荒れ地に行こう(3)
「あーっ……つかれた~……」
瑠璃はへたりこむようにしてそこに座り込んだ。
ザックをクッションのように抱きかかえて、そこに頭を載せる。
カインは一通りあたりの警戒をしてから、瑠璃のところへとやってきた。
「だいぶ歩きましたからね」
「だねえ。手っ取り早く火つけちゃおう」
瑠璃はそう言うと、ザックの中からマッチ箱を取り出した。集められた枝葉や蔦に火をつける。小さな焚火が燃え上がり、休憩の準備は整った。
「いつ見ても便利ですね、その道具。ちょっと勿体ない気もしますが……」
「あははー……ま、まあね……」
さすがにこちらの世界にライターを持ち込む気概は無かったが、マッチくらいはあるだろうと持ってきたのだ。
だがマッチは存在せず、火をおこすのに火打ち石を使っているというのだから説明に困った。テレビで見たような、棒をぐるぐる回す火起こし器でないだけマシだ。しかたなく、まだ他国に出回っていない新作ということにしておいた。
「水に濡れたら役立たずだけどね」
「しかし、明確に使用回数もわかりますし。軽くて持ち運びしやすいのは良いですね」
「お、おう」
もうちょっと持ってこれば良かったかも、と頭の片隅で思う。
それに、キャンプ用品のところにもっと現代的な火打ち石がそこそこの値段で売っていたのだ。そのほうがまだ言い訳もついただろう。だが今更だ。もう一度こうしてどこかの迷宮を冒険するなら、そっちにしようと心に決める。
「でも、こういうのって魔法でボワッ! て出せるのかと思ったよ」
「魔術師がいれば楽そうですね」
やはり便利だとは思っているらしい。
「魔法って教会では使われてない?」
「いえ、癒し手なんかは癒しの術を扱いますよ。教会は認めていませんが、市井の癒し手もいますし。最近では冒険に出る魔術師もいますから、彼らに習う人もいるようですよ」
「へーっ? できるの?」
「瞬間的に火をつけるくらいの火力なら、普通の魔力でも何とかなるそうですから」
カインの調査団の団長も、魔力の扱い方を知っているひとりだと語る。
簡単に言えば、魔力を扱えるからこそ「聖槍」を扱えるのだ――ということだった。
「それでも、ある程度センスは必要ですからね」
カインは苦笑する。
「うーん、そっかあ。ほら、ブラッド君とか片手でバッてやったらバッて火がつくから、みんなああいう……」
「……ブラッドガルドを基準にするのはやめません?」
「……やっぱそうかな……」
「……そうですね……」
それから瑠璃は思い出したようにザックを開け、ショートブレッドタイプの栄養食を出してカインと分け合った。それでもこちらの世界で食べられている固形食糧よりは味が良いのか、フルーツ味の甘みにカインは驚いていた。
交代で見張りをすることにして、カインは火の番についた。
地図を取り出し、ルートを確認する。
――今のところ、進路に問題は……ない。
このまま行けば、明日にでも荒れ地に近づける。
探索や地図作りといったものが目的ではないから、冒険としては比較的早いほうだ。瑠璃の中にいる影蛇も影響しているとあたりをつけていた。なにしろ魔物のほうから避けていくのだ。そのぶん亜人の力も借りられなかったが、それでも来た時よりはずいぶんと楽だった。
命知らずの魔物が襲ってきたときには、カインが対処せざるをえなかったが、それはそれ。最初は瑠璃もピッケルを振り回して応戦していたが、次第に戦えないなりに隠れたり石を投げて視線をそらすほうが良い、ということに気付いてからは、無駄に体力を消費することもなくなった。
あとは荒れ地に行くだけだ。
だが、本当に大変なのはそこからだろう。
カインは瑠璃が何を考えて荒れ地に行くのかを知らない。
ただ、気になることがもうひとつだけあった。
地図を確認し、印がつけられた場所へと視線を移す。同じ印のつけられた場所はみな、通路が封鎖されていたところだ。これも奇妙といえば奇妙なことだった。
――これは……ブラッドガルドが? それとも、迷宮が変化しているのか?
ブラッドガルドは停滞と虚無の象徴。
だからこそ迷宮も変わらない。
迷宮が伸びることはあるが、すでに存在する地の構造が変わらないというのは常識だった。
――……わからないな。上に向かうのに支障はないようだが。
ブラッドガルドの封印が解かれたことで、何か迷宮にも変化があったのか。
それにしたって、意味があるのか無いのかわからないような変化だが。
カインはふうっと息を吐いた。
――……誰なんだろう。彼のことを『虚無の王』などと名付けたのは……。
虚無の王、停滞する者などという名前とはまったく違う。
少なくとも感情があり、なんらかの意図のもとに行動している。だからこそ迷宮も動いているのかもしれない。
そしてそれを知っているからこそ、瑠璃も自分をここまで引っ張り出したのだろう。
――今ならきっとなんとか……なる。
そんな気さえしてきた。
カインはしばらく地図を見ていたが、それ以上考えないことにした。地図をしまいこみ、火を見つめる。火のはじける音に混じり、瑠璃の小さな寝息が規則的に響いていた。
その翌日――かどうかはともかく。
僅かな休憩を終え、二度目の火の番を引き受けたあと、起きた瑠璃とともに再び出発することにした。
「よしっ、行こう!」
ザックを背負った瑠璃が言う。
「ここから先は荒れ地に近くなります。気をつけて行きましょう」
「はーい」
ひととおりの確認を終えて、再び歩き出す。
上層まで来れば――加えて魔力嵐に近い場所を行くせいか、魔物の気配は更に減った。それでも迂回することや戦闘もあるにはあったが、緊張感だけは緩めてはいけない。
「このあたりは封鎖とかされてないんだね」
「地上はともかく、迷宮のほうは自己責任ですからね。気配もあまりありませんし」
だが、異変は存在していた。
魔石が溢れているくらいなら採取する人間がしばらくいないから、と説明はつく。
しかし。
蔦も太く、異様に巨大化した鬼瓜(カボチャ)が部屋を覆っているかと思えば。
サボテンのように枝葉を伸ばして異常成長した魔石だとか。
目だけが異常発達した、奇妙な吠え声をあげるコウモリの一群だとか。
カインはやや眉を顰めたが、瑠璃にとってはそれらの異変も区別がつかず、どれもこれも新鮮だった。
かといって冒険自体はそれほど今までと変わらなかった。二人は慎重に先を進む。
しばらく行ったところで、瑠璃はふと立ち止まる。
「……なんだろ。風?」
瑠璃の頬をさらりと撫でていくものがあった。
髪が撫でられたような感覚。
確か、こういう閉鎖空間で迷った時は風の吹くほうに行くといい――というのを聞いたことがある。
「これはもしかして……外が近いっ!?」
瑠璃は顔を輝かせて振り返ったが、カインは微妙な表情をしていた。
「どしたの?」
「……ああ、いえ。少々考え事を。行きましょう」
「うん。疲れたら言ってね!」
そう言う瑠璃の髪は、そよそよと揺れていた。
地図に従って進むうちに、その風は強くなってきていた。だが瑠璃は先に先にとどんどん行ってしまう。
反対に、カインは足が前に進むのを拒否した。
というより、次第に体が重くなり、まるで向かい風を常に受けているような気になってくる。
だが、瑠璃はというとまったくそんなことはなさそうなのだ。
実際瑠璃はなんともなかった。
風が吹いてくるなーというくらいの印象で、どんどん進んでも問題はなにもなかった。というより、そのせいでカインの足取りが悪くなっていることに気が付かなかった。
足を止めたのは、迷宮とあきらかに違う広い場所へと足を踏み入れたときだった。
「な、なにこれ……?」
瑠璃は困惑の声をあげた。
「外」は真っ暗だった。ごうごうと奇妙な音が響いていて、視界はひどく悪い。数メートル先も見えず、はたして外なのかどうかもわからない。
だがそんな状態にもかかわらず、瑠璃は煽られるでもなく飛ばされそうになるでもなく、ぶわりと一瞬鳥肌のようなものが立っただけだった。それもまた気持ちが悪い。あたりの風景と自分の状況が一致しないのだから、変な気持ち悪さがあるのも当然だろう。
何歩か進んでみたが、景色は変わらない。
「……ぐっ……」
カインの苦しげな声が、奇妙な音の中に混じる。
振り返ると、カインは壁に手をついて肩を上下させていた。目は見開いて、驚いたような信じられないような、苦しげな中に奇妙な表情を浮かべている。
「だ、大丈夫? カイン君」
思わず駆け寄ったが、カインは呼吸を整えるのに少し時間がかかったようだった。
「……え、ええ……まだ……なんとか」
そうは言うものの、不調であるのは見た目にも明らかだ。
「……る、瑠璃、さんは……平気なのですか」
「多少ブワッてなってるけどたぶん平気」
瑠璃も瑠璃で、この状況に戸惑っているように見えた。
それもそうだろう。
「……これが……魔力嵐です……」
「えっ、これ!?」
嵐の中にいて、自分ひとり無事というのも奇妙な感覚だ。
だが、おかしいのは見ればわかる。
「……やはり……あなた、は……平気なのですね」
「えっ? う、うん。そうみたい」
「しかし、こんな所……では……。……なにも……」
カインは小さく言った。
吹き荒れる嵐は、あらゆるものを巻き込んで破壊していた。
それはシバルバーとは違った意味で、何もないと言ってよかった。ただただ、向こうの見えない荒野が続いている。
それは魔力嵐によるものというより、その景色そのものに胸を痛めたというべきだろう。
「……や、私が連れてくよ。この先に、カイン君は行くべきだと思う」
「……」
「というか私はこのために来たんだけどね!?」
瑠璃はそういうと、カインの腕を自分の肩にまわした。
「このため……?」
「そう、このため!」
肩を支えて立ち上がる。
「うぐっ……!」
さすがに年が近いとはいえ。
成人に近い、しかも鎧を身につけた男を一人引きずっていくのは難がある。加えて、瑠璃はザックも背負っているのだ。
「めっちゃ重い……」
愚痴りつつも、瑠璃はカインを引きずりながら進む。
こちらの世界でのほとんどの人間が、あるいは生物が、こうして魔力の翻弄によってこの場で息絶えてしまうというのなら――自分の役目は、引きずってでも連れていくことなのだ。
「ちゃ、ちゃんと生きててね!?」
そうしないと意味が無い。
カインは聞いているのかいないのか、やがてひどい頭痛と熱に魘されるようにして目を閉じた。
瑠璃はときおりそんなカインに話しかけながら、よたよたと嵐の中を進む。
あの日、カメラアイで見た景色がその向こうにあると信じて。
巻き上がる土埃と、あちこちでごうごうと鳴る音は、次第に二人を巻き込んでいった。
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