3話 マカロンを食べよう

 ブラッドガルド――かの者は、世界に七つ存在する迷宮主のひとり。


 彼の住まう迷宮は地下に存在した。

 バッセンブルグ王国内にある大森林の向こう、山岳地帯の洞窟から入ると、もうそこは彼の領域だ。長く入り組んだ洞窟の更に地下、存在する旧市街遺跡を階層のひとつとして飲みこみ、下へと続いていく奈落。


 幾度も階層を降りた最奥に、豪奢な館が存在したのだという。

 唯一そこにたどり着いたバッセンブルグの勇者との闘いは熾烈を極め、大地を動かし、すべてが終わったあとには第四階層から下が閉ざされることになった。

 いまだ住み着いた魔物がいる限り、脅威が去ったわけではない。

 再び迷宮の主が生まれないとも限らないのだ。


 だが最悪の脅威は、もはや色すら失われた暗闇に閉じ込められた。

 封印の中で、闇の中へと還ってゆくことだろう――。







「今日のおやつは! マカロン!」


 花を飛ばさんばかりの瑠璃に対して、ブラッドガルドは無言のままだった。

 表情は一ミリも変わらないのに、当惑だけは伝わってくる。


「……なんだこれは」


 箱を覗いたブラッドガルドは呻いた。


「……なんだ、これは?」

「マカロン」


 瑠璃はシンプルに答えた。

 瑠璃が持った箱の中は、五つの色どりの円形がまるでおもちゃのように並んでいる。

 あざやかなピンク。

 さわやかな緑。

 あかるい黄色。

 どっしりした茶色。

 しぶい紫。

 それぞれ二個ずつ、合計十個。


「マカロン……」


 低い声がそう反芻するのはちょっと面白い。


「まあでも、今までドーナツとかクッキーとか基本茶色かったからね」

「大体パンの仲間と思えば理解はできたが、これは……」


 この狼狽はいっそもう少し見ていたいと思ったけれど、話が進まないのも困る。

 本当にお菓子なのかどうか疑い始めてもちょっと。


「私も食べるのはほぼはじめてなんだけど」

「なに?」

「いや、マカロンっていうお菓子があるのは知ってるからね?」


 なにしろ高い。

 手に乗せられるくらいに小さいのに一個二百円近くする。

 高級店のチョコレートだと思えば理解できるけども、それだって心に刻み込むのにしばし時間がかかった。小さい頃からそのへんで売っているチョコレートに慣れ親しんでいると、なかなか理解が追いつかないのだ。

 今川焼きこと大判焼きのほうがまだ安い。


 これだって、バレンタインを一日過ぎて売れ残ったものが偶々安く売っていた、という偶然のうえになりたってここにある。マカロンは賞味期限も数日程度。店によっては数週間というのもあるが、決して長くはない。

 貴重なのだ。


「というわけで貴重なものなので一気に食わないでください」

「なるほど、鮮やかな細工をしているからか」

「別に色がついてるから貴重なわけではないんじゃないかな……」


 そこは言っておいた。


 個包装になったマカロンをひとつずつ手に取ると、再びブラッドガルドの動きが停止した。これからまた取り外すこともあるだろうから、ひととおりのレクチャーはしておく。ビニールの袋を物珍しそうに見るのは、そういう技術がないからだろう。


「色がついてるのは、見た目で判断がつくからとか……、でもそれ以上に、色がついてると単に可愛いっていうのもあるかな」


 マカロンの形のアクセサリーもあるみたいだし。と瑠璃は思う。


「生贄に美しい女を求めるのと同じようなものか」

「それと同一にされんの!?」

「趣味の範疇だろう。たかだか食事ごときに好みを反映させるのもどうかと思うが」


 お菓子を要求する人に一番言われたくない台詞だ。


「我らもヒトも、貴様らのようにわざわざ食う事に時間と手間をかけたりはしない。見た目の華やかさというのは解るがな」


 瑠璃にはぴんとこなかった。

 基本的に食事は楽しむものだと思っていたし、それはこの世界でも特段変わらないと当然のように思っていた。

 とはいえ砂糖が広まってきているなら、ようやく料理のレパートリーが増えてくるあたりだろう。


 ――普通に来てたら料理するだけで驚かれそう……。


 だが現状、瑠璃が唯一来られるのはこの牢屋だけで、しかも扉には鍵がかかっている。会えるのは迷宮の主だというツノの人だけで、彼の話から聞きかじるくらいしかできない。

 なんとも言いがたい。


「とはいえ――こういう妙なものを開発する技術は……」


 そんな瑠璃の心境を知ってか知らずか、ブラッドガルドがマカロンを口に含んだ。

 小さなマカロンはあっという間に口の中に消えていった。しばし口を動かしたあと、変わらぬ表情のままつぶやく。


「……変わった食感だな」


 せめて技術をどう思ってるかどうかだけでも言ってほしかった。

 瑠璃も同じように口にする。

 見た目はつるつるとしたマカロンは、舌で触れたあともつるりとして溶けそうだ。

 ――さくっ。とした食感が歯に伝わる。


「……んんっ!?」


 瑠璃は驚いた。

 さくさくした先に、ねっちりした食感があったからだ。

 歯にくっつきそうだと思ったが、それでもすぐに口の中で溶けてしまいそうだった。

 クリームは柔らかく、ほのかにイチゴの味がする。そういえばピンク色はイチゴ味だったんだと気付く。

 クッキーのようにさくさくと食べるというものとは違った。


「歯が溶けそう……」

「だいたい、なんだこれは。……なんだこれは」


 瑠璃も同じことを思ったのでもう非難できない。

 マカロンを食べ終えてから、ちょっと不適に笑う。


「ふふーん。実はちゃんと調べてきたのだ」


 だから今日の瑠璃はひと味ちがう!

 まあ、情報源は相変わらずネットだけど!


「すべてのマカロンは――卵白と砂糖、アーモンドで作られているっ!」


 びし、と指を突きつける。

 決まった。

 と思った瞬間、おもむろにその指先をあらぬ方向に曲げられそうになった。


「痛い痛い痛い!? 何すんの!?」


 人を指さすなということならとりあえず口で言ってほしかった。

 無言のまま、ぱ、と指を離される。


「それで」


 怒りを示すこともなくさっくりと無視される。

 これはこれでつらい。


「マカロンはフランスって国のお菓子だよ。でももともとは千年以上前に別の国……イタリアのヴェネチアの街の修道院で作られていたもの。それからずっとあと、いまから三百年から四百年くらい前に、ヴェネチアの人がフランスの王様のところに嫁いだことで伝わったの」

「かなりはっきり出ているな」


 瑠璃もそう思った。

 ドーナツのように穴の由来が次々出てくるというようなこともない。


「当時の修道院は肉食が禁止されてたから、栄養価の高いマカロンは大注目! 各地の修道院に伝わったんだけど、当時は移動も大変だったから、製法は各地で色々変わって、ご当地マカロンがいっぱい」

「修道院……聖職者の連中か」

「そのあとフランスで貴族に対抗する市民革命が起こって、職を追われた聖職者によって大衆化したんだよ」

「ふん。奴らもたまには役に立つではないか」


 ツッコミはしないでおく。


「だからまあ、「卵白と砂糖とアーモンド」で作られていればだいたいマカロン」

「では、この――これもそうか」


 いつの間にかブラッドガルドが二個目のマカロンの袋を開ける。

 二度目にして開け方をマスターしてるの怖い。


「これも分類でいえば、”パリ風マカロン”っていうやつでね」


 瑠璃もはじめて知ったことだ。

 マカロンといえばこの形だった。


 とはいえ製法が各地で違い、本家フランスではご当地マカロンと化しているなら当然だろう。調べたところ、クッキーみたいな見た目のマカロンもああった。

 あとで見せようと思い立つ。


「このマカロンはもともと片側だけで売られていたのを、パリの『ラデュレ』ってお店がクリームを挟んで売り出したのが最初らしいよ」

「それで貴様の国には最近入ってきたと」


 ブラッドガルドは三つ目のマカロンに手を伸ばしながら言った。


「んー……それがさあ」


 日本には日本の事情がある。


「私の国では、もっと昔にマカロン自体は入ってきたんだって。だけどその当時は口には合わないんじゃないかとか、アーモンドが手に入らなかったとかあって、代わりに落花生を使って作ったらしいよ、それが『マコロン』」


 思えばそんな名前のお菓子を見たことがある気はする。

 とはいえマカロンのように、「フランス! オシャレ! 色とりどり! 高貴!」な感じではなかった。お菓子自体も小さなクッキーか焼き菓子という感じで、茶色くてもっさりした感じだ。包装自体も「懐かしのお菓子です」という感じだった。

 製法はもともとイタリアで作られていたほう――アマレッティに近いと書いてある。そちらを検索してみると、確かにマカロンと聞いて想像するものとはまったく違った。


 スマホを取り出して操作し、それっぽい画像を見せる。


「あー、ほらこのへんとか、このマカロンとは全然違うくない?」


 はちみつを加えて作るというマカロン・ダミアンを見せる。一度棒状にしてから切るらしく、形は円柱状だ。


 それから、マカロン・ド・モンモリオン。

 写真を見ただけでは味や食感はわからないけれど、形は絞り出したメレンゲというかクリームに似ていると思ったし、色合いからするとクッキーのようでもある。王冠状と書かれているので、たぶんそうなんだろう。


「……貴様の知識は相変わらずスマホとやらから引き出しているんだな」


 マカロンをかじりながら彼は言う。


「い、いいでしょ別に。一応参考文献? とかいうあれこれだよ! 本は図書館とか行かないと無いし!」

「いや。そんな水晶板のようなものでよく、と思っただけだ。そういう辞書か何かか」

「辞書……ではないかなぁ。本も読めたりするけど、端末同士で連絡できたり、ええっと……誰かが掲示板に書いた内容が、掲示板の所まで行かなくてもすぐに読める、みたいな?」


 スマホの説明はさすがに瑠璃にも無理だ。

 ファンタジーモノの漫画とかだと、球体の水晶で遠くが見えたりするけど、そういうものはあったりしないのかな。瑠璃がそう思いながら説明に窮していると、ふとあることに気が付いた。

 考えるのをやめて、下を見る。


 マカロンの箱がそこに置かれているのだが、自分の食べた数と残っている数が合わない。驚くほど合わない。

 ぱっと目の前を見ると、すでにブラッドガルドが何個目かのマカロンを口にしていた。


「ちょっとーー!! ねえなんで私のマカロンまで手出してんの!?」

「貴様がさっさと食わないのが悪い」


 萩野瑠璃――異世界の牢獄でお茶会と称するおやつを食べる少女。

 だがそのお茶会はこのうえなく理不尽なのである。

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