クレープを食べよう(後)
「いや~~、凄いね、きみ! なんか武術とかやってた!?」
現場監督がブラッドガルドにニコニコと話しかける。
「魔力だが」
「魔力か~!」
――なんだと思われたんだろう、今の会話……。
通じているようで微妙に通じてない会話に、謎の不安を覚える瑠璃。
とはいえ、間違った日本語を覚えてしまっている、と言っただけあって、あまり深く突っ込まれずにはすんだ。
「まあでも、今のでちょっとゴタゴタしちゃったからねぇ」
監督はちらっと駐車場に目を向けた。
警察の人間が駐車場での被害状況を確認していた。
聞いた話によると、駐車場に車で突っ込んできた男はコンビニ強盗犯らしかった。車で逃走していたのを警察に追われ、ここに突っ込んできたのだ。駐車場に突っ込んだだけあって、被害を受けた車もいくつかある。
「うちの車もちょっと傷ついちゃったからね~。まあ、直接突っ込まれるよりはマシだけどさ」
視線を戻すと、再びニコッと笑った。
「ちょっと休憩しててもいいよ。素人さんをあんまり使うのも何だしね。ついでだから、これあげるよ」
「えっ?」
瑠璃が受け取ったのは、一枚の紙。
「これってこの近くの……」
「そうそう。しばらく時間かかっちゃうみたいだし、良かったらってことで」
「あっ、じゃあブラッド君の服は……」
「いいよいいよ、そのままで。すまないけど、まだ手が回らないし……。スペアだから」
瑠璃が何か言う前に、横からスッとビニールの何かが差し出される。
「もし良ければスタッフ用の腕章もありますから、使います?」
スタッフの女性が、自分の腕に巻いているのと同じものを瑠璃に手渡した。
「あ……、ありがとう、ございます?」
困惑しながらも受け取り
――い、いいのかなあ……。
「と、とりあえず、邪魔にならないようにあっち行こっか」
瑠璃はブラッドガルドの腕を引っ張った。下手なことを聞かれないようにスタッフから離れた。それを見ながら、スタッフと監督がニヤリと笑った。
「……いやあ。彼、居るだけでいい宣伝になるよねえ」
「ですよねぇ」
ニヤニヤとお互いに笑う。
「おっと、それじゃあ被害報告に行かないと」
*
「……で。ていよくしばらく追い出されたというわけか。貴様は」
コスプレ、もといキャラクター衣装のままのブラッドガルドが、横を歩く瑠璃に言う。
「まあね」
――正直、ブラッド君が警察に色々聞かれないだけ凄いマシ……!
スタッフ腕章もしているし、何かしらのイベントだというのは理解してもらえるだろう。ただ、やはり普通の格好ではないからか、通行人の視線を感じる。二度見くらいはまあ我慢するべきだ。
「それで、貴様は何処に向かっているのだ」
「そう遠くは無いよ。ちょうど向かい側の商店街に行くだけだし」
「格好もこのままでか?」
「いいじゃない! せっかくコレ貰ったんだから甘いものでも食べよ~ってね!」
「……む」
瑠璃が取りだした券を見ると、ブラッドガルドは黙ってその後を追った。
科学博物館の周辺は、大通りに面した商店街になっている。道に入ればアーケードもあり、休みの日はそこそこ賑わっている。昔は古い店ばかりが集まるシャッター街になっていたが、最近は若い人が増えて活気を取り戻してきたのだ。
ただでさえ長身のブラッドガルドを伴い、瑠璃は目的の店まで赴く。最近出来た店はどれも個性的だ。その中にある古い洋品店は、いまやいいアクセントになっている。
いくつかの店を通り過ぎたあと、瑠璃は持ち帰り専門のクレープ店にたどり着いた。スイーツ系の移り変わりはあれど、安定した人気を保っている。
店先に置かれたベンチに座り、足を組むブラッドガルド。瑠璃は注文したチョコクレープと、イチゴのクレープを手に戻った。
当然のようにチョコクレープを渡してから、ベンチの隣に座る。
まだ少し温かいクレープは、柔らかくも少し弾力がある。その中にはたっぷりのクリーム。口の中に入れると、ふくれて溢れそうになる。イチゴがほんの少し酸味を与えてくれて、甘さをおさえてくれるのもいい。
「……で、なんだこれは」
相変わらず他人には美味いのか不味いのかよくわからない態度で、当然のようにクレープについて尋ねるブラッドガルド。
「え~……。こんなとこでまでお菓子講義やんの~~?」
「なんだ、文句でもあるのか」
「無いけどさあ~……」
何もこんなとこで、と思わなくもない。
瑠璃は片手でスマホケースを開けると、仕方なく検索をかけた。
クレープはパンケーキの一種だ。
フランス北西部、ブルターニュ地方が発祥であると言われている。ブルターニュは痩せた土地で、小麦粉に代わってそばが栽培されていた。そのそば粉で作ったガレットという料理が元になったと言われているのだ。
日本ではそばといえば麺類のイメージだが、粥にされて食べられていたらしい。その粥を小石に落として焼けたのがはじまりと言われていて、ガレットという名前もフランス語のガレ、つまり小石から来ていると言われている。
「ルイ十三世の妃アンヌ王女が、ブルターニュで食べたガレットを気に入ったんだって。そこから宮廷料理に取り入れられて、生地が小麦粉に。砂糖とかも入れられたのがはじまりなんだって」
「またそのタイプか……」
完全にどこかで聞いたことのある内容に、ブラッドガルドはチョコクレープを頬張りながら目を細める。
頬についたチョコを軽く指で拭き取って舐めたあと、続きを口にする。
「しかし、クレープという言葉はどこから来てるんだ」
「クレープは”ちりめん”だって」
「ちりめん……?」
「たぶん、絹織物のちりめんのことじゃないかな。作り方は省略するけど、布が縮んで、表面に細かく波打ったような凹凸ができる布のことだよ。ほらここ、クレープ織って言葉が出てるし」
片手にとったスマホを見せてみる。
言葉がわかるかは別としてだ。
「いまはクレープは薄く焼いたパンケーキの総称だけど、そば粉を使ったやつはガレットって区別してるよ」
というより、クレープは甘味、ガレットは食事系、といったイメージだ。
「えーっと……ほら、あそこだ。ガレットってああいう感じのイメージ」
瑠璃が指さしたのは、ガレット専門店。
店の前に出ているメニューや写真にうつるそれは、クレープとはずいぶんイメージが違う。平たく焼いたものであるのは確かだが、四角になるように折られ、その中央には目玉焼きやベーコン、ツナといったものが乗せられている。
「……なるほど」
意味ありげに視線を戻す。
「あと、フランスだと二月二日にはクレープを食べる習慣があって。キリスト教の『聖燭祭』っていう、ロウソクを持って行進するお祭りがあるんだけど。その丸い形が光の形に似てるからって」
神の宗教が絡んだ瞬間、物凄い視線が飛んできた。
その場にいた全員が針で刺されたかのような痛みに異変を感じたが、瑠璃だけは受け流した。いちいち構っていたらキリがないからだ。
「……なんだ……それは……」
「ん~。キリスト教が布教するいつものパターンだよ。元々その土地にあった風習を取り込んで、広がってくっていう」
元々ブルターニュ地方にはクレープにまつわる風習も色々とあった。
それは両親に結婚の許しを得たときのOKを示すものであったり。
新婚の花嫁が古い戸棚の上に放り投げて、先祖に敬意を示すものであったり。
それらを取り込んだ結果、キリスト教として今の形になったのが聖燭祭、というわけらしい。
「まあでも、こういう昔ながらのやり方がいまでも残ってるってこと! 他にもえーっと……」
スマホをスクロールさせ、めぼしいものは無いか探す。
「たとえば、クレープで占いするとかね!」
「占い……?」
「うん。すごいよ~。ナポレオンもこの占いをしたっていう話があるんだって」
「ナポレオンが? わざわざ?」
既にこちらの世界での有名人が普通に通じていることについてはさておいて。
「左手にコインを持って、右手でクレープを返す。上手に返ったら幸福な一年になるっていう占いなんだって。一八一二年にナポレオンはこの占いをして、いざコインを握って、一枚目、二枚目と成功させたんだ~」
「ほう」
「ところが、五枚目に失敗したんだよ。でもどうせ占いだし、気にせずにそれは終わったんだ。ところがその年の十月、ロシアに進軍していたナポレオンは、撤退を余儀なくされたんだ」
「……へえ」
「どうせ降伏するだろうし物資と食糧を手に入れようと思ってたんだけど、いざ入ったら誰もいないし、しかも文化財ごと焼き払われたから」
「……」
「まあそれだけじゃなくて、ロシア軍からの攻撃を受けたりしたんだけど、何よりロシアの寒さが尋常じゃないし……寒さと飢餓で兵士もそれでまあナポレオンは『これが私の五枚目のクレープだ』と言ったとか言わないとか……」
「……」
「……ねえ。人がせっかく話してるのに聞いてる?」
瑠璃が呆れた声で、横を見ているブラッドガルドに言う。
ブラッドガルドは視線を戻さないまま、無言で何かを指さした。
つられるように瑠璃の目線がそちらを見る。
「う゛ぁあーー!!?!?」
そこには、いつの間にか目を輝かせた女性たちが、無愛想に残りのチョコクレープを頬張るブラッドガルドを見ていた。
「なんだろ~、なんかのコスプレ?」
「スタッフさんがいるからなんかの宣伝じゃない?」
ざわざわと注目されるブラッドガルドに、瑠璃はパニックに陥る。
「あ……あわわわ……っ」
ガタッと立ち上がると、ブラッドガルドの腕をとった。
「ぶ……ブラッド君っ、戻ろうっ、ねっ!?」
「……別に少しくらいはいいのではないか。宣伝なのだろう?」
「心にも無いこと言わないで!?」
とはいえ当の本人は、パニックになる瑠璃の様子を完全に楽しんでいたのだが。
ちなみにその後。
イベントでいっときだけ件のキャラクターを演じた『謎の役者』は、ネットニュースとあわせて少しだけSNSで話題になり――。同時に、キャラとチョコクレープの組み合わせが二次創作界隈の一部で流行して物議を醸した。
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