15話 若あゆを食べよう

 初夏だ。

 まごうことなく、初夏だ。


「初夏といえば! アユ!」


 瑠璃は紙袋を掲げた。


「というわけで、今日は若あゆ、ですっ!」

「……」


 そんな瑠璃に対し、ブラッドガルドからは微妙な反応が返ってきた。

 魚そのものだと思われたんだろうかと思いつつ、瑠璃は座布団に腰を下ろす。


「……ちなみに、アユは知ってる?」

「知らんな」


 ――あっ、そこからかあ……。


 瑠璃は魚はわかるかなと思っていたのだが、どうもそこから駄目だったらしい。

 紙袋からお菓子を取り出す前に、瑠璃はスマホを取りだして検索をかけた。


「アユはね、魚の名前だよ」


 アユ。

 キュウリウオ目。

 漢字では鮎。または香魚、年魚とも。他にも成長や地域によって呼び方は様々。

 川や海を回遊し、海である程度成長したのち、産卵のために川へ遡上する。

 初夏を代表する味覚であり、実は高級食材。天然ものと養殖にそれぞれ向いた料理法がある。

 日本では川釣りの対象だが、岐阜県長良川では鵜飼いが有名。


「で、水質資源保護の意味で、十一月から五月まで漁が制限されるんだよ。だから六月のアユ解禁になるとニュースになったりするね」


 それで、これが――と瑠璃は続けて、スマホを見せた。

 体長二十センチほどの、スマートな体。銀色に光るうろこと、黄色い模様。


「そしてこれが、若あゆ!」


 瑠璃は紙袋を開けて、中の若あゆを取り出した。

 細長い半月形の焼き菓子だが、外の生地はどら焼きなどにも使われるカステラ生地で柔らかい。

 そこに目とエラ、そしてヒレが申し訳程度に焼印されている。


 ブラッドガルドの眉間にますます皺が寄った。

 物凄く解せない表情をした後、スッとブラッドガルドが瑠璃を見上げた。おもむろに片手を伸ばす。その手が瑠璃の頭を捕まえたあと、ゆっくりと力がこもり始める。


「ちょっと何すんのー!?」


 腕を両手で掴んで引き離そうとするが、まったく腕は動かなかった。

 ぬぎぎ、と声をあげる様子に気が済んだのか、あまりにもあっさりと手を離した。


「……別の魚だと言われても納得していたところだ」

「それ以前に今のは何だったの!?」


 本格的な痛みこそ無かったが、むしろ今の理不尽な暴力について説明してほしかった。


 とはいえ、若あゆを指してこれをアユですと言ったところで、他の魚と区別しろというのもどうかと思う。何しろまったく知らない人にとってみれば、まあ魚の絵だろうな、というくらいに簡略化されている。ここから種類を特定しろというのは酷だ。せいぜい少し長細い体くらいの情報しかない。

 話を変えるように、代わりに瑠璃はしゃべり出した。


「若あゆは、本当はアユ漁の解禁される六月くらい……初夏のあたりに売り出されるんだけど、最近だともう少し早いくらいかな。桜餅が無くなったらもうすぐくらい。スーパーなんかだと一年中売ってることもあるけど、和菓子屋さんなんかだとセオリーに則ってるところは多いと思うなあ」

「ほう」

「まあ、これは魚じゃあないけど。アユ漁にあわせて出るお菓子だよこれが」


 ビニールの包みから取り出し、瑠璃はなんの危機感も無く口に入れる。


 どら焼きに似た生地は柔らかくて、薄く焼いてある割にふんわりとしている。

 ブラッドガルドが生地の中から見えている白い求肥を微妙な表情で眺めているのを見ながら、瑠璃はさっさと二口目を口にする。


 中に入った求肥ももっちりとしていて、柔らかくておいしい。

 どら焼きなどのあんことはまったく違う味わいだ。


「……ちゃんとヒトの食うものだったか……」

「えっ何その感想!?」


 何を想像していたかまではわからないが、さすがにツッコミは入れた。

 不味ければ文句は言ってくるだろうから、反応は悪くないんだろうなと瑠璃は思う。


「……で、この中の白いものは何だ」

「えっとね。『求肥』っていう……なんだろ、お餅の一種?」

「何故そこで貴様が疑問形になるんだ」

「求肥は求肥だから……」


 言いつつ、片手で食べられるものなのでもう片方で瑠璃はスマホを弄る。

 少しはしたないのだが、瑠璃の中でここでのお茶会はすっかり気取らない場所になっているので抵抗感はほぼ無い。


「ああでも、白玉粉とか餅粉に砂糖や水飴を加えて作るものだから、お餅の一種ではあるのかも……」


 求肥を使った菓子はたくさんある。

 羽二重餅やきびだんごなど伝統的な菓子を筆頭に、ロッテアイスが販売する「雪見だいふく」もそうだ。こちらは大福の餡子をアイスクリームにした冷菓だが、外側の部分は薄い求肥で作られている。


「この求肥はもともと同じ読みの牛皮、つまり牛の皮って名前だったみたいね。なめし皮みたいに白いとか、昔は黒砂糖を使ってたから似てたとか、そういう理由みたい?」

「牛の皮はまあ、わかるが」

「お菓子がそれじゃーどうなのってことで変えられたみたいだね。なんで漢字が変えられたのかについてはよくわかんないなあ」


 とはいえ、やっぱり牛の皮だと良くなかったのかな、と瑠璃は続けた。


「この生地のほうは中花種って言ってね。卵と砂糖と小麦粉を混ぜたものを薄く焼いて、布みたいにして包み込むの。どら焼きっていう同じ生地のお菓子があるんだけど、こっちは少し違って、膨張剤がはいってるんだって。だから折り曲げたりしようとするとすぐ折れちゃう」


 この中花種だが、中花と呼ばれる菓子でもある。元々は「中華饅頭」なる菓子が存在し、その製法というのが流した生地に餡を包んだものだ。月餅などの中国の焼き菓子と同じであるため、中華から転じて中花の名前がついたのではないかと言われている。


「布っていえば、元は調布ってお菓子みたいだったんだよね、これ」

「調布?」

「租庸調の調のことだよ。知らない?」

「知らん」

「えーっと……昔の日本とか中国で使われてた税制……税金の代わりみたいなものだね」


 瑠璃は簡単にまとめる。


 租は米。

 庸は労役、またはその代納品としての布、米、塩など。

 調は繊維製品で、布が調布だ。


 絹も調としての正当な品だが、それらは天皇などが用いる最高級品のため、布とは別扱いだった。


 ちなみに東京の調布も、元々は布を朝廷に提出していたことからついた名前だ。


「元々はこの形が畳んだ布みたいに見えるから調布。その調布からなんであゆになったのかは……ううん」


 手元のスマホを操作しても、それらしい情報は出て来ない。


「ハッキリわからないけど、それでも和菓子屋さんだと名前は今でも若あゆとかの他に、調布あゆとかついてたりするよ」

「そのあたりは統一されてはおらんのだな」

「うーん。茶道……茶の湯っていうお茶とお菓子で人をもてなす作法が広がったあたりに、一緒に和菓子もばーって広まって、和菓子で季節を表現するっていうのが……えーっと、なんかすごくイイネ! って感じになったから……」

「貴様の説明はよくわからんが、季節の風物詩に菓子を用いたり、菓子で表現するのが風雅であるというのはわかった」

「なんかすごい馬鹿にしてない!?」

「実際馬鹿みたいな説明だっただろうが」


 冷静にツッコミを入れるブラッドガルド。


「そう言うなよー! 私だって一応……えーっと、季節感はあるようにしてるんだから!」

「ほう。我をもてなそうという心意気はあると?」

「一応、驚くかなとか楽しんでくれるかなーっていう気持ちはある!」

「ふん」


 自分から聞いたくせに、無視するように目をそらしてお茶を飲みほした。

 ちなみに今日は和菓子なので、瑠璃の家で煮出したハトムギ茶だ。


 ブラッドガルドが二個目の若あゆを持っていくのを見ながら、瑠璃もお茶を飲む。

 今はまだ暖かいお茶でいいけれども、夏が近づけばもっと冷たいお茶でもいいかもしれない。


「そういえば、これの元になったアユという魚だが。そちらの魚料理はどうなっているんだ」

「そちらの、って?」


 詳しく聞くと、ブラッドガルドの世界の人間も魚は食べるものの、やはりパンと肉が中心。もちろん魚料理が無いわけではなく、上流階級では煮たり焼いたり揚げたり、ゼリー寄せにしたりなどの調理方法がとられていた。

 けれども、魚を多く食べるのはむしろ農民や一般人が中心。それも主に塩漬けだ。


「うーん、アユに限った話で言えば塩焼きのイメージだけど、天ぷらとか刺身とか」

「全然わからん」

「天ぷらは小麦粉と卵で作った衣をつけて、油で揚げる料理だよ」

「フライのようなものか?」

「そっちは卵白とかパン粉とかでしょ。でも、油で揚げるって点では一緒かなあ」


 揚げ物料理というところは同じだけど、天ぷらとフライは見た目が全然違う。


「なんか天ぷら食べたくなってきた」

「そうか」

「お刺身は何もしない。生のまま小さく切って、調味料で味をつけて食べる食べ方ね。お造りともいうよ。これは場合によっては中に寄生虫がいることもあるからその点だけ注意ね」

「……それは……料理、なのか……?」

「料理だよ」


 瑠璃は真顔で答える。

 おそらく生で食うならそのまま食えばいいのでは、という発想なのだろう。しかしどちらかというと、日本に初めて来て刺身を見る外国人のような、微妙に神妙な顔をするブラッドガルド。

 対して、やっぱりそういう文化圏のヒトから見るとそうなのか……と思う瑠璃。

 タコとか食べるって言ってもやっぱり驚くのかなあ、という思考を頭の片隅に置いて、瑠璃はスマホをスクロールさせる。


「他に珍しいのだと何だろうなあ……。塩焼きにして残った骨をあぶって、日本酒を注いで……ほねざけ……あ、ちがう。こつざけ。骨酒にすることもあるみたいだね」

「ほう。そういえば貴様は酒は持ってこんな。茶は持ってくるくせに」

「えー? 日本じゃ未成年はお酒買えないよー」


 瑠璃の両親がたまに飲んでいるので冷蔵庫に何本かはストックしてあるが、さすがにそれを持ち込むわけにもいかない。

 昔は親のお使いという名目で子供でもタバコや酒を買えたようだが、今は法律で「お使いでもダメ」という事になっている。それもあって、製菓用の小瓶の酒ですら買えなくなっている。

 とはいえ、瑠璃がそれを知ったのはまだ今年に入ってからだが。


「未成年とはいうが、貴様いくつだ」

「十六だよ」

「そうか。ただの小娘どころかガキだったか」

「待ってそれ何基準で?」


 ブラッドガルド基準なのか、それとも人間基準なのかで大きく変わってくる。


「人間基準でいけば……確か十八が成人だったな」

「なんで自分基準にしたの!!? というかきみはいくつだよ!!」

「二百を越えたあたりから忘れた。そんなことより、酒は無理か」


 まるでどうでもいいことのように流される。

 瑠璃はまだ何か言いたかったが、言っても駄目だと諦める。


「うーん。方法が無いこともないけど……今は無理かなあ。というか、やっぱり飲みたいの?」

「興味はあるな。どうせ此方と其方で酒の種類も違いそうだ」


 やっぱりお酒を飲む人ってそういうの気になるんだなー、と瑠璃はしみじみ感じた。

 これは瑠璃の親がそうだったので、そう思っているだけだ。子供の頃から共働きである両親だったが、いくら忙しくても、何か珍しいお酒を入手したとあると、喜び勇んで二人してこそこそと飲んでいた。瑠璃は何となく気付いていたので、それは普通の光景だった。


 ――ブラッド君にチョコレートボンボンの存在を知らせてはならない……。


 同時に瑠璃は固く誓った。


「それと酒ではなさそうだが……、貴様の過去の発言で気になるものはあったな」

「えっ、なんか私言ったっけ?」

「……ふむ。今度にしておくか」

「いや、それも気になるんだけど……言ってよ」


 そう言うと、ブラッドガルドはしばらく、というか若あゆを一口食べてから続ける。


「貴様、以前に紅茶かコーヒーかどちらが良いか、と聞いただろう」

「ああ、うん。聞いたけど」


 テーブルが導入された頃に何度か尋ねたのだ。今日のお菓子にあわせるのは、紅茶かコーヒーかどちらが良いか。紅茶はTパック、コーヒーはインスタントだが、酒よりはごまかせる。

 ブラッドガルドがその都度紅茶と答えたので、その後は聞かずに紅茶を持ってきていた。とはいえ面倒な時や、こうして和菓子を持ってきた時は普通のお茶で済ませていたのだが。


「コーヒー、という飲み物はどんなものだ」

「えっ」


 瑠璃は知った。

 そもそもブラッドガルドがコーヒーを知らなかったのだということを。


「……今……それ言う……!?」

「言えと言ったのは貴様だろうが」


 しれっとした顔で答えられる。


「それなら、ついでにもうひとつ」

「まだあんの!?」

「貴様たちの国にいる、アユという魚だが――」

「え!? あ、アユがどうしたの」


 瑠璃はブラッドガルドの手が動いたほうに目を向ける。

 取り出されたのは、暇つぶしにと渡した地域情報専門誌の『ウォーカー』だ。


「その魚は此処には居るのか?」

「ここ?」


 瑠璃は訝しげに、示されたところを見る。

 その記事には、カメラ目線の女性二人が、イルカを前に笑顔をこちらに向けている。魚たちの写真も多く、字が読めずとも、少なくとも此処が何らかの水棲生物の展示か研究を行っている施設だというのは容易に想像できるのだろう。


「それって、水族館――あー、ここで紹介されてる建物がこの三文字でスイゾクカンって読むんだけど。ここに居るかどうかってこと?」

「そうだ。別にアユがいなくても良いが、日付と案内は貴様に一任しよう。そのうちな」

「うん。…………うん!?」


 今、何か「ついで」でとんでもない事を言われた気がして、瑠璃の頭はしばらく情報処理が追いつかなかった。

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