53話 クレープを食べよう(前)

「……おい、なんだこれは」

「なんだこれはって言われても……」


 瑠璃は、多くの女性たちを前にやや途方に暮れていた。

 それは予想の範疇ではあったものの、実際に見てみるとやはり圧倒されてしまう。


 二人がいるのは地元の科学博物館。

 そして開催されているイベントは刀剣展。


 有名所の刀剣が一堂に会する機会というのは全国でもそれほど無い。それが日曜ともなればなおさら人が集まっていた。それでも人間に擬態しているとはいえブラッドガルドは長身。見失わないという点では便利だった。瑠璃が手をとって先導はしていたものの、いかんせん人が多かった。


「最近は女性人気あるからね~」

「女の剣士でも多いのか」

「それわかってて言ってるよね?」


 さすがにツッコミは入れておかねばならない。


「ほら、入り口に和風の男キャラのパネルがあったでしょ。あれが刀剣をモチーフにしたゲームのキャラ。あれが火付け役だね」

「ゲームと現実は違うだろうが」

「でもキャラが好きから入って、実物のことを知りたいって人は結構いるんだよ。おかげで消失した刀剣を復活させたりとかもあるみたいだし」

「全然わからん……」


 瑠璃はようやく前にやってくると、硝子ケースの中に鎮座する刃を指さす。


「それよりほら、これとか有名な刃文らしいよ」

「刃文?」

「ここの模様で流派とか時代の特徴がわかるんだって!」


 パンフレットに書かれたのをそのまま読む瑠璃。

 だが、ブラッドガルドからの返答はない。続きを読めということなのかと隣を見上げる。当の魔人の視線は目の前の刀剣から動かない。


「……」


 周囲の人間もきゃあきゃあと小さな声で何事か言いながら見ていくが、入れ替わり立ち替わりしてもブラッドガルドだけは動かない。ぐい、と小さくブラッドガルドの腕を引いてみる。腕だけが引っ張られたが、ブラッドガルドは興味深そうに延々と刃を見ていた。瑠璃もそこまで興味があるわけでもない。しかし、どこか輝いて見えるその瞳を眺めつつ、もう少しここにいることにした。

 とはいえ。

 ブラッドガルドの指先が硝子ケースの中へ物理的に入り込みそうになった瞬間、気合いで引っ張ったのだが。


「ふへえ~」


 やや離れたところまでやってくると、ようやく一息ついた。わかっていたこととはいえ、さすがの盛況ぶり。ブラッドガルドも展示コーナーへと視線を向けているが、あの山の中にもう一度突っ込むには気力が必要らしい。


「……さすがに人が多いね~」


 瑠璃が言いかけたとき、突然廊下のほうから声が聞こえた。


「ええっ、それ本当!?」

「は、はい。いま連絡があって……!」


 思わず視線がそっちにつられる。

 二人の男女が何か言い合っている。


「困ったな……時間をずらすしかないか……」


 眼鏡の男が、頭を掻きながら顔を顰めている。

 瑠璃につられて、ブラッドガルドも男女のほうを見た。


「それとも……」


 男のほうが何事か言いながら、きょろきょろとあたりを見回した。そして、ブラッドガルドを二度見する。三度見もした。直後に勢いよく突っ込んでくる男に、二人は対処しきれなかった。


「そ、そこの人たち!」

「は、はいッ!?」

「きみたち時間はッ!? もし良かったら……っ協力してもらいたいことがあるんだっ!」

「……は?」

「もちろんお礼はするよっ、ほらっ、コラボスイーツの引換券とかしかないけど……っ」

「え、ちょ、ちょっと待って!」


 瑠璃は慌てて止める。


「……つまり、対価か……」


 だが、隣で『お礼』と『スイーツ』しか聞いてない――あるいは理解できていない――魔人がいた。

 そして瑠璃はブラッドガルドを見上げて、サッと顔色を青くした。


 その十分後、今度は男は嬉々として言った。


「凄い! 似合ってるよ!」


 顔を輝かせる。

 その前には、黒い和服に身を包んだブラッドガルドがいた。和服、とはいっても、どことなく現代的なパーツがところどころにあり、ファンタジックな空気が漂っていた。件のゲームに出てくるキャラクターの服装――つまりはコスプレなのだが、いわゆるイベント用だ。舞台などにもなっているため、一応は『本人』というていのキャラクターなのである。

 生粋の日本人とも違う、どこの出身ともわからぬブラッドガルドの相貌は、ちょうどパネルの中から出てきたかのようでもある。


「いや本当にすまないね! イベントの俳優さんが、電車の遅延に巻き込まれちゃったみたいで!」

「このままだと午前のイベントが中止の可能性もありましたからね~!」


 隣で女性も目を輝かせている。


 その更に隣で、完全に『やっちまった』という表情の瑠璃。


 ――ああああああーーッ、ブラッド君にそんな事させるとか大丈夫なのかどうなのかもう全然わからんーーッ


 死ぬほどパニックになりつつ、瑠璃は声をあげる。


「あ……あの、ブラッド君、そんなに日本語いろいろうまくないんですけどっ……!」

「大丈夫大丈夫! 館内を回ってもらうだけだよ!」


 ――ホントに!?


 だらだらと滝のような汗が流れるのがわかる。顔も熱くなっている。


「それに、独特な日本語で覚えちゃったってだけでしょ? しゃべり方だけなら流ちょうだし大丈夫!」

「ま、まあ……いま矯正中ですけど……」


 流ちょうに聞こえるのは、ブラッドガルドが扉を通過している時にも『扉』の魔力が干渉するかららしい。

 瑠璃の部屋に通じている扉は、いわゆる召還魔法陣を毎回通るようなもの。そこに仕込まれた言語魔術は、少なからず二人の意思疎通を円滑にしている。


「それにね。やってもらうのは、今度の舞台で敵方にまわってるキャラなんだ。あまり喋らないし、目つきもこんな感じだからね。演技とかは考えずに、このままでもぜんぜん構わないよ」

「で、でも、このキャラにはちゃんと演じてる役者さんがいるんですよね!?」

「演劇でも公演によって演者が変わることはあるから、大丈夫ですよ」


 にっこりと言われても、心臓が痛いことには変わりない。


「……おい、何を愉快な顔をしている」

「愉快な顔!?」

「菓子を対価にこれを着て練り歩けばいいのだろうが」

「んああああーーッ! 合ってるけどそこだけしか合ってないーーッ!!」


 だが他に何が間違っているのかを指摘できない。


「あ~、いいね! 実はキャラクター知ってる?」


 これが素です、とはさすがに言えない。


「時間だ、頼んだよ!」

「貴様こそ対価は忘れるなよ」

「わかってるよ~!」


 喜ぶ男女とは裏腹に、瑠璃はいまにも飛び出そうな心臓とともに少し後ろを歩き始めた。

 イベントはエントランスで行われた。展示コーナーから物販を経て、エントランスに戻ってきた女性たちからわあっ、という声が響く。

 衣服の作り込みもそうだが、見たことのない『役者』であるブラッドガルドに目を奪われたのだ。


 ――だ、大丈夫かな、あれ……!


 だが確かに何もしなくていい、と言われただけはあった。ここでのイベントは姿を現しての舞台の宣伝であって、写真撮影をのぞいてはイベントスタッフが警備についていた。

 周りが人だかりにならないように距離をとってくれていたのもあり、ブラッドガルドの動きは制限されていない。


「ねえあれ、変なもの写ったりしない?」


 思わず、省エネ型で出てきているヨナルに尋ねる。

 ヨナルは首を振ったが、自分の主がどこまで何を考えているかまではわかるわけがなかった。


 そして当のブラッドガルドはといえば。

 途中から、自分を見ている女性達を餌として認識していた。微かに笑みを浮かべ、そこから少しばかりの魔力をいただいておく。派手にやりすぎず、熱をあげている女性陣から魔力をいただくにはちょうど良かった。

 そしてちらりと柱の陰から自分を見ている瑠璃を発見すると、瑠璃にはニヤリとした笑みを投げてやった。瑠璃だけは完全に笑みに騙されずに微妙な表情をしているのを見ると、鼻を鳴らして顔を逸らした。


 イベントはそつなく終わり、現場監督の男がエントランスの影で小声で言った。


「いや~、助かったよ! あとは中庭で撮影といきたいんだけど、いいかな!?」

「……まだやるのか?」

「大丈夫大丈夫、ポーズはこっちで指示するから!」


 案内されて外へと向かう二人。スタッフのひとりが友達兼通訳と認識している瑠璃にも声をかけてくれたので、瑠璃も外へと向かうことにした。


「ほら、あのへんでポーズを撮ってほしいんだ」


 示されたのは、博物館の前にあるきちんと整備された中庭だ。雰囲気としては少し洋風だが、これはこれで写真映えしやすい。


「それで、やってほしいのは――」


 監督が言った瞬間、強烈な高い音が響いた。


「うわっ!?」

「なんだっ!」


 一台の車が中庭近くの駐車場に突っ込んできたのだ。

 誰もが事故を想像した。


 だが後ろから追いかけてきた警察車両を見て、ただの事故でないことをすぐさま突きつけられた。他の車を巻き込んで事故を起こした車の中から、慌てたように男が飛び出してくる。そいつはふらつきながらも警察から逃げるように走ってきて、あろうことか博物館の入り口へと走ってくる。


 悲鳴があがった。


「う、うわっ」


 瑠璃の声がした瞬間、ブラッドガルドが無言で瑠璃の肩を遠くへ押しやり、腰の刀を引き抜いた。


 たった一歩。

 ブラッドガルドの足が前に出る。


 途端、刀の切っ先がピタリと男の喉元へと突きつけられた。ブラッドガルドからの強烈な邪眼を食らった男が、喉元から突きつけられた殺気に怯んだ。邪眼が男を捕らえる。時が止まったような一瞬。その隙をついて、男に重なった影から、二匹の影蛇が男をひっつかむ。男はあっけなく後ろへ引き倒された。

 端からみれば、剣の迫力におされて後ろに尻餅をついたようだ。


「ブラッド君っ!」


 飛ばされた瑠璃が慌てて振り返る。


「喚くな。気絶させただけだ」


 模造刀を下ろす。男は、ひっくり返ってぴくぴくと怯えていた。

 ブラッドガルドの邪眼で直視されたのだ。しばらくは腰を抜かしたままだろうし、恐怖とおびえは抜けないだろう。

 そこに後から追いかけてきた警官が、男を取り押さえた。ブラッドガルドの格好に驚いてはいたものの、おそらくコスプレをした役者の迫真の演技に驚いたのだろう――ということで、その場の理解は進んだ。


 あとはその様子を見ていた客だけが、盛り上がっていた。

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