14話 アイスクリームを食べよう
瑠璃が部屋に入ると、ブラッドガルドは顔をあげ、横にあった携帯ゲーム機を差し出した。
「良い暇潰しになったぞ」
「そっか、ならよかった!」
へらりと笑って、瑠璃はそれを受け取った。
五月の末、中間テストを前に、瑠璃はブラッドガルドにゲーム機を預けた。
雑誌を乞われたのだが、そのついでにどうせ自分は遊べないから暇つぶしに、というのが理由だ。
今入っているソフトは、自社ゲームのキャラクターをふんだんに使った対戦アクションゲームである。ブラッドガルドも意外に飲み込みが早かったので、一通りの操作を教えられた。
「今度新しいゲーム出るから、やろう!」
瑠璃のほうは鼻息を荒くしたものの、ブラッドガルドは若干面倒臭そうな目で見返してきただけだった。
テーブルの上にトレイを置く。
今日は百均で買った白い小さな紙製カップがいくつも載っていた。それと、ガラスの小さなカップが二つ。スプーンが二つ。冷凍庫から出してきたばかりの箱入りのバニラアイスがひとつ。アイスを取り分ける用の大きめのスプーンが一つ。
ブラッドガルドが紙製カップの一つを手に取る。
中にはスライスしたアーモンドが入っていた。
「いや、バニラアイスってあるかなと思って……、それそのまま食べないで!?」
アーモンドスライスをそのまま口にするのを止める。
瑠璃はその間に箱入りのバニラアイスをガラスカップに入れた。アイスクリーム屋のキャンペーンで貰ったやつだ。そこにバニラアイスを何回か掬って入れた。
「……これはどうするんだ」
「あとは好きなのを! 入れる!」
胸を張って断言した。
瑠璃が持ってきたのはトッピングだ。
スライスアーモンド、ミックスカラースプレー、アラザン、チョコクランチ、デコペンがそれぞれ黒、白、ピンクの三種類。イチゴジャムとブルーベリージャムの瓶。それから小型のビスケット。
トッピングという意味ではこの他にも色々と種類はあるが、ひとまずよく見るものを持ってきた。
それにジャム以外はほとんど百円均一のトッピングコーナーで手に入れたものだし、スプレーとアラザンとチョコクランチ、それとデコペンはそれぞれ三種で一セットだった。ジャムは元々家にあったものだし、痛手は思いの他少ない。
「ま、最初はバニラアイスだけで食べて見るのもいいと思うよ」
瑠璃は何も入れてないまま、バニラアイスを渡した。
瑠璃も当然のごとくバニラアイスを口にする。
少しだけ溶けて柔らかくなってはいたが、瑠璃は最初に掬っていれた分の一つを選んで、二つに割ってから掬った。
口に入った瞬間、冷気をひんやりと感じる。
冷えたスプーンのつるりとした感触を覚えるのは一瞬のことで、それはすぐにアイスクリームに置き換わる。
舌の上に乗ったアイスの欠片は、弱々しく体温に溶かされて広がる。冷たさはすぐに淡いミルクの味になって、舌の上を滑り落ちていく。すっきりとした冷たさが気持ちよい。
味付けされたバニラの風味が少しだけした。
もちろん噛んでしまってもいいのだが、どうにも勿体ない気持ちになる。
ブラッドガルドはガラスカップの中身を平らげると、思案するようにカップを見下ろしていた。
「ど……どしたの」
「……氷菓の類なのはわかるが……こんな風だったか、と」
瑠璃は目をぱちぱちと瞬かせた。
「我が知っているのは――潰した果物や汁に酒や蜜などを混ぜて凍らせたものだ」
「なんだろ……ソルベとかシャーベットに近い感じかなあ……?」
瑠璃はそう言う。
瑠璃はソルベとシャーベットは似たようなものだと思っていたのだが、実際には微妙に違う。
まずソルベやソルベットと呼ばれるのはフランス語。
シャーベットは英語だ。これは冷やした飲み物を指すアラビア語のシャルバートや、トルコ語のシェルバットなどから来ていると言われている。
雪や氷などに蜜や果物で味付けをした飲み物は皇帝ネロが愛飲し、また古代ギリシャなどでも好まれたが、アラブなどに存在したそれら冷たい飲み物も、ヨーロッパにもたらされているからだ。
実際、「どこそこから氷菓を持ち帰った話」をはじめとした冷たい飲み物の記述は多く、かの「千夜一夜物語」にはシャルバートの記述があり、日本でも有名なマルコ・ポーロも中国から氷菓を持ち帰った話がある。
さて、それから時代が進んで十七世紀頃、イタリアでソルベットが誕生する。それが雪や氷に砂糖や果物などを加えるものだ。
瑠璃がもし市販のかき氷などを持ってきていたなら、逆に変わっているが物足りないと思われていたかもしれない。
「食える者は氷雪地帯に住む者か、このあたり……すなわち、我の迷宮が手を広げているあたりでは、氷を保管しておけるような金と地位のある者だ。そいつらの中でも、高級品として位置付けられている。……そんなものを、さすがにこれだけとは言わんよな?」
ブラッドガルドはスプーンで瑠璃の横にある箱を指さした。それから空っぽのガラスカップを指先で押し、テーブルの上を滑らせる。
瑠璃がそのカップを受け取ったのを見ると、腕とともに姿勢を戻して話を続けた。
「氷を出現させる魔術は存在するが、魔術師はそんなことをしない。氷の術式はそれほど知られているわけではないからな。冒険者に成り下がった者たちは知らんが、あろうことか高等な魔術を料理なんかに使うというのはプライドが許さんようだ」
「えっ。そうなの?」
「貴様はどうせ冒険地や野宿で火や氷が自由に使えれば便利、とでも思っていたんだろうがな」
「……うぐっ」
言い当てられてぐうの音も出ない瑠璃。
「まあ良い。貴様の中では所詮その程度なのだろう」
そうは言ったが、怒っている風でもなく口調は愉しげだった。
人間の中でも高度な技術に値するものをしれっと持ってきて、しかも同様に高度な技術を便利な道具扱いする。瑠璃の持つ、向こうの人間からすればとんでもなく世間ずれした感覚は、ブラッドガルドにとって小気味良かった。
それは一つの疑念にもなっていたが、今は口にしなかった。
「それで、これは何だ」
「んあ? えっとね」
瑠璃はアイスクリームの乗ったカップをそのままブラッドガルドに渡そうかと思ったが、その前に手を止めた。
スマホに目を通しながら、近くにあったチョコペンを手に取る。
「ええっと、ちょっと待ってね」
「……」
その間、ブラッドガルドは興味深げに、瑠璃のやる事を見ていた。
アイスクリームにはこれまたおなじみの伝説がある。
カトリーヌ・ド・メディシスが輿入れの際に伝えたというものだ。どうも多くの菓子が彼女が持ってきたことになっているが、裏付けやそれらしい文書は残されていない。どこからこの伝説が生まれたのかも、今のところ瑠璃にはわかっていない。
しかし、ソルベットの作り方と給仕法を最初に記したアントニオ・ラティーニという人物についてなら、著書が残っているようだった。
このラティーニ、著書において様々なフレーバーを紹介している。この時代では新しい材料だったチョコレートすらもだ。その中に、ミルクのソルベットも存在した。
このラティーニが作った甘い乳製品、つまりミルク・ソルベットこそが、最初のアイスクリームではないか――そう考える料理研究家は多い、とのことだった。
しかしソルベがこうした果汁やシャンパンなどを加えて作った氷菓なのに対し、シャーベットそのものが砂糖や卵、ミルクなどを加えて作るもののため、此方がアイスクリームのルーツとも言われている。
今ではそんなアイスクリームの代表格となっているのがバニラアイスだ。
やがて瑠璃の手によって簡易のサンデーが完成した。
バニラアイスのの周りにイチゴのジャムを配し、カラースプレーをふりかけ、ビスケットを突き刺したものだ。更にアーモンドを突き刺してウサギか猫の耳のようにした。チョコペンで点のような目と、笑った口元を描いたのはちょっとした悪戯心である。
「はい」
にっこりと手渡す瑠璃。
なんとも言えない表情で受け取るブラッドガルド。
とはいえそれは落書きされた顔についてだけだったようで、チョコペンやカラースプレーの乗った部分を早々に食べきった。
あとに残ったジャムとバニラアイスを混ぜながら口に入れると、しばらく時間をおいてから尋ねる。
「これは……ジャムか?」
「そうだよ。ブルーベリーのほうが良かった?」
「単品で食ってみたくはあるな」
瑠璃がジャムの瓶を手渡すと、ブラッドガルドはスプーンで掬って口の中に入れた。
無言のまま、眉間に皺が寄る。
――あれ、気に入らなかった? まあちょっと酸っぱいからなあ。
と思いきや、そのままもう一度スプーンを瓶の中に突っ込むと、イチゴごと口に入れる。もう一度スプーンを瓶に突っ込んだところで、瑠璃は口を開いた。
「無言のままジャムだけ食べるのやめてくんない?」
ブラッドガルドと似たような顔をしながら冷静にツッコミを入れた。
ジャムばかり食べられるのも困るので、瑠璃は一旦ジャム瓶を奪って横に退けておく。
「でも私、氷菓ってアイスも含めた全般のことを言うんだと思ってた」
「違うのか」
「分類上は一応別の物にされてる、かな?」
瑠璃はブラッドガルドが執拗にバニラアイスとジャムを混ぜ合わせている間に、スマホを見る。
「うーん。私たちはこういうのはみんなアイスクリームって呼ぶけど、一応分類はあるよ。あとはソフトクリームとかも分けて考えてしまうけど、これは分類じゃなくて工程上の呼び名みたい。……まあ、それはおいといて、アイスクリームの名前で呼ばれてるのは三種類あって、アイスクリーム、アイスミルク、ラクトアイスがあるよ」
「何が違うんだそれは」
「んーと……入ってる成分の調合、かな……?」
乳固形分と呼ばれる成分のうち、更に乳脂肪分がどれほどあるかで変わってくる。
アイスクリームは十五%以上、内、乳脂肪分が八%以上。
アイスミルクは十%以上、乳脂肪分が三%以上。
ラクトアイスは乳固形分が三%以上だ。
それ以外のかき氷やシャーベットなどは、みな氷菓に分類される。
「またよくわからん違いを……いや、違いをつけないとそれも面倒なのだったな」
ブラッドガルドはビスケットを指でつまみながら言った。
もちろんそういった分類以外にも、トルコアイスやジェラートなど、アイスクリームの種類は多い。それを全部一度に持ってくるのは無理だ。
「そういえば、保存はどうしているんだ」
「え、冷凍庫に入れとくだけだけど」
家庭用冷蔵庫の普及によって保存が出来るようになったのも、アイスクリームが大衆化した要因のひとつだ。
だがそれ以上に大きいのが、新しい機械の発明による工業化や大量生産化だろう。
余談だが、「新しい機械」、という言葉そのものにブラッドガルドが食いついてきたので、この話も続ける羽目になってしまった。
以前、瑠璃はブラッドガルド相手に無理矢理B級ホラーを一緒に見てもらったことがある。どういうわけか(と、瑠璃は思っているのだが)反応はすこぶる悪かった。その口直しとして怪獣映画を見せた時、相手の怪獣そっくりに作られたメカ怪獣や、やられた怪獣を機械で補強してぶつけるという展開に食いついていた。
さすがにこれは作り話だと言ったが、それは解っている、と言われただけだった。
試しに持っているアクセサリーに使われた歯車を見せてみると飽きずに見ていた。時計が存在するので歯車が無いわけではないが、手に入りにくいという事情はあった。
人間が作り上げた技術を人間のモノだからと捨て置くきらいがある一方、興味が無いわけではないらしかった。彼が嫌っているのは技術そのものではないのだろうと瑠璃は思った。
今度一緒にお菓子でも作るかな、と瑠璃は軽く考えていた。
さて話を戻すと、アイスクリームはヨーロッパで人々を魅了したあと、新大陸、つまりアメリカに渡ったあとも変わらず入植者たちを魅了した。氷菓は高価な食べ物であり続けたが、やがてひとつの転機が訪れる。
フィラデルフィアに住むナンシー・ジョンソン夫人が、アイスクリーム攪拌用の新しい機械を発明したのだ。ハンドルを回して攪乳機が回転するというものだ。また、イギリスでも次々に新しいアイスクリーム用の機械が発明され、世間に売り込む流れが出来たため、これ以降アイスクリームは大衆化に向けた道を歩み出す。
アイスクリームはやがて各地へ伝搬し、ホーキーポーキーと呼ばれる安価なアイスクリーム屋台が生まれた。衛生上の問題を抱えながらも、浮浪者すら含めた大衆へ売られていった。
一方、そうなると氷の需要は高まり、新たなビジネスを生み出すことになる。
日本でも江戸末期に幕府の使節団がアメリカで出会い、明治二年には最初のアイスクリーム「あいすくりん」が誕生している。明治八年には開新堂や風月堂といった菓子メーカーがメニューにアイスクリームを加え始め、大正に入ってようやく工業化された。
昭和に入るとホーキーポーキーよろしくアイスクリーム売りが出現し、二十八年になると雪印乳業がカップアイスを生産しはじめた、
三十年には大量生産が始まり、現在に至っている。
「……そんなに味がたくさんあるなら何故一気に持ってこない」
「そんなにいっぱい持ってきたらわけわかんなくなるじゃん……やってみたいけどなあ、アイスクリームパーティ」
「やればいいだろうが。なかなか腹に溜まった気がせんのが難点だが、種類があれば壮観ではあるだろう」
「きみは絶対チョコ系しか食べないでしょ」
「……ほう?」
ブラッドガルドの目が鋭くなった理由を、瑠璃はしばらく失念していた。
ハッとしたように口を覆いかけたが既に遅かった。
「……それで……貴様の冷凍庫にはあるのか?」
「うぐぐっ……」
物凄く目をそらす瑠璃。
ぶっちゃけた話、「ある」。
無いなら無いと言うはずが、何故かこういう時だけ本音を隠せない素直な瑠璃を見ながら、ブラッドガルドは延々と視線を送り続けた。
だが瑠璃も負けていない。
「あ、あのねえ……ついでにこの間のこれも持ってきたんだけど!」
瑠璃はトランプを取りだした。
ちなみにトランプはタロットカードから出来たという説があるが、それは間違いで、本当は逆だ。
ブラッドガルドの世界でも似たようなカードゲームは存在した。主に人間たちの娯楽であり、もっぱら賭けの対象になっているが。
「チョコ味を賭けて……一戦!」
「……ほう。言うようになったではないか、小娘」
ブラッドガルドは愉しげに口元を歪ませた。
「ルールを聞かせろ」
なお、その後辛くも勝利を奪い取ったブラッドガルドは、チョコアイスにチョコペンをかけてからチョコスプレーとチョコクランチを全部乗せる暴挙に出た。
「一度でいいな、これは」とわざわざ全部平らげてからこぼしたが、満足はしていた。
一度はやっておきたい気持ちは瑠璃にもよくわかったので、ツッコミはしないでおいた。
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