挿話10 迷宮探査団の顛末(1)

「あっしが合図したら、あちらまで走って。では、ご武運を」


 オルギスは亜人のゴブリンにひとつだけ頷いた。

 向こうからは変わらず鈍い音と吠え声が聞こえてくる。壁の隙間から様子をうかがい、しばらくの沈黙する。


「それッ」


 その声を最後に、オルギスをはじめとした探査団は駆けだした。

 瓦礫の合間を縫って走るそのすぐそばでは、巨大な魔獣が二頭、お互いにかみつき合っていた。犬のようでもあるその体には鱗がびっしりと生え、ただの生物でないことを示している。先まで太い尾が振り回され、青緑色がぬらぬらとてかった。地面が割れるかのような音を立て、魔獣はとっくみあい、うなり声が響いた。

 そのすれすれを一団は走り抜けていった。





 ぱちぱちと火が爆ぜる。

 探査団は着実にブラッドガルドの居城へと近づいてきていた。

 シバルバーに近づくにつれ冷たい空気と魔力が満ちていて、最初のほうこそまだ余裕だった探査団にも疲労と困惑の色が漂い始めた。

 いくらブラッドガルドが倒されたといっても、魔物はいまだ潜んでいる。むしろ活発になっていた。迷宮の主を積極的に狙う人型の魔物と、それに触発された魔獣たちが縄張り争いを繰り広げているのだ。


 探査団の中にも、オルギスの持つ迷宮の知識を積極的に吸収しようという気概が見られ始めた。騎士の何人かが顔を突き合わせ、地図を片手に確認をしあっている。


「こちらにも亜人の集落があるそうだ」

「ここの仲介役は?」

「狼族の戦士らしい。武具があれば交渉も可能だそうだが、長居は禁物のようだ」


 迷宮探査は地図だけでも出来ない。比較的友好・中立的な魔物――亜人たちとの交渉術も必要とされる。


 オルギスはその様子をちらりと眺めてから、ふうっと息を吐いた。

 探査団が結成された当初は、まるで寄せ集めだった。


 何しろ探査団とは名ばかりで、十名ほどの騎士が集められただけだ。

 とはいうものの、ぞろぞろと軒を連ねても迷宮は進めない。

 それより、新米騎士が二人混じっていたほうが気になった。セスという名の少年はともかく、カインという騎士はどこか頼りなく見えた。一応はオルギスの知識を分散させるのも目的だというのに、これで大丈夫なのかと少し不安に思えたほどだ。

 それでもなんとか探査団のていを保っているのは、彼らが少なくとも訓練された聖騎士であり、成すべきことを理解しているからだろう。寄せ集めではあるが、正式な探査団――いうなれば斥候に近いが――ではあるのだから。


「このあたりは冷えますね、オルギス様」


 振り返ると、騎士の一人が戸惑うように言った。


「ああ。ここはもう奴の居城に……シバルバーに近いところだからな」

「これほどとは思いませんでした。失礼しても?」

「構わないよ」


 騎士は一礼し、火を挟んだ反対側へ腰を下ろす。

 深く息を吐き出してから、彼はオルギスへと視線を戻した。


「正直、私は……今まで、迷宮という場所を軽んじていたように思います」

「ん?」

「世界最大の迷宮とはいえ、所詮は主の倒された地です。それも、リク様の手によって倒された迷宮です。女神の威光に敵う場所ではないと」

「……そうだな。私も多少は期待していたよ、リク殿と共に向かった時より、潜りやすくなっているのではないかとね」


 オルギスがそう言うと、彼は少しだけ唸った。


「それでも、主がいなくなったことで、逆に活性化しているのは予想できたことだ。お互いに食い合ってくれているならそれでいいのだがね」

「……恥ずかしながら、そんなことも思いつかなかったのです」

「だが、どちらにせよ私がついて来られるのは今回までだ。上層部がそう定めているからな。私の知識は最大限、君たちに分散させるつもりでいる」

「……無茶が過ぎますね。話で聞いているのと、実際に来てみるとでは大違いです。なんとか頑張らせていただきますが」

「ああ、それについては期待しているよ。出し惜しみするつもりもない。知識の欠片まで残さず提供するつもりだ。今まで冒険者が独占していた情報だ、きっとこの迷宮を攻略できるだろう」

「はっ。ご期待に添えるよう、誠心誠意努力致します」


 ――いずれにせよ私は……、この調査が終われば用済みだ。


 それに関しては自覚していた。


 ――勇者の存在を疑っていたのは教会の上層部……公開裁判までやっておいて、あのていたらく。後ろめたさはあるのだろう。……少なくとも、最初から勇者を信じた私自身に対しても。


 それでも不満は噴出した。


 勇者を教会に取り立てなかったこと。

 教会が認める聖騎士団と交代しなかったこと。

 魔術師とパーティを共にしたこと。

 冒険者を認めたこと。


 だがオルギスには確固たる功績がある。たとえ不満を持っているのが大半だとしても、それに関しては表だって非難されるべきことではないのだ。


 だからこそ今回の調査で、オルギスの知識を吸収し、あとは教会側が決めた人員に交代させる。その代わり、新設された聖堂を任せる――というのが一番の落としどころなのだ。

 オルギスの元々の地位からいって、新設された、しかも小さな村ではなく街の聖堂騎士になることはかなりの出世といっていい。現在でも、勇者の仲間としてそれ以上のことをこなしている。

 しかし、上層部の思惑と違い、迷宮は変わらず牙を剥いている。


「……オルギス様。私たちは必ず――」


 彼が言いかけた途端、その場にいた全員が唐突にぞくりとした。何かが稲妻のように駆け抜けていったのだ。

 しんと静まりかえっていた迷宮に、絶対的な魔力が通されたようだった。


「これは……!」


 全員が槍に手をかけ、警戒体勢に入る。


「まるで敵意に満ちたものでしたが、今のは……?」と誰かがオルギスに尋ねかけて、その表情にハッとした。

「……今のは……、今のは、忘れもしない。ブラッドガルドの魔力……!」


 全員が息を呑んだ。


「ま、まさか封印が解かれて……?」

「いや、一瞬だけだった。むしろ、封印を解こうとしているのか……?」

「封印を? ブラッドガルドはそれほどまでに力を取り戻しているというのですか!?」

「とにかく、一刻も早く向かいましょう」


 オルギスたちは、手分けして野営の準備を畳んだ。

 こうなっては『それ』が近いかもしれないのだ。あるいは、いまだ謎に包まれた宵闇の魔女が出てくることもありえる。もしそんな最悪の事態が訪れたのなら――果たしてどうなるのか見当もつかなかった。

 すべての準備が整ったあと、オルギスは地図を広げて言った。


「ここから奴の居城まではこうだ。ルートはそれぞれ各自の地図に明記してある。撤退の際にバラバラになってしまったら、一度この場所を目指してくれ。いいな?」

「はっ!」


 地図と逃走ルートを確認した後、探査団はオルギスを先頭に進んだ。

 あともう少しでブラッドガルドの居城に入る。そうなれば今度こそ何があるのかわからなかった。

 オルギスはかつて勇者とともに進んだ道を、今度はひどい緊張感とともに進んでいった。


 やがて一行はシバルバーの地へと足を踏み入れた。

 懐かしくも悍ましいシバルバーの地は、かつての記憶と変わらず荒廃し乾いた大地が広がっていた。ブラッドガルドの居城は――居城、屋敷、館、なんだっていいが――居城とはいうものの、結局はシバルバーにまで突き抜けた迷宮の底に過ぎない。所詮、石壁と木枠で作られた、暗く薄気味の悪い所だ。

 かつての戦いの跡が今なお残るその場所は、所々崩れかけている。


「これが居城……?」

「まるで迷宮そのままだ」

「人型とはいえ、所詮は魔物か」


 居城というからには、王城のようなものを想像していたのだろう。少なくとも今までより広いが、その構造は迷宮とほとんど変わらない。


「しかし、女神はその魔物を脅威とみたのだろう」


 誰かが言うと、皆一様に黙った。

 そしてその後は誰も何も言うことなく、先を進んだ。


 その一番奥の広間へたどり着いた頃、突如明るい光が探査団を包んだ。

 入り口から奥へ向かって順に灯りがついていき、ずらりと並んだ筋肉質の男たちが、まるで場違いなような探査団を迎え入れた。その中央の奥に、カウチに寝転んだ艶めかしい足が見えた。

 ぎょっとする者、顔を顰める者、目を背ける者、槍を握る者――反応は様々だったが、警戒態勢を取ったのは変わらなかった。


「あらあら。まあまあ。お揃いで一体どうしたっていうのかしらあ?」


 女はあきらかに異質だった。

 その裸体を惜しげもなく晒し、巻きつけているのは長い衣のような薄布が一枚だけ。その腕や足には黄金の鈴が光る。


 足を組み替えると、シャァン――と鈴の鳴る音がした。

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