挿話15 迷宮の迷い子(1)
それは、かつての夢だった。
ここしばらくカインが悩まされた夢であり、まぎれもない現実だった。
夢はいつも、自分が刺されるところから始まっていた。
「それな、毒だよ」
「……え、……え?」
セスはあまりに、普段と変わらぬ調子で言った。
イーノックがセスの後ろにいるのが見えるのに、平然としているのが妙だった。セスがカインを刺したのにもかかわらず、彼は何が起っているのかも把握しているようだった。
「お前はここで死ぬんだ、カイン」
「……せ、セス。なんで……?」
ちらりとイーノックがセスを見た。
セスはイーノックを片手で制すと、ため息を吐いた。
「俺が言うと思うか?」
セスはゆっくりと近づいてきて、おもむろに片足をあげた。
「あぐっ……!」
靴底が頬を蹴り、カインはそのまま床に倒れ込んだ。なんとか後ろを振り向こうとしたものの、セスの足はカインの傷跡を蹴りつけ、じりじりと踏みにじった。
「あ……がっ……!」
痛みが全身を駆け抜ける。
押し殺した悲痛な叫びが部屋中に木霊し、他ならぬ親友と呼んだ男の手によって、無様な姿を晒すしかなかった。暴虐に耐える以外に何もできないまま。
カインが痛みで動けずにいると、セスはすぐそばに座り込んだ。
「なあ、カイン」
その首元に鈍く光るものが当てられる。
「俺もさあ、まがいなりにもここまで付き合ってきた情ってものがあるわけよ。わかるか? だからこれ以上俺にひどいことさせないでくれよ」
うっすらと光るものが横にそれた。
微少な、小さな痛みが走る。薄皮一枚がめくれたのだ。おそらくはぷつぷつと小さな血の泡が吹き出していることだろう。
セスは体を屈めて、カインの耳元へと口元を近づけた。
「……」
そのとき、セスは確かに何か呟いた。
そして、手に何か小さな瓶のようなものを握らせた。
だが、カインが視線を送ろうとしたときには、もうセスは立ち上がって視線を逸らしていた。
「じゃあな。もう二度と会うことは無ぇだろうよ」
「待っ……」
「行くぞ、イーノック」
「ああ」
二人の足音は次第に遠くなっていった。自分は迷宮に一人取り残されるのだと自覚した。いや――取り残されたのだ。
なにもかもが現実だった。どれほど叫ぼうと声をあげようと、抗えない現実。
足音はやがて消え去った。
ようやく堅く握りしめた手を開く――そこで、カインは夢から醒めた。
ひどい頭痛がした。
そして、自分が生きていることを実感した。
――今日も生きてる……。
ずるりと体を引きずるように起き上がる。
何も考えることができなかった。今まで、何度となく繰り返したその夢。その夢の先にあった出来事のほうが衝撃的だったというのに、夢で見るのはあの場面ばかりだ。
ひどい話だ。
あそこでせめて死んでいれば良かったのに。
ぼんやりとあたりを見回す。
ブラッドガルドにあてがわれた部屋。
このしばらくの間、カインは生きていながら死んでいるようだった。
死ななかったのは、あの少女のおかげだ。
明るく奔放で、そのくせブラッドガルドがほとんど放置している少女、ルリ。
意外だった。
魔力をまったく感じないのに、あのブラッドガルドにほとんど対等のように接することができる。もしかしたら魔力を隠しているのかもしれないが、彼女については謎が多い。
ブラッドガルドが探しに来るほどの少女――だが、何も探れない。
何もわからない。
宵闇の魔女ではないかと何度も思ったが、聞いていたイメージとほとんど違う。
となると、ますます謎は深まった。
加えて、イメージと違うといえば。
――……いったい誰だ。ブラッドガルドは虚無の王だ、なんて言ったの。
まったく虚無なんかじゃない。少なくとも意志があるし感情がある。
悪態をつく頃には頭痛はおさまり、ようやく体を起こすことができた。
両手を閉じたり開けたりを繰り返し、自分の調子を整えていく。
「……はあ」
ため息が不意に口をついて出た。
あの時からカインの時間は止まったままだ。
――……せめて……一度だけ……。
カインは目を閉じ、ギュッと拳を握る。それから目を開けると、ベッドからおりて立ち上がった。自分の体を整えると、手入れだけはされた鎧を身につける。最後に槍を手にすると、部屋の外へと出た。
自分の記憶を頼りに、迷宮の通路を歩いていく。
妙に静かだ。
ブラッドガルドが復活したからだろうか。魔人たちが一時的になりを潜めたのかもしれない。魔人たちにあてられた魔獣たちの闘争も、沈静化しているのだろう。しばらく歩いても、魔物には遭遇しなかった。
ときおり――あの目玉めいた小さな魔物がこちらを見ていたが、特に何をしてくるまでもない。本当は倒したほうがいいのだろうが、追っても逃げるだけなので無駄な体力を使うだけだ。
カインはかつてブラッドガルドが鎮座していた空間へと脚を踏み入れると、意を決して前へ進んだ。
あの日、ここに踏み込んだとき居座っていた女の魔人はすっかり消えていた。
あれだけの部下――おそらく使い魔――も、座っていた玉座も。
――妙だ。
がらんとしている。
ブラッドガルドが此処に鎮座しているというのは、オルギスからも聞いた話だ。巨大な広間でもあるここが最奥の扱いだから、あの女魔人もここを玉座の間に選んだのだろう。実際のところは迷宮の主が根城にしている場所を最奥の扱いにするが、あまり変わりはない。
――根城を変えた? でも、どこに……?
変えたとして、意味があるのだろうか。
「……そんなところで何をしている、小僧」
声にはっとして振り返ると、まるで通りすがりのようなブラッドガルドがいた。
ここが根城――というのに、もうここは使っていないかのような物言いだ。
「……ブラッドガルド……」
槍を握りしめても、目にした途端にあの恐怖がわき上がってきた。
それでもカインは伝えなければならない。
自分の望みを。
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