閑話7
「よしっ! それじゃあ始めるぞ!」
かけ声とともに、ワァッと人々の歓声があがった。
広場で始まったのはボアの解体だ。
いわゆる瑠璃の世界にいる野豚やイノシシに近い生物で、魔物と動物のどちらに分類するかは地域の凶暴度や、飼育されているかによって様々だ。二本の巨大な牙は天を向き、焦げ茶色の毛は太くゴワゴワとしている。大人になると二メートルを超え、ヌシと言われるような巨大なものになると三メートル近くになる体躯を持つ。
ただひとつ言えるのは、その肉が食べられるということ。
冬のために捕らえてきたボアを数体、収穫祭の日に解体する。肉はそのまま食べたり、残った分は塩漬けやソーセージに。皮などの素材とともに、皆で分けるのがこの村での習慣だった。
魔力嵐に囲まれていた間、中に取り残されたボアや牛は、冬のあいだの貴重な栄養源だった。
「いいぞぉ!」
「今年は大きいねえ」
「記念の年だしなあ!」
真っ先に盛り上がったのは、元々の村人たちだった。
彼らにとっては毎年のことであるが、大事な儀式であると同時に楽しみにしていた祭りでもある。
カインは王宮の建物から広場を見下ろし、隣のグレックに尋ねた。
「新しい人たちはどうです?」
「それなりに仲良くやってるよ。回復した奴らのほとんどが亡命を希望してる」
「そうですか」
「追放された犯罪者といっても、かなり無茶な締め付けで捕まった奴らばっかりだ。まあ、たまーに激しい奴がいるけどな」
愉快そうに笑うのを、カインは咎めなかった。
「本当はひとりひとり、きちんとケアしていきたかったのですが」
「それでも数は減ってるがな。死体も見つけ次第、土葬になるのは仕方ないな」
「放置しておいても、病が発生してしまいますからね。……迷宮戦争時の黒い呪いも、病だという話があります」
「そうなのか?」
グレックは首を傾げた。
「ありゃブラッドガルドの呪いだと思ってたが」
「本人が知らないと言っているんだから、まあそれは違うんでしょうね」
「……あー……」
この国でブラッドガルドに直接尋ねる、ということが出来るのは、カインくらいだろう。嘘をついていないという証拠もないが、嘘をついていまさら得をするかというとそうも思えない。
もうひとり――カイン以上にブラッドガルドに対して、もはや『親密』といっていいほど近い人間はいるが、普段はどこにいるのか尋ねる気もなかった。そんなことはどうでもいいことなのだ。
グレックが何か言い返そうとしたとき、外で歓声があがった。
「お。綺麗に剥いたな」
剥がされた毛皮が吊るされ、人々がそれに喜んでいる。
大きな牙も外され、解体する男たちの一人が掲げて見せつけていた。
「今後はボアの飼育もいいかもしれませんね」
「そうだなあ。いずれ全員をまかなえなくなる」
「いずれは商人がやってくるでしょうがね。国内用の飼育場もあったほうがいいでしょう。あくまで今後の話ですが」
飼育場といっても基本的に大人しい牛と違って、縄張りを見つけてそこを囲う形になるのだが。
王と騎士の会話にしては、敬語を使う人間があべこべだが、二人はまったく気にしていなかった。
「ブラッドガルドが気まぐれに作ってくれないかね、ボアの飼育場」
「あまりこちらから欲を出すと、とんでもないものを作られますよ」
「ははっ、それもそうだ」
瑠璃が止めなければ、鉄の龍を作られていたところだったのだ。
再び歓声があがるのを聞くと、カインは窓から離れた。
「では、僕たちもそろそろ行きましょうか」
「はいよ、王様。夜は予定通りに?」
「ええ。この収穫祭は土地の奪還記念でもありますからね」
「勝手にやっていいのかねえ、はたして」
「そもそもが勝手に奪い合いをされていただけです。それでも表向きは人間の手に戻す――という大義名分があった以上、文句を言われる筋合いはありませんね」
「はっ。言うようになったなあ、カイン」
グレックはからからと笑う。
「ここまで来たら腹をくくるしかないんですよ。……どうかこれからもよろしくお願いしますね。僕の胃が痛まないように」
「おうよ、任せとけ」
二人は歩き出すと、夜に向けての準備に入った。
ボアの解体が終わり、人々が一息ついた夕暮れ時。祭りも佳境が近づいた。僅かな酒と水だけで盛り上がっている者たちの中に、村人の旧い新しいもない。チェスに興じている人々を囲み、賭け事をしている者たち。まだまだ追加される料理を片手に、この国の将来を夢見ている者たちもいる。そんな中で、瑠璃から聞いた冒険物語を話しているティキに、子供たちが目を輝かせていた。
ひとりだけ、どことなく居心地の悪そうにしているハンスを、他の村人が肩を組んで引き入れる。ますます困ったような顔をしたものの、それ以上抵抗もしなかった。
「さあ、プディングができたよ!」
村の女たちが大きなプディングを載せた皿を持って、広場にやってきた。
へえ、とか、あれが、という声も混じっていた。
菓子と一言でいっても、もとは神や精霊に捧げる特別な供物。そのうえブラッドガルドとの交渉で供物としてもてなしたとなれば、もはや何も言うことはない。興味津々といった風に、人々が集まってくる。
「変わった菓子だなあ……大丈夫なのか、こいつは?」
「柔らかくて口の中で蕩けるそうだぞ」
「甘くて美味いんだとか」
「貴族の考えることはわからんな」
それぞれ賛否両論だ。
そこへ、騎士を伴ったカインがあらわれる。
「あっ、カイン……様!」
何人かが気付いて声をかけた。
「やあ。楽しんでいるようで何よりです」
「おかげさまでね! あんたはどうだい?」
「上々ですよ。それでは、退屈かもしれませんが、ひとまずは僕の話を――」
カインが言いかけた時、ずるり、と影が蠢いた。
誰もがその気配を感じ取ったし、いやでも思い知らされた。あたりに走った緊張感に、誰もが動きを止めた。
カインは素早く視線を走らせて、どこから影が出てくるかを探した。
「あ……」
誰かが何かを訴える前に、地面から影が音もなく盛り上がった。黒い闇は人影となっていく。泥のようにぼたぼたと残りを地面の影に落としながら、その人影は姿を現した。
「……こんなところで何をしている」
「……ブラッド公……」
ついカインが呟くと、ブラッドガルドは一瞬眉を顰めた。
すり切れたローブの隙間から、はだしの足が一歩一歩近づいてくる。泥のような暗黒を引き連れ、闇が歩く。人が自然と横に引いていく。誰もが緊張感と引きつったような顔をしていた。腰を抜かした者を誰かが引っ張り、子供たちは泣くよりも前に茫然と震えている。
「貴様までその呼び名か――、まあいい。そんなことを言いにきたわけではないからな」
「何の御用でしょうか」
「大したことではない。貴様たちが何やらやっておるようだな、と」
嘘だ、とカインは思った。
少なくとも最初はそうだったのかもしれないが、何か企んでいるような気配がする。
「……そうですか」
「ああ。そうだとも」
「それで、僕になにを……」
カインが尋ねかけたとき、目の前にまでやってきた。ブラッドガルドから伸びた影は、広場に暗い闇を落としている。沈みかけた太陽はもはや役に立たず、夜の帳がただただ落ちていく。
ずい、と顔を近づけながら、ブラッドガルドは言った。
「Trick or treat?」
「……は……」
カインの目が見開いた。
なんの意味があるのかわからぬ言葉だからだ。
答えに窮している間に、ブラッドガルドの表情が徐々に愉快げに歪んでいった。
――ああ、これは。
おそらく正しい対応があるのだ。それを選び取らないと、まずいことになる。カインはそれ以上焦りを顔に出さないようにして、顔に困った笑みを浮かべた。
「……さて、困りましたね」
思考するようにそう言う。
あたりは緊迫感が満ち満ちていた。元村人たちは唾を飲み込んでカインを見ていたが、新しくやってきた者たちは、いまにも倒れそうになっていた。もはや悲鳴すら出ず、がくがくと足が竦んでいる。
その中で、すぐにでも動けるように緊張感を保っているのはただひとりだけ。脂汗を垂らしながら、ハンスがじっと状況を見つめていた。
カインは見られている気配を感じながら、どうすべきかを思考する。
「カインくん」
急に小声が聞こえ、カインはブラッドガルドの後ろへと視線をやった。
ひょこ、と三角の黒い帽子をかぶった人間が覗き込んでいる。オレンジ色のワンピースに黒いローブを着込んで、帽子の下からは金色の髪が出ている。手に持っているのは、頭の部分が骸骨になった杖だ。一瞬ギョッとしたが、顔を見ればまちがいなく瑠璃だった。
こそこそと後ろで、小声で何か言っている。
微妙な顔でブラッドガルドを指さしたあとに、テーブルにあるプディングを指さしている。それからまたブラッドガルドを指さす、という行動を繰り返していた。
「……」
なんなく察しがついた。
「わかりました。盟約に従い、貴殿に供物を捧げましょう」
ブラッドガルドはその物言いに、多少鼻白んだ。
横で杖を両手で持っている瑠璃をぎろりと睨んだが、瑠璃は素知らぬ顔だ。それどころかしれっと視線を外す。
「ふん。面白くない奴め」
ブラッドガルドが言うと、再び緊張が走った。
「こちらこそ、せっかく取り戻した土地を奪い返されてはたまったものではありませんからね」
「なるほど。そう取ったか」
「まさか。可能性のひとつです」
カインがそう答えると、ブラッドガルドは不意に顔を横に向けた。
その先にいたハンスを鋭い瞳が射抜く。その先のハンスはぎょっとしたように動きを止めたが、それ以上動くことができなかった。にたりと口の端をあげると、右手が動いてローブを翻した。
カインの目の前では瑠璃が影の中に収納されていったが、おそらくハンスからは見えなかっただろう。
「まあ良い。案内しろ」
「……わかりました」
なんで収納したんだろう、という疑問は後回しにして、二人は緊張感とともに王宮へと入っていった。あとには残された国民たちが、安堵とともに息を吐き出した。ブラッドガルドへの脅威と、それに恐れず立ち向かうカインという構図は、こうして新たな国民たちにも刻み込まれたのである。とはいえそこには多少の同情も混じっていたのだが。
だがそういうわけで、瑠璃が次に影の中から引き上げられた時には、もう王宮の中だった。
「ごめんね、ブラッド君がめちゃくちゃに大人げなくて……」
そう謝る瑠璃に、カインは思わず笑いそうになった。
「あの、その格好は?」
「あ、これ? さっきまでハロウィン……というか、お祭りに出てて。髪もこれ、カツラだよ」
「ああ、仮装だったんですか」
瑠璃はなんてことないように言ったが、この世界での『祭り』の重要性をあまり理解していなかった。祭事は多々あれど、意味は必ずあり、そして人々にとって重要なものだ。くわえて、祭りでなんらかの仮装をするのはよくあることだ。カインはそういうものとして受け止めていた。
「さっきのブラッド君のあれも、その言葉だよ。トリック、オア、トリート。お菓子をくれないと悪戯しちゃうぞ、っていう」
瑠璃が言うと、周囲にいた何人かが苦笑した。
ブラッドガルドに似合わないから笑われたのかと思ったが、どうも反応を見ると違うようだった。瑠璃としてもそう訳すしかないのだが、わざとそうしたように思われたらしい。
「つまり、供物を捧げないと酷いことをしてやるってことだろ」
「う、うーん、まあ、そう、かな?」
「供物で済んで良かったですけどね」
いや悪戯なんだけど、と瑠璃は思ったが、突っ込む気力はなかった。
確かにブラッドガルドの言う『悪戯』は、人間からすればとんでもないことになりそうではある。
瑠璃がちらっと見ると、ブラッドガルドは既に大きなカボチャプリンを半分ほど平らげつつあった。
「早っ! 私にもちょうだいよ、それ」
「は?」
「あ、別のがありますけど食べます?」
ちなみに――。
このときの瑠璃の魔女の仮装が何か勘違いされたのか。
この夜の儀式が何か勘違いされたのか。
魔人と、それを先導する魔女に仮装した者が、家々に捧げ物をもらいに行く――という、疑似ハロウィンのような形になって定着するのは、もっと後のことである。
*
ちなみにその数日後――。
「……まあ、フツーに来るんだよなあ、あいつ」
「せめて一年に一回にしてほしい……」
供物を捧げて追い払ったはずのブラッドガルドがごく普通に国の中にいるのを見て、騎士たちは思わずぼやいたのだった。
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