「女神の加護」で最強勇者の異世界再訪譚(後)
「……んあっ?」
リクは寝ぼけながら、片腕を伸ばして目覚まし時計を探した。
眩しい光がどこからか入り込んできている。カーテンを開けたままだっただろうか。
何か妙に周囲がうるさい気がする。伸ばした腕も、体の下も妙に固い感触がある。ベッドの上でもカーペットの上でもない。
――……どこだここ?
唐突に頭が真っ白になった。
がばりと上半身を起こすと、そこはあきらかに自分の部屋ではなかった。よく知る現代的なものはひとつとして無く、どこかの西洋風なコテージか、むしろ小屋のような家の中だった。
「ここは……」
動こうとすると、近くで倒れていた男がガオッといびきをかきながら寝返りをうった。その一人だけではなく、家の中には大人達があちこちに雑魚寝して、ときどきうめき声をあげていた。人々の隙間に、酒の匂いのする木杯や、食べかけの黒パン、汚れた皿、誰かが引き延ばしたシチューの残骸、肉の欠片とその骨といったものが散らばっている。
自分の上だけには毛布がかけられていたようだ。毛布を掴んで、やや痛む体に鞭打ちながら立ち上がると、倒れた人々を起こさないようにゆっくりと移動しはじめた。
扉を開くと、明るい村の光景が広がっていた。
――……あ、そうか。
女神セラフによってこちらの世界に再召還されたのだと思い出す。
昨夜はリクの帰還と盗賊の討伐を祝って、盛大な歓迎会が催されたのだ。急だったにもかかわらず、家々から持ち込まれた食品は様々だった。
ちょうど冬の準備のために狩った獣や、加工された肉までもが供され、人々は唐突な歓迎会を喜んだ。リクはもみくちゃにされ、よくわからないまま眠り込んでしまったらしい。呼気が若干酒臭い気がしたが、気がするだけということにしておいた。
現代日本では犯罪行為だが、こちらでは既に飲める年齢なので問題はない――たぶん。
ともあれ用を足して井戸で顔を洗い、軽く運動がてら体を動かしていると、頭のほうもだいぶスッキリとしてきた。
そういえば盗賊たちはどうしたのだろう、という疑問が湧いてくる。どこかに縛り付けているのかとあたりを見回していると、向こうのほうから「あっ」という小さな声が聞こえた。
「おはよう、リク!」
走ってきたのはエトラだった。
「よう、エトラ。おはよう」
「もう起きたのね! 昨日はよく眠れた?」
「眠れたけど……むしろ疲れたよ」
「ふふふっ。途中からだいぶ酔っ払ってたものね」
「……お、おう」
深くは突っ込んで聞かないことにした。
話を変えるように、真面目な顔になる。
「エトラのほうこそ大丈夫か? 怪我とか……」
「アリィにどやされちゃった。今度は絶対に誰かと一緒に行ってねって」
ぺろりと舌を出す。
「それは何よりだ」
「そうね。……運が良かっただけだもの」
「盗賊たちはどうしたんだ?」
「村の人たちが交代で見張ってるわ。騎士団詰め所には連絡をしてあるから、今日にも来てくれるかもね」
「えっ、あったっけ?」
「隣町に詰め所があるのよ。昨日、リクが来てくれた後に連絡もしたの」
なるほど、とうなずく。
「それじゃあそっちは問題無いな」
「……ねえ、リク。リクはやっぱり……、あの噂があって戻ってきたの?」
「あのって?」
「ほら、ブラッドガルドの……」
一度は倒されたブラッドガルドに復活の兆しがある。そんな噂はこの村にまで届いていたのだ。
だが、あくまでそれは噂。誰かが見たとかそういうことではないらしい。迷宮もいまだ封鎖が続いているからか、それもあって噂に信憑性を与えているらしかった。
「うーん。まあ、そんなとこかな。とりあえず、王都には向かおうと思ってる」
「そう……」
エトラはやや目を伏せる。
リクは一瞬黙ったが、すぐににやっと笑った。
「でも、前回は封印だったからな」
エトラは顔をあげた。
「出てきてもおかしくない。それなら、今度は息の根を止めればいい――そうだろ?」
ブラッドガルドは、誰もが目の前にすると戦慄と恐怖に襲われるという。
けれども、リクがそう言うと信じたくなってくる。きっと女神の加護のせい――ではなく、リクが言うからこそだと皆思っている。
加護だけで、リクがここまで頼もしく見えるはずはないからだ。
「……うん。そうね。今度こそ」
エトラは頷くと、きゅっと胸の前で拳を握った。
「がんばって! ね、何か欲しいものない?」
「あー……俺、途中で荷物落っことしてさ。もし良かったら鞄が欲しいんだけど」
「……ふふふっ! それも前と一緒なのね」
「そ、そうだな」
実際のところは現代日本の品をおいそれと持ち込むわけにはいかない、という判断なのだが、うまくかわせたようだ。
「あとはそうだな……もうひとつ」
「なに?」
「ちょうどいい板きれが欲しいんだけど」
「……板きれ?」
エトラはきょとんとした顔で瞬きをした。
それからしばらくして、リクは資材置き場に案内された。あたりに置かれた木材を見ながらあれこれと選別する。
エトラはあいかわらず何をするのかという顔で、木材を選別するリクを見ていた。両手で鞄を抱え、歩き回るリクを目で追う。
「よし、こいつでいいか」
リクは適当な板きれを一枚手に取った。
それから資材置き場を出ると、既にリクを見送ろうという人々が集まっていた。
「もう行っちゃうの?」
「もう少しゆっくりしていけばいいのに……」
「……ちゃんと生きて戻ってきてね」
その声に、笑いを零した。
「大丈夫。俺には信頼できる仲間もいるし。みんなもついてる」
そう言うと、板きれに手を翳した。
途端、板きれに魔力が宿り、白く色づいて形がきれいに整い、緑色の魔力の線で文様が描かれていった。
緑色で翼の意匠を与えた魔力の文様は、やがて板の両側から飛び出し、透明な緑色の羽根を一筆書きで描いていった。板の後ろにあたる部分に、見事な尾羽を描き終わると、両側の羽根がふわりと動いて、宙に浮かんだ。地面と平行に浮かび、じっとそこで乗り手を待っている。
魔力で創られたスケートボード――否、宙に浮かぶホバーボードの完成だ。
だが映画のように地面を蹴る必要はなく、水の上だろうが前進し、浮遊し、まさしく飛行することもできる優れものだ。
リクが足を乗せると、その重さに従って少し地面に近づいた。だがバランスは崩れることなく、乗り手の体を支える。
「おお……相変わらずいい乗り心地だ」
「す、すごい……! こんなものが作れるなんて……!」
周囲からもどよめきが起こる。
「空飛ぶ絨毯と空飛ぶボードは人類の夢だからな!」
「絨毯も浮かせられるの?」
「おう! 今度会ったら乗せてやるよ。盗賊のいないところでな!」
「ちょっと!」
羽根が何度が羽ばたくと、土埃が舞った。
「リク!」
アリィが声をあげた。
「エトラのことありがとな! エトラを悲しませたらぶっ殺してやるから!」
「ちょっと、アリィ!」
「わかったよ! こっちこそ色々ありがとう!」
そのまま何度目かの飛翔でスピードをあげると、ボードは踏みならされた大地を疾駆する。エトラの抗議の声がやがて小さくなり、人々の振る手を背に、あっという間に道をくだっていった。
その途中にも、顔を出した人々が手を振っていく。
リクは大きく手を振りながら、道を疾走した。
乗り心地は快適。
風を切り、ボードは軽やかに駆け抜けていく。
雑草が小さく音を立てて頭を垂れ、川にかかった橋を横目に水の上を盛大に飛び越えた。向こうのほうで釣りをしていた少年があんぐりと口を開けて、スローモーションのような光景を目で追った。
小さな音と土埃を立ててボードが着地し、すぐさま走り去っていく。
やがて小さな丘へと突き進むと、勢いよくジャンプする。心地良い浮遊感とともに、下に広がる森の中へと飛び降りていく。
ボードは乗り手を落とさぬまま、獣道を目指して着地し、そのまま疾走しはじめた。
枝も葉も、小さなものであれば、ボードを中心にした風の防護魔術が守ってくれる。
「しかしまさか、ブラッドガルドが死んでないとはな!」
『そうですね……』
肩に止まった鳥から声が聞こえた。
「いや、お前はもっと先に言うことあるだろ駄女神。なんで毎回空から落ちるんだよ」
『そっ、それはその……私の領域的に仕方ないというか……!』
「仕方ないとかじゃなくてまず空から落とすなよ! 召還されるところは普通に白い空間なのに、そのあとが空の上なの、普通に俺死んでるやつじゃないか!?」
『で、ですからそれを防ぐために私の加護があるんですよ!』
ピィピィと鳥が弁明するが、リクは「はいはい」と流した。
「ま、生きてるからいいけど」
『うううう……』
ずーん、と肩のあたりで微妙に凹んだ気配がする。
「……それで? 結局ブラッドガルドは復活したのか?」
仕方ないので、話を変える。
『え、ええと……。まだ、はっきりしたことは……』
「駄女神じゃねぇか……」
『そ、そんなことはありませんっ!』
慌てたように首を振る鳥。
『それに、ブラッドガルドの魔力が大きく動いているんです!』
「ま、それだけで充分だよな」
ブラッドガルドの魔力がある。それそのものが答えのようなものだ。
「諦めの悪い奴だよなー。ま、自覚があるかどうかは置いといてだ」
森の中を疾走しながら、リクはため息をつく。
『それと、もうひとつ……』
「なんかあるのか?」
肩の白い影を見ながら走っても、ボードはものともしない。
『……あの魔力嵐を作っている魔力が……大きく減退したのです』
「減退? 増えたんじゃなくて?」
『はい』
「ブラッドガルドが封印されてたから減退したんじゃないか?」
『…………なら、良いのですけど……』
「というかお前、女神なんだからハッキリさせろよそこは。だから駄女神なんだよ」
『だ、駄女神ではないですーっ!』
鳥が甲高い声で喚いた。
「……でもさあ、セラフ」
『ですから私の名前は! ……ふえっ?』
セラフは慌ててゴホンと咳払いして、あるのかないのかわからない威厳を取り戻す。
「心残りとか無いのか?」
その言葉に、セラフは詰まったように少し押し黙った。
『……ありません。私の使命はずっと変わっていません』
鳥の目を通して、まっすぐに前を見つめる。
その姿に重なり、一瞬、美しい金糸が風に流れた。白く透き通るような指先が、リクの肩を掴んでいた。緑がかった白い翼が六枚広がり、やがて消えた。
そこにいるのは一匹の白い鳥だ。
鳥に擬態した、神聖なるもの。
『ブラッドガルドを倒す――それが私への祈りであり、私が目覚めた理由ですから。かつて私に祈りを捧げた聖女のためにも』
「……ふうん、そっか。……んじゃあ、今度こそ何とかしないとな」
リクはセラフを見ずに、ただそれだけ言った。
『はい。……お願いします、リク』
その声は短くも、決意に満ちていた。
『ブラッドガルドという存在は――私の罪でもあるのですから』
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