23話 有平糖を食べよう
「ああー!」
瑠璃の叫び声が響き、ゲーム終了が宣言された。テレビの中では瑠璃のチームのキャラクターががっくりと肩を落としている。続けてスコアが表示されているが、たった今対戦していた相手チームよりもやや低い。
「くそー、もうちょっとだったのに」
瑠璃はもう少しで赤いコントローラーを放り投げるところだった。
瑠璃がやっているゲームはオンラインに繋がっている。普段は同じプレイヤー同士の対戦は、野良にしろ友人同士にしろチームは自動的に振り分けられるのだが、公式が定期的にフェスと呼ばれる対戦試合を開催した時には、全プレイヤーが二つの陣営に分かれる。
出されたお題に応じてどちらの陣営に入るか参加表明をしたあとは、同陣営のプレイヤー同士でチームを組んで試合をし、得点を稼ぐのだ。その合計得点の高いチームが勝利となる。勝っても負けてもアイテムは貰えるが、勝利チームに入っていたほうは特典として見た目を変える装備が貰える。
「……それで」
隣から鋭い声が降りかかる。瑠璃は隣を見上げた。
「何故、我がこのようなことに付き合わされているのだ?」
青いコントローラーを手にしたブラッドガルドは真顔で尋ねた。
「……三戦目までやってから聞くことかなあ……」
「貴様がフェスだかなんだか言って真っ昼間から駆り出してきたんだろうが」
「文句言いつつやってくれるあたり、嫌いではなさそうだよね……」
正直、カードゲームやボードゲームはもとより、こういった対戦形式のゲームは嫌いでは無いように思える。こっちでは戦闘と――少なくとも日本では――呼べるものが無いので、こういうもので何かを消化しているのかもしれない。
「ふん、なんとでも言うがいい」
ブラッドガルドは呆れきったとでも言いたげに言い放つ。
「しかし、いかんせん糖分が足りん」
「糖分?」
「こちらに無い文化だからな。疲労はする」
「それは……、糖分ってより、画面の見過ぎでは……、休憩する?」
「糖分だ」
断言するブラッドガルド。
「……わかったよ、ちょっと待ってて」
瑠璃はコントローラーを置いて立ち上がると、ダイニングテーブルへと歩いていった。ブラッドガルドはその背を少し見てから、画面に視線を戻す。
瑠璃は戻ってくると、赤い袋の中から取りだしたそれをブラッドガルドの目の前に差し出した。
「はい」
その指先に、黄色く透き通った、三角形の小さなものがある。
「……」
時が止まったかのように、無言のまま目線が小さな塊と瑠璃の間を行きつ戻りつする。
「あの……口を開けるか、そうでなきゃ手を差し出してほしいんだけど……」
瑠璃としてはそのまま口の中に放り込みたかったのだが、意図に反してブラッドガルドが止まってしまったのでどうにもできないままでいた。
「……なんだこれは」
「え。飴だけど」
「あめ……」
「正しくは有平糖、だっけな?」
片手で飴を差し出したまま、赤い袋をまじまじと見つめる瑠璃。
その間に、ブラッドガルドはコントローラーをテーブルに置いた。そのカタリという小さな音で、瑠璃は視線を戻す。
「えっ。……え?」
「説明も無く、我に差し出す気か?」
「……えっ?」
瑠璃が困惑した声をあげると、ブラッドガルドの口の端が少しずつ上がっていった。ソファに背を預け、姿勢を正すように足が組まれると、するりと衣擦れの音が響いた。
*
「えー……。飴の歴史はとても古い!」
瑠璃はスマホを見ながら言った。
ソファの反対側で、柔らかな肘掛けに腰を預けて膝を抱えるように座っている。
ゲームは中断されていて、テレビ画面では瑠璃のキャラクターが手持ち無沙汰に武器を構えつつ準備万端といったように揺れている。
「日本だけでも一番古いところだと、『日本書記』にも書かれてるらしいね。神武天皇っていう、日本の……初代王様が作ったって言われているよ。アマテラスっていう太陽の女神様の子孫で、日本を平定した伝説の人だね」
「……それは本当にか?」
「えっ、わかんない。伝説だし。でも、威厳を示すために神の子を名乗ることってよくあるじゃん。古代ギリシャとか」
「古代ギリシャと言われても我にはわからんのだが。まあいい。それで?」
瑠璃は続きに目を通す。
「この神武天皇が……今の言葉に直すと、『私はたくさんの平らなお皿を使って、水無しで飴を作ろうと思う。この飴を民に振る舞えば、武力を使わず天下を治めることができるだろう』……って感じの事を言ったみたいだね」
「水無しで、飴を? どういうことだ」
「う、うーん。どうも製法が意味不明で、本当に今ある飴のことを指してるかはわからないみたいだけど」
もう一度スマホをスクロールしてから言う。
「ただ、この時代からすると、今でいう水飴のことじゃないかな。水飴っていうのはお米や麦なんかの穀物とか、芋類に含まれるデンプンっていう粉から作られるとろっとした液体のことね。コーンスターチとかからも作られるから、今はそれが主流かな」
「その水飴は甘くないのか?」
「んー。基本的にデンプンは無味無臭みたいだけど……糖質が入ってるから多少は甘いんじゃないかな。『お菓子!』っていうほどお菓子っぽくは無いと思うけど。ただ、ねり飴とかシロップを足したお菓子としての水飴もあるからね」
瑠璃はそう付け足しておく。
ブラッドガルドの視線が一瞬瑠璃を見据えた。
料理用の水飴はともかく、駄菓子としてのねり飴や水飴がどこに売っているのか瑠璃は少し考えた。大型ショッピングセンターに入っているチェーン店の駄菓子屋で、昔ながらのねり飴が売っているのを思い出す。
その記憶を頭の片隅に留め置いてから、瑠璃は先を続けた。
「それで、この水飴に砂糖を加えて固めて作るのが、今、飴って言われて想像するものだよ」
「……つまり、今、我が食っている状態のものか」
さっきから口の中に飴が入っているので、多少、声が籠もって聞こえる。
ひとまず飴は噛むものではなく舌の上で転がすものだとは教えたので、そのまま舐め続けてはいるようだ。
時折ころんと牙に当たったような小さな音がする。
「他にも、飴は今と違って単なるお菓子の一種じゃなくて、仏事の供養なんかに使われてたって記述もあるみたい。他にもこうして宗教儀式なんかで使われたものはありそうだね」
「ふん、そうか」
「それから江戸時代になると製法も増えて、水飴と同じ意味の汁飴、更に練って堅くした固飴、砂糖を加えた砂糖飴――これが有平糖だね――、それと前に食べた若あゆの中身。求肥ってあったでしょ。あれも当時は求肥飴って言われてて、飴の一種みたいな感じだったみたい」
「……は。あれも飴なのか?」
「求肥って、私からすると飴よりもお餅に近いイメージなんだけど……」
ただそれ以上はなんとも言えず、先を続けることにした。
「更に材料によってニッケイ飴とかゴマ飴とか、薬草を入れたもの。形も動物の形を作る吹飴や、子供の長寿を願う千歳飴って色々あるよ。この頃には更にいろいろな芸を見せたり物をくれたりする飴売りがいて、庶民にも広まっていったみたいだね」
「で、有平糖だけが一人歩きしているのは何故だ」
「有平糖は元々アルフェロアっていう飴菓子、ポルトガルから入ってきた南蛮菓子の一つなんだよ」
「……ああ」
妙な名前だと思った――というようなため息が漏れた。
何しろ他がほとんど「なんとか飴」というような命名がほとんどだし、砂糖を入れた飴にもちゃんと砂糖飴という名前があるなら、それだけ特別視されている意味をずっと探していたのだろう。
「さっきの話じゃないけど、飴は当然日本だけじゃなくて、世界各地で作られてた。ここはちょっと砂糖の話と混じっちゃうんだけど……どうする?」
「ひとまずアルフェロアについて教えろ、どうせまた後で同じことを聞くからな」
「うええ」
思わず出た妙な悲鳴に、ブラッドガルドの口の端がまた上がった。
「アルフェロアはポルトガル語でねじり飴って意味。日本に伝来した当初は普通にただの飴と変わらなかったんじゃないかな」
「海外での飴、ということか」
「ただし、今はこのアルフェロアってお菓子は作られてないって話があるね。むしろ、アルフェニンっていうお菓子のほうが直接的なルーツじゃないかって考えられてるよ。こっちのお菓子の作り方が、江戸時代から残る菓子製法書に載ってる有平糖とほぼ同じだって。今でもキリスト教の行事で奉納されてるみたいだね。でも……、うん、今は一応アルフェロアって呼ぶことにするね」
「……まあ、いくつも呼び名があってもな」
瑠璃は頷く。
「ただ、それが日本が鎖国をしてる間に研ぎ澄まされた。前にちょっと話したカステラと同じ。アルフェロアは日本風に有平糖ってあて字をされて、だんだんと日本独自の発展をするわけ。温度管理なんかに秘伝があって……、工芸細工みたいなものを作る職人は、特に重宝されて名人とまで呼ばれたとかね」
瑠璃は再びスマホの画面に目をやる。
八代将軍吉宗の時代になると、「献上菓子御受納」を拝命し、羽織袴に帯刀まで許されたというのだから驚きだ。
当時の日本では、領主階級である武士に苗字帯刀が許可されていた。それらは身分証明であり、当時は一般市民もまだ武器を持っていたが、帯刀とはそれらの短刀や護身用とは違う、長刀のことである。
場合によっては苗字を名乗る範囲が定められていたり、村の役人や豪商が許可されていたこともあるが、
「お城に入るのに商人とかは裏口みたいな所を通らなきゃいけないんだけど、その人たちは特別に堂々と正門から入れたんだよ」
「ずいぶんな特別待遇だな」
「だよねえ」
「……わかる気はするが」
ブラッドガルドは口元を押さえた。つぶやきのようなそれに、瑠璃は表情を崩す。
それを見つけられないうちに、さっと下を向いた。
「江戸時代後期になると凝ったものが作られるようになった。
曲げた形のものとか、縞模様のものとか……。今でも引き出物や和菓子のひとつとしていろいろな有平糖が作られるんだけど、千代結びって呼ばれる紅白の結び形のものとか、花や葉っぱの形なんかが有名だね」
そこで少し影が落ちた。
見上げると、ブラッドガルドが手を差し出していた。寄越せ、という意味らしい。瑠璃は横に置いてあった飴の袋を手に取り、中から赤い色の飴をひとつ取り出した。差し出された手の上に乗せる。
「もうちょっと気楽なもので有名なのは、榮太郎総本舗って所の有平糖かな」
飴の袋を元の場所に置き、スマホに目線を戻す。
「まだ高価だった有平糖をそれこそもっと気軽に、ってことで、ハサミで切って三角の形にして売り出したのが始まり。この形が梅干しに似てるからってことで、江戸の庶民が『梅ぼ志飴』って呼びはじめた。それをそのまま商品名にして売り出されてるよ」
ブラッドガルドはしばらくルビーのような赤い色を興味深げにつまんで見ていたが、やがて口の中に放り込んだ。
「飴と有平糖は同じものだけど、違いがあるとするなら水飴と砂糖の割合かな。有平糖はなんかもう、飴というか、有平糖っていうお菓子の一種になってる気はする」
「じゃあ、違うのは形だけか」
「んんん……一応、色んな味はあるよ。飴にまで範囲を広げて見ても、ミルク味とかイチゴ味とか、紅茶、コーヒー、抹茶……って色々と味があるからね。地域のお土産で作ってるところもあるし。見た目も透明だったりそうじゃなかったりとかさ。最近だと甘いだけじゃなくて、手軽に塩分補給ができる塩飴とかもあるかな」
「……何故塩分が必要なんだ」
「夏は暑くて汗と一緒に塩分が出るから」
「……ああ、そういえばこちら側はずいぶんと暑いな」
ブラッドガルドは目線を少しだけ窓の外へとやる。
正直、瑠璃は自分の部屋の向かい側に建物が無くて良かったと思う。ブラッドガルドはコスプレにしたって本格的すぎるからだ。
「これから夏だからもっと暑くなるけど……そっちはどうなの?」
「……人間どもの大地はともかく、我の大地は基本的に寒い」
「え、雪とか降るの?」
「雪は無い」
「ええ……全然想像できない……」
寒いところといったら雪が降っている、というのが瑠璃の中でのイメージだ。
「じゃあそのうち見せてね」
「…………あの封印が解かれたらな」
妙な間があったが、まあそれもそうか、と頷く。
そもそも封印が解かれたとして、瑠璃の通っている扉がどうなるのかもわからないのだ。瑠璃は魔法にまったく詳しくないためにイメージがしにくかったが、そのまま消えてしまう可能性は高いのではと思っていた。
ブラッドガルドがどう考えているのかはわからないが、尋ねることもできなかった。
「しかし、確かに糖分は補給できた。腹は膨れないが」
「へへー。でしょ? 飴いいでしょ?」
「……」
笑う瑠璃に対して細められる目から、同意はするが今ここで肯定したくない、という絶対的な意志を感じた。
すい、と腕が伸び、瑠璃はその顎を掴まれる。瑠璃が何か言う前に、ぐっと顔が近くなった。
「調子に乗るな」
至近距離で、ぽかんとした瑠璃の目が瞬く。赤黒い瞳に自分が映っているのが見えた。
「……ここまで付き合ったからには必ず何かしら作ってもらうからな」
「えっ。飴は?」
「それとこれとは別だ。……オム……オムライス? とかでいいだろうが」
「食べたいってこと!? いや……できるけど!!」
「用意をしておけ、我は対戦の続きをする」
「なんでだよ!!」
それに関してはツッコミしかなかった。
五月蠅いというような目をしながら、ブラッドガルドは離れた。同時に顎も自由になる。あまりにマイペースなその様子に、瑠璃は文句を言う気力も無くなってため息をついた。
仕方なく、テーブルの上に置かれた飴の袋を手に立ち上がる。
それをキッチンテーブルのほうへと移動させようとして、ふと気付いた。
袋を開けて中の個数を確認する。
「あ、ねえ」
「なんだ」
「残り二個しかないから口開けて」
「は? ……」
何か言いかけて開いた口に、ぽいっと軽く黄色い飴を押し込むと、瑠璃は最後の一個が取られないうちにキッチンへと駆け込んだ。
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