
「魔法が使えないこと。魔力が見えないこと。姿かたち。ヘビ君。そしてなにより――」
笑ったナビの目の奥に、僅かに影が見えた。
「イレギュラーであること」
そもそもがすべてイレギュラーだった。
迷宮がゲーム化したことも、冒険者を呼び込むことも。
魔法生物が大量に生み出され、使い魔が冒険者に依頼することも。
あらゆる報酬が出されることも、人が死なないように設計されていることも。
使い魔が依頼をすることも、踏破する目的の使い魔がいることも。
なにもかもが通常と違っていた。
なにしろこの世界にとっての本当の招かれざる客は、ブラッドガルドではなかったのだから。誰もがブラッドガルドの脅威に目を奪われ、その横で定められた運命をぶん殴ろうとしている愚者に気付きもしなかった。
そんな人物を模して生まれた使い魔自身が、イレギュラーであるという性質に忠実に従ったら、どうなるのか。
「しかし、勇者が主と出会っていた可能性も見てみたかった気はするな。迷宮を止めるには主が死ぬしかない。果たして自分の幼馴染みを殺せるのか、見ものだったが」
「わざわざこっち来といてよくソレ言えますよね?」
「主の願いが叶って目覚めても、その代償に死ぬかもしれんのだぞ。そして――そのブラッドガルドは、世界を消滅させるために戻ってくるのかもしれない、と」
ナビはクロウの横顔を見つめた。
「火という自分を失った残滓、なれの果てとはいえ、火の龍の欠片を呼び起こそうというのだ」
火の龍との契約に必要なものは、命の炎。
聖女が風の鳥に自由を捧げたように――代償は必要だ。
クロウの目に影が宿る。
「我が主はその命をもって、代償を支払うことになるだろう」
僅かにその口の端が上がる。
その表情はあきらかに、自らの主に対してのものではない。それはまるで――。
「それでもなお、いにしえの神を呼び戻そうというのなら――」
「いやそんなことどうでもいいんですよ」
真顔でのたまうナビ。
「……は?」
思わず心からの「は?」が出てしまうクロウ。
「ブラッドガルドが龍だとか火だとかそんなことはどうでもいいんですよ。ジャガーだろうがゴミクズだろうが絞りかすだろうが燃え尽きた蚊取り線香以下の存在だろうが」
「俺はそこまで言ってないんだが?」
「いや言ってませんでした? 水に濡れた導火線以下のクソザコミミズおじさんとか……」
「言ってないが!?」
「まあとにかくなんでも良くてですね」
――罵倒が気になって話が頭に入ってこねぇ……。
「とにかく、いいんですよなんだって」
「全然わからん」
「その先を私が言うのは無粋なんです!」
ナビが断言したので、これ以上は無意味だとクロウは断じた。
「私たちはここまでなんです。代償が必要だろうが、この先はブラッドガルドが決めること。ほら、ブラッドガルドにとっても、この世界は退屈で、空虚で、なんの意味もないものなんでしょう?」
取り戻すものもなく、無意味で、もはや隔絶された世界。
「ああ、そうだ。……その通りだ」
「だったら……しょうがないですよね」
「ああ。……しょうがない」
硝子の向こうで、集められた魔力が流動した。砂粒であるにも関わらず、液体のように蠢いている。クロウに向かって何本もの触手のような蛇のような形となって、硝子を割ろうとしていた。
ビキリと音がして、砂時計の硝子に罅が入った。
「ブラッドガルドは傲慢だからな」
「んふふ。じゃあまた後で会いましょう、クロウ君!」
言うが早いか、クロウは目を閉じた。詠唱もなく、呪文もなく。唐突にその姿形が黒い闇と化すと、糸の切れた操り人形のように下を向き、肩から力が抜けた。口も目もすべての器官が消えてしまったように真っ黒な体。
派手に硝子の割れる音がして、赤い色を伴ったどろどろとした泥のようなものが噴きあがった。それらはあっという間にクロウを中心にして渦巻き、赤い色が龍を模した魔法陣を描いた。唐突に静かになる。
闇の中で、ナビが同じ闇色のカーテンを勢いよく引いた。カーテンは軽い音を響かせながら、ナビごと地面に落ちて溶けた。その先に、瑠璃がいた。いかにもといった豪奢な椅子に腰掛け、両手は肘掛けにそっと乗せられ、目を閉じたまま座っている。
黒く染まったクロウの体がどろどろと溶けながら、ゆっくりと瑠璃へ向かって足を踏み出した。かつて怪物と化した体が溶けていったように。
伸ばした手から角張った手が出現し、蛹から抜け出すように瑠璃に伸ばされた。
*
「……は?」
息を切らしたリクたちは、目の前に広がる光景に呆気にとられた。
なにも、いままでのように未知の空間が広がっていたわけではない。なにしろそこは、迷宮の外。第一階層の入り口のすぐそばだったのだから。
というよりなにひとつ理解できなかった。ナビからラスボスですと紹介された「魔女」は、瑠璃ではなかった。というよりリクの記憶が正しければ、ブラッドガルドがアンジェリカをからかった際に使ったゲームキャラである『宵闇の魔女』そのものが出てきた。
事情を知らなければ確かに彼女を迷宮の主と思い込んだかもしれなかった。
だが、苦戦しながらも彼女を倒し、いざ本物の迷宮の主のところへと行こうとすると――唐突に周囲からいい感じの音楽が流れ始めたのだった。
暗闇の中を下から上に流れていくスタッフロール。(おまけにほとんどの名前が「ナビ」で埋まっていた。)どこから撮っていたのかわからない冒険中の映像や写真。リクにとっては現代において何度も見た光景だが、異世界の人々にとっては呆気にとられる展開でしかなかった。エンディングロールの最後に流れる「...and you!」、そして「END」からの壮大な音楽で締められたかと思うと――、リクたちはここにいた、というわけだ。
「い……いったいこれは、どういうことなんですか?」
「外に……弾き飛ばされた?」
ハンスでさえ無防備に弾き飛ばされたらしく、ハッと気が付くと急いでフードをかぶり直していた。
――ゲームだった、ということしかわからねぇ……。
しかし、外に弾き飛ばされただけならまだなんとか説明がつく。
だがここには、同じように何故か茫然としている冒険者たちの姿があったのだ。
「おっ、勇者じゃん!」
リクたちの存在に気付いた冒険者たちが声をあげる。
「なんだよ、アンタたちもはじき出されたのか?」
「えっ……、いや、弾き飛ばされたっていうか……」
たぶん当たっているのだが、なんとも言えない。
というより、ほぼ全員が外に弾き飛ばされてしまったらしい。
「またなんか大規模なイベントでもあるんじゃないか?」
「準備期間的な?」
「誰かが最下層まで行ったから中身が変わるとか……?」
「マジかよ!? 俺、第三階層のあのバカみたいにデカい龍倒したかったんだけど!?」
――いや、この状況に慣れすぎだろ……。
もはや迷宮というより巨大遊園地のような扱いになっている。
すると、迷宮の入り口のほうからブツンという音がした。水晶板に魔力が通った音だ。
「おっ。繋がった?」
「ナビちゃ~~ん!」
「おいナビ~! これ説明してくれよ~!」
冒険者からやんやと声があがった。映像はしばらく乱れたままだったが、やがて黒い画面を映し出した。
「あれ? ナビ?」
「まだ映ってないみたいだな」
「おーい。ナビちゃーん」
おのおのが声をかけていると、不意に映像から声がした。
『……ああ、なるほど。こう使うわけか……』
低く、地の底から響くような声に、その場にいた全員からドッと冷や汗が流れた。
脳天気な空気が一掃され、誰もが足元から知らぬ間にのぼってきた恐怖に立ち尽くした。
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