挿話21 影たる盗賊は青年と出会う

「大丈夫か?」


 声をかけられ、ハンスは汗だくで我に返った。


「あ……ああ」


 蒼白のまま、村人を見上げる。

 一瞬くらくらとして、ここがどこだったかをパニックになった頭で考えようとしてしまう。


「深呼吸して。ほら、飲めるか?」


 小さなカップに水を注いだものを、ゆっくりと口へと運ばれる。

 するうちに、ようやくハンスに記憶が戻ってきた。


 ブラッドガルド。


 かつて勇者とともに封印されたはずの存在が、舞い戻ってきたのだ。

 まだハンスがバッセンブルグで情報収集に勤しんでいたとき、既にブラッドガルド復活の噂は街中に流れていた。誰も公にしないが、もはや公然の事実になりつつあったその噂。

 だが、戻ってきたくらいならばまだいい。

 あろうことかここは魔力嵐の中。地下から溢れた魔力が地上の魔力とぶつかりあって、荒れ地と化した場所。そこへ唐突にあらわれたのだ。

 実際に姿を見たわけではないのに、発する魔力、闇、影――、そのすべてがハンスをあっという間に打ちのめした。たった十数分に満たない時間が、長い長い絶望のように思われた。


「……あ……、あんたは、平気なのか」


 村人の男へと尋ねる。


「平気……ではねーなあ。まだ怖ぇよ」


 男は肩を竦める。


「でも、俺はカイン……様と一緒にこの国を取り戻したんだ。多少、耐性くらいはあるさ」


 ニッと笑う男。

 どこから見ても、ただの村人だ。

 その笑いは、かつて勇者の横で、ブラッドガルドの与える恐怖を打ち破った自分を彷彿とさせた。


「その……カインってのは、何者なんだ。勇者……なのか?」

「さあ、聞いたことねぇな」

「……だ、だが、ブラッドガルドを恐れないのは……勇者しかいないだろう!?」


 ハンスが突っかかると、男は頭を掻きながら呻いた。


「関係あるかどうかはわかんねぇけど……」

「なんだ?」

「ヴァルカニアの血を引いてるらしいぞ」

「……え? っていうのは、まさか……」

「確か、カイン・ル・ヴァルカニアっていったかな。ここが国だった頃の、王様の末裔なんだと」

「なっ……!?」


 誰だって自分の耳を疑うだろう。

 亡びた国の名はもはや徐々に忘れられつつあったし、その名を冠する者というのであれば尚更だ。


「でも、それだけで驚きだろ?」


 魔力嵐に晒され、逃げ出した当時の王家の一族はバッセンブルグに助けを求めたと聞く。だが土地が欲しいのはバッセンブルグも同じ。保護というのもほとんど名目上のものだったらしい。

 しかしその末裔と言われれば、生きていてもおかしくはない。


「本物なのか?」

「さあ?」

「さあ、って……それでいいのか!?」


 思わず声がうわずったが、男は小さく笑うだけだった。


「いいんだよ、別に。カイン様が何者であっても」


 男は振り返って、広がる農地を見た。人間も亜人も入り交じり、農作業担当の目印の黄色い手ぬぐいを頭に巻いている。彼らはようやく闇の魔力から解放され、再び動き出していた。まだショックから抜けきれない者たちが、付き添われて農地から出て休憩所のほうへと向かっていった。

 それを見送りつつ、残った人々は開拓に精を出していた。たどたどしくはあるものの、明るい声が戻ってきた。


「ハンスも一度戻ったほうがいいかもな」

「……あ、ああ。……そうだな……」


 ハンスは男に肩を貸してもらうと、立ち上がった。


 人間も、亜人も、魔物でさえ、ブラッドガルドを前にすると戦慄を覚える。

 たとえどれほど自信家でかの存在をこき下ろしても、実際に目の前にすると恐怖にすくみ上がった。抗いようのない、いっそ奇妙なほどの戦慄。

 だが勇者であるリクは、ブラッドガルドを恐れない唯一の存在だった。

 肩を並べ、背を預け、ともにあった誰もが、リクの存在に勇気づけられ、恐怖はどこかへ吹き飛んでいった。それはきっと女神の加護ではない。そうだったとしても、リクでなければこんな風にはならなかっただろう。それほどの存在だったのだ。

 勇者とは女神に認められた勇気ある者というだけではない。周囲に勇気を与える存在でもあったのだ。


 だがブラッドガルドの濃い闇はいとも簡単に戻ってきた。ただ勇者がいない、たったそれだけのことで。

 ハンスは何よりもその事実に打ちのめされた。


 だが休憩所に戻ってしばらくしてから、ハンスはそれとなく情報収集につとめた。

 あの衝撃からようやく立ち直ったのだ。

 根気よく尋ねると、カインとやらは魔血印がかつての王族のそれと同じだということがわかった。魔血印は魔力を含んだ血で描かれる、本人だという証明。唯一無二であり、継承するにしてもある程度血が濃くないとできなかったはずだ。ということは、やはり今のところは本物の末裔なのだろう。

 農民たちは魔血印が本物ということは知ってはいても、あまり興味はなさそうだった。


 ――圧倒的なカリスマ。


 それぐらいしか考えられなかった。

 でなければ、この村の人々を束ねることなど不可能だ。

 かつて、ハンスにとって「意見の相違」は致命傷となった。


 かつて大きな盗賊団を率いていたとき、彼の牙城は意見の相違によって脆くも崩れ去った。しかも刃を突き立てた人物は、こともあろうに自分の腹心、副リーダーと呼ばれる存在だった。副リーダーは団内の人間を次第に取り込み、副リーダー派とか、大鷲派と呼ばれる一派を作り上げた。

 大鷲派はやや義賊気質のあったハンスを疎み、殺害と、団の乗っ取りを企てた。


 勇者の影となったあとも、ハンスは集団での意見の相違に敏感になった。少しでも意見の違いが見られれば、相手を殺す覚悟だってあった。結果的に成されなかったのは、勇者がそのカリスマ性と周囲への理解をしようとしたからだ。

 そんな者がもうひとりいるのだろうか。


 カインが何者なのか、ますますわからなくなった。

 勇者でなければ、村人たちを奮起させ、土地を取り戻し、ブラッドガルドがふらりと訪れても誰も死なずに対処できる――その原動力はどこにあるのだろうと。







 二日後、ハンスは影に隠れて、そっと王城へと入り込んだ。

 カインとの謁見――本人は説明と言っているらしい――を明日に控えた中、先んじて見てやろうと思ったのは、単純な興味だった。

 それでなくとも、どこかで姿を見るくらいはできるだろうと思ったが、意外にその機会に恵まれなかった。


 緑色の手ぬぐいは、王城の掃除・修復係の目印だ。顔を隠せばなんとか進入することくらいはできた。案外、あっけなくて肩すかしを食らった気分だ。あるいは自分のような者が居ることを想定していなかったのか。

 きょろきょろと迷ったふりをして、城の奥へと突き進む。ある一定の場所からは立ち入り禁止になっていて、そこからが騎士たちや王が普段いるところらしい。まずはそこを目指した。ときおり、騎士達の気配がすると、スッと柱の影や隅に隠れてやり過ごす。静かに階段をのぼりきり、二階へと進む。大きな扉は謁見の間だろう。

 果たしてこの先にいるのかと見ていると、不意に人の気配がした。


「どうされました?」


 声をかけられて振り返った。

 目を走らせた先には、若い青年がいた。

 痩せてはいるがそこそこ筋肉がついた、鍛錬のされただろう体つきの青年だった。頭にはえんじ色の手ぬぐいを頭に巻いていて、ところどころ黒い汚れのついた衣服を着ている。

 えんじ色は確か鍛冶職人に割り振られた色だ。仕事帰りか、なんらかの納品に来たのだろう。


「そっちは、今は入れませんよ」


 だがその柔らかな物腰と表情は、貴族かいい所のお坊ちゃん、あるいは神職者という印象を受ける。


「あ、ああ……どうも? すまないな、はじめての作業で迷っちまって」

「……あなたは……」

「あんた、ここに居るってことは道がわかるんだろ? ちょっと案内してくれねぇかな、俺だってどやされたくねぇんだ」


 青年はしばらくハンスのことをじっと見ていた。


「いいですよ。あなたは、最近やってきた方ですね?」

「ああ、そうだ」


 歩き出しながら言葉を交わす。


「ようこそ、ヴァルカニアへ。この国はどうです? 慣れましたか?」


 おや、と思った。

 妙に仕事着に慣れていると思ったら、どうも先住者だったらしい。


「まあ、そうだな。悪くはない……。こんなとこに国があるのが、まだ夢のようだ」

「ははは。国王には会いました?」

「いや、まだ。体を動かしてないと不安だからな。こんなことをしてる」


 ハンスは自分の首に巻いた手ぬぐいで、汗を拭くふりをしてそっと口元を隠した。


「あんたはどうしてここに? その色は確か鍛冶の担当だろう」

「ここでも仕事をしてるんですよ。兼任してるんです」

「へえ……。そりゃ大変だな」

「好きでやってることですから」


 青年はにこやかに笑ってから、自分の手ぬぐいを軽く触る。


「それに、こいつをかぶってしまえば関係ないですからね」

「……それもそうだな、それは感じたよ。上下も亜人も関係ない。反吐が出そうだ」

「ははは。あとは肌の色や、出身地もそうでしょうねえ」

「どういうことだ?」

「人というのは――亜人もそうですが――こちらの指示が無ければ、見た目の同じ者同士で集まるものですからね」


 そう言われて、ハンスは少しだけ目を丸くした。

 同じ色だけが集まる場所はさておき、食堂や交流会といった様々な色の者たちが集まる場所では、今度は同じ手ぬぐいの者たち同士が集まりやすい。

 なるほど、と納得する。

 これは交流の意味もあったのだ。


「それは……国王様のお考えとやらで?」

「この村は開拓中ですから。試行錯誤はしやすいのでしょう、うまくいかないこともありますが」

「ふうん。しかし不思議なのは、どうやって土地を取り戻せたんだ?」


 ハンスが少しだけ突っ込んだことを尋ねると、青年は少し黙った。


「それに、ブラッドガルドだってたまに来て彷徨ってるらしいし……、本当に大丈夫なのか?」

「確かに、始末に負えませんよね。本当に思いつきで来るので」

「何をしに来てるのか、知ってるのか」

「その時々で色々ですよ。気まぐれなんです」


 思わず笑いそうになる。

 ブラッドガルドが気まぐれなんて、ひどい冗談だ。


「じゃあ、知らないのか」

「この間は駅を作るとか言ってましたね。さすがに単独で作られるのはまずいんですが」

「エキ……? なんだそりゃ?」

「馬継ぎ舎のようなものです」

「なんでそんなもんを?」


 馬継ぎ舎は、街の入り口にある馬車専用の建物のことだ。貴族や商人は自分専用の馬車を持っているので、一般的には荷物の運搬に使われる。一般市民でも金さえあれば人夫や馬車を借りることができるし、人夫たちの休憩所や交代場所としても使われている。

 あまりにへんぴな村だと存在しないこともあるが、街と呼ばれる規模のところだとたいていは存在している。


「先程も言ったように、あの方は気まぐれなんですよ」


 青年は言ったが、ハンスは逆にぞくりとした。

 確かに馬継ぎ舎を作れば、便利なことには違いない。だが、ブラッドガルドが作るという想像ができない。

 ハンスの記憶にあるブラッドガルドは、世界に対する呪詛を核として、僅かばかりの意志と憎悪に塗れていた。

 それが何故。

 まるで別人だ。


「でも、駅でなければとんでもないモンスターを作られていたところですから」


 続く言葉に、ハンスは少しだけホッとする。

 なるほどこれは駆け引きの結果なのだ。あまりに人間側に都合が良すぎる気もするが。


「はは……。なんだかちょっと安心したぜ。この国のことを考えて作っていたなら、気持ちが悪いからな……」

「気まぐれに思いつかれたことすべてが、この国にとってプラスになるとは限りませんからね」

「じゃあ、この土地を取り返すのには……いったい何を犠牲にしたんだ?」


 ハンスの物言いに、青年は苦笑を返した。


「偶然と幸運が重なっただけですよ。怪我も犠牲者もいませんでしたから」

「……人的被害は無い、ってことか」

「そうですねえ。もし負けていたら、他国を勝手に天秤に乗せたということで、僕は死んでいたでしょう」


 あっけらかんと言いながら、青年は笑う。


「……なんて奴だ」

「僕たちとブラッドガルド公はこの国を賭けて、ゲームをした。そして僕たちが勝った。それだけのことです」

「……奴が……あの根暗野郎がゲームだと……? 馬鹿な。奴は……奴は……!」

「ですから、運が良かっただけなんですよ、本当に」

「嘘だ。そんなことが……、お前はいったい何をしたんだ!? あの野郎とどんな取引をしたんだ……!?」


 それを認めてしまったら、勇者の存在はどうなるというのか。あの闘いは。あの覚悟は。

 青年は立ち止まると、出口を指し示しながらハンスを振り返った。


「それでも、リク殿がいなければなしえなかったことですよ。僕はリク殿に感謝しています。……おそらく、公もある意味では……」


 青年は意味ありげに笑うと、外へと向かう扉を開けた。


「それではまた後日。……ハンスさん」

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