22話 オムレットを食べよう

「そういえば結構前なんだけど、近所にあったパスタ料理の店が移転してさあ」


 瑠璃の友人の一人が、卵焼きを箸でつまみながら言う。

 時間は十二時過ぎ。学校での昼ご飯どきのことだった。


「おー」

「なに?」


 いつものことだが、突然始まる話に弁当を食べながら反応する瑠璃たち。


「駐車場までついてる結構大きいお店だったんだけど、土地は別の人のだったらしくて。壊して更地にしちゃったのね」

「へー」

「更地のままなの?」

「それがさ、家族で『次は何になるんだろうねー』って話をしてて、お母さんは『次はお寿司屋さんとかがいいわねー』って話をしてたらさ。その話がいつの間にか、ご近所さんの間で『次はお寿司屋さんになる』って決定事項みたいになっちゃって」


 ふふっ、と誰かが吹きだした。


「近所のおばさんにそこの近くで挨拶した時に、『そういえばあそこお寿司屋さんになるんでしょ?』って、なんかもう当然知ってるでしょみたいないい顔で聞かれて、あたし思わず『えっ?』て素で返しちゃって」

「んふふ」


 微妙に真に迫った演技に、瑠璃たちはツボを刺激された。


「それあたしが一番聞きたかったよね! 『ほんとにお寿司屋さんになるんですか!?』って。一応、『私は知らないです』って答えちゃったんだけど」

「なんで急にそんなこと思い出したの?」

「今、卵焼き見てたら思い出した。最近工事が始まって、オムライス専門店になったから」

「全然お寿司屋さんじゃないじゃん!」

「でもなんかデザートのオムレットが美味しいってお店だったからちょっと期待してる」

「あっ、それ知ってる! なんとかいう名前じゃなかったっけ?」

「全然名前思い出せてねえじゃん」

「……え、オムレット?」


 そう尋ねるように言ったのは、瑠璃だった。





「オムレット?」


 ブラッドガルドのオウム返しのような言葉に、瑠璃は頷く。


「うん。オムレット」


 瑠璃が持ってきたお菓子をテーブルの上に出す。

 二つ折りにされたスポンジの真ん中に、真っ白な生クリームがうねりながらたっぷりと入っている。瑠璃はひとまず二つを取り出した。その生クリームの上には、小さいが真っ赤なイチゴと、ブルーベリーが寄り添うように乗っている。

 色合いのためか、ミントがちょこんと添えられていた。


「……これは……ケーキではなく、か?」

「え? そりゃスポンジはだいたいケーキに使うものではあるけど」

「それはわかる。名前にケーキはつかないのか?」

「あ、そういうこと」


 瑠璃は紙皿に乗せたオムレットをブラッドガルドのほうへと滑らせる。

 周りのビニールを丁寧に剥がすと、ブラッドガルドはオムレットをつまんで持ち上げた。


「まあいい。説明しろ。……これはスポンジなのだよな? ケーキの」


 ブラッドガルドはそう言うとオムレットをかじりとる。

 たっぷりと入った生クリームが、行き場所を失って溢れ出た。


 瑠璃も食べたかったが、説明を先に乞われてしまっては先に進まないわけにはいかない。

 とはいえ文句のひとつもないので、味は悪くない、ということなんだろう。


「そういえばロールケーキの時くらいに話したよね、確か。ビスケットを試行錯誤したらできたのがスポンジ」

「そうだな」


 口元についた生クリームを指で拭き取る。


「んー……お菓子ってどうやって生まれると思う?」

「は?」


 突然の質問に、ブラッドガルドの手も止まる。


「……どうやって、とは。材料のことか?」

「じゃなくて、お菓子ってあんまりこう、生存って意味では必要ないよね?」

「……」


 一瞬目を細めるが、すぐに思い直したように頷く。


「……普通に考えればそうだろうな。食糧という意味では嗜好品は二の次だ」

「うん。前にもしたけれど、一四七九年に、イベリア半島のカスティーリャ王国の女王様と、その隣国アラゴンの王子様が結婚して、新たにスペインって国ができた。スペインはこの頃、物凄く躍進したんだよ。コロンブスって人を援助した結果、海を渡った先の新大陸を発見したりね。詳しいことは抜きにしても、そこから砂糖きびの栽培も一緒に広がった」

「……つまり?」

「お菓子学的にみれば、砂糖が普及して、お菓子の技術も発展したってこと!」


 瑠璃が瞬間的に口にした造語に、ブラッドガルドは口元をあげた。

 少なくとも気に入ったようだ。


「前にビスケットの話をしたけど、その頃のお菓子はほとんどビスケット類だったみたいだね」

「確かそういう話だったな」

「うん。でも、誰かが卵を泡立てて焼いてみたら、ふんわりした」

「……。待て。以前は試行錯誤、と聞いた気がしたが。たったそれだけでか?」

「もちろん、他の材料も入れて焼いてみたんだと思うけど……でもとにかく、たった一つの工夫で大革命が起こったんだよ。

 それがビスコチョ。

 意味は『二度焼いたもの』だよ。

 ビスコチョが、ビスケットの祖先って書いてあるページもあるけど……どっちにしろスポンジケーキはビスケットからできたものみたいだね。そもそもフランス菓子の世界だと、今でいうビスキュイはスポンジケーキのことを言うみたいだし……。フィンガー・ビスケットもルーツはここだし。

 誰がやったとか、どうしてやったとか……そういうことはわからない。けど、このふわふわした食感にみんなやられちゃって」


 スポンジは当時、カスティーリャ・ボーロ(カスティーリャ王国の菓子)として日本に伝わり、今でいうカステラとなった。だが日本ではカステラという素材そのものの作り方が研磨されていったのに対し、反対に当時の海外では、スポンジという素材に生クリームやフルーツを盛り上げ、デコレーションしていく方向へと向かったのだ。


「……パンに砂糖を入れればスポンジになるかと思っていたが」

「そういうパンもあるんじゃないかな。ほら、私のとこときみのとこでは多少前後するかもしれないし」

「違いはあったのだな」

「あははー。材料が似通ってるからねえ」


 瑠璃は笑う。


「それまで堅いビスケットしか無かったのが、急にスポンジなんてのが出てきた。だから、それまでのビスケットにとって変わって、スポンジで工夫しはじめた。それこそ生クリームを乗せたり挟んだり、そういう過程で出来たんじゃないかな」

「なんだ、妙に消極的だな」


 聞いた話の復習ばかりだ、という感情を隠しもしない。


「なんかどういう経緯で出来た、って由来がはっきりしないんだよねえ……」

「なんだ。貴様のスマホでも見つけられないのか?」

「名前の由来はオムレツに似ているから、ってのがあるんだけどね」

「……オムレツ? ……確かにオムレットとオムレツで名前は似ているな」

「オムレツっていうのは……えーと……」


 瑠璃はネットで検索をかけ、画像を取り出す。


「これ!」


 黄色くつやつやとしたオムレツの画像を選び、目の前に見せる。

 見事に映えそうな綺麗な紡錘型に、ブラッドガルドの手さえ止まった。


「オムレツっていうのは、溶き卵を鍋とかフライパンで焼いた卵料理のことね。形はこれだったり、半円型だったりするね。それらの卵料理のことを海外だとみんなオムレットっていうんだよ。くわえて、えーと……」


 瑠璃はスマホに目を走らせつつ、文字を読んでいく。


「んー、日本とそれ以外だとオムレツの概念がちょっと違うみたい」


 瑠璃は説明のために出した卵焼きの画像を見せる。

 卵を焼いた料理という意味では同じだし、


「日本には卵焼きっていう、同じような料理があるんだけど、日本だとそれは別物としてカウントしちゃうんだよ。大体『形が違う』んだけど、海外だとみんなオムレット」


 海外は卵を焼いていればどんなものでもオムレットなのに対して、日本では卵焼きとオムレツは別の料理という概念になっている。これはかに玉なんかでも同じらしい。


「卵を焼いてあればみな卵焼き、というようにはならなかったのか?」

「ダシを入れて巻いてあればだし巻き卵とか、更に名前が変わったりするし」

「貴様ら、さては頭が固いな……?」

「ど、どうだろう!? 分類好きではあるのかも……?」


 瑠璃は思い当たるふしを頭の中で探したが、さすがに日本人の気質をすべて説明するのは無理だった。

 だいたい、個人レベルにまで落とし込むと複雑になってくる。


「と……とりあえず、中に何も入れずに作ったオムレツはプレーンオムレツって言われたりするけど」

「何も入れない?」

「プレーンは簡素とか、あっさりしたって意味ね。日本だとオムレツに限らず『プレーン味』でシンプルなものを指して言ったりするよ」

「ということは、普通オムレツと言って指すのは別に何かを入れるのか」

「うん。普通は中に野菜とかハムとかチーズとか入れたり、ソースをかけて食べるんだよ」

「ほう」


 ブラッドガルドは瑠璃を見る。


「それで、貴様はそれを作れるのか?」

「えっ。作れないこともないと思うけど……!」


 さすがに作ったものを人に食べさせるとなると、瑠璃もドキリとする。

 何も言っていないのに瑠璃がそういう判断をしていることに、ブラッドガルドは満足そうに心の中だけで頷いた。


「ちなみにオムライスってものがあって、それは味付けしたご飯をオムレツで包むものね。これはオムレツに米(ライス)をくっつけた和製英語で、日本独自のものだよ。ここから発展して、中に焼きそばとかを入れたものはオムそばとか言われてるね」

「ふむ。……それはわかったが、オムレツの由来はどうした」

「このオムレツの由来もいくつかあって、はっきりはしないんだけど。

 一つは古代ローマで卵と蜂蜜を混ぜて作った、オウア・メリータが元になった説。

 二つ目は、ラテン語で金属の薄板のことをラミナっていったらしいのね。今でも、薄くのばすことをラミネートっていうんだけど。これがフランス語で剣を意味するラメルになって、本来の意味である薄板を示すオムレットになった説。

 面白いのは、ある王様が散歩中にお腹が空いちゃって、近くに住んでいた男に何か料理を作れと命じたのね。で、その人は簡単にできる卵料理を作った。そして王様がそれを見て――『ケム・オム・レスト(なんて素早い男だ)!』って言った説」

「面白いが、急に由来がバカみたいになるのは何故なんだ」

「バカみたいかなあ!? 由来の信憑性としては「お姫様が輿入れの際に持ってきた」レベルと同等だと思うけど!?」


 どちらかいうと、「ドーナツにインディアンが矢を放って穴を開けた」レベルに近い。


「まあ良い。それで終わりか?」

「うん」


 これで瑠璃もようやくオムレットに手をつけられる。

 オムレットを包むビニールを外し、食べやすそうなところを見つけてかぶりつく。

 柔らかなスポンジと一緒に甘い生クリームが入ってきた。生クリームがあふれて下に落っこちてきそうなのを、反対側の手でカバーしつつ上を向く。

 ちょっと品の無い食べ方だが、それどころではなかった。

 口の中で咀嚼したものを呑み込んだあと、思わず言う。


「んー! おいしい……!」


 イチゴとブルーベリーのほどよい酸っぱさが乗っかり、甘みにちょうど良い酸味を与えてくれる。

 既に一つ食べきったブラッドガルドはその様子を見ながら、横に置かれた紅茶を口にした。


「しかしその……オムレツか。焼いただけとはいえ、ドゥーラとは大違いのようだな」

「えっ、何それ?」


 二口目を咀嚼したあとに瑠璃は続ける。


「なんかの魔物?」

「人間どもの国のひとつだ。ドゥーラの飯は不味いことで有名だったからな」

「どういうこと!?」


 さすがにツッコミを入れてしまう瑠璃。


「それってつまり……、でかい迷宮の奥地に陣取ってる人の耳に入るレベルで不味いってこと?」

「そうなるな」


 ブラッドガルドは一つも表情を崩さないまま肯定する。

 よほどの事実らしい。


「冒険者が迷宮で噂していたのが耳に届いたまで、だが――」


 ブラッドガルドはそう前置きしてから、ひとつひとつ思い返すように言い始める。


「海を挟んだところにある小さな島に、ドゥーラという国がある。ドゥーラは魔術師たちの国……つまり魔法大国、魔術王国、魔導の国と呼ばれるものだ」

「ま、魔術王国……!」


 通常であれば感動もしただろう。

 だが瑠璃の中では、飯が不味いという事実にすべてがかき消されてしまっていた。


「……もともと、人間どもの魔術師は魔術を秘匿していたようだな。才能のある者はいる。だいたいは将来有望な子供に声をかけて引き取ったりして、弟子として養育していた。それがドゥーラの始まりだ」

「へえー。それがどう繋がるの?」

「修行を兼ねて、家事や料理は弟子に一任させる。だが、そもそもは子供だ。まだ料理を覚えていない者もいる。そんなことを繰り返しているうちに、次第に料理の幅が狭くなった……とは言われているな」

「大人は? 大人になったら魔法が使えないとかってわけじゃないんでしょ?」

「大人は完成された人間だ。それまでの考え方の違いで衝突したり、修行の放棄などが起きると厄介なんだろう。加えて、迷宮戦争のまっただ中に蔓延した死の呪いが、ドゥーラにまで入り込んだ」

「ああ……」


 前にそれとなく聞いた気がする。

 ブラッドガルドの迷宮に侵され、放棄された領土。その領土を人間の手に取り戻す――という名目と、迷宮攻略を口実に、土地の横取りを狙ったことから起きた迷宮戦争。そこに死の呪いが蔓延し、より人間たちは疲弊していった。


「奴らは結界を張って引きこもったが、既に死の呪いは国に入り込んでいた。国が荒れた結果どうなったかは知らんが、それ以降とにかくなんでもいいから食材は焼け、という方針になったようだな」

「消毒って意味では正しい気がするけど、それがきみのとこにまで噂として届くとか、相当なんだね……」

「魔術は上手いが飯は不味い、というのが揶揄として使われていたようだからな」

「うわあ……」


 瑠璃は紅茶を一口飲んで、口の中の甘みを流した。

 残った半分のオムレットを口にすると、ふとブラッドガルドを見る。


「ってか思ったんだけど、死の呪いってきみが蔓延させたわけでは……」

「違うが」

「あ、違うんだ。じゃあいいや」


 食べかけのオムレットを紙皿に置き、もう一度箱の中を見る瑠璃。


「……信じるのか?」

「嘘なの!?」

「嘘ではない。だが、我が死の呪いを蔓延させたと思っている輩は多いのでな」

「確かに言われないとわかんなかった」

「……うん? ……まあ、そう……、そうか」


 瑠璃は思わずブラッドガルドを見返した。

 今までになくどこかぼんやりとしているというか、何か考えながらというか、歯切れの悪いような返答だったからだ。


「……どしたの、大丈夫? チョコバナナ味食べる?」

「は?」

「戻るの早っ!」


 あまりの切り替えの早さにツッコミを入れざるをえなかった。

 気を取り直して、箱の中から取り出したチョコバナナ味は、スポンジにもチョコをしみこませたものだ。黒めの外見に、白い生クリームが映える。そこに乗せられたカットバナナの上から、チョコレートが波形にかけられている。

 瑠璃が皿の上に乗せると、すっと自然な勢いで手が伸びてきた。それを止める。


「待って。私にも一口!」

「……バナナの説明をしたらな」


 そして瑠璃は――特に解放されることなく、バナナの説明に終始したのだった。

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