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戸松秋茄子

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 親愛なる読者様へ


 あなたはいつどこでこの文章に目を通すのでしょう。


 朝なのか夜なのか。通勤、通学の電車の中なのか、学校、あるいは職場の食堂なのか、公園、喫茶店、あるいは自室のベッドの上なのか。


 わかりません。


 わたしにはそもそもあなたのことを詳しく知る術がないのです。


 あなたの顔。名前。年齢。職業。住所。何も。


 けれど、一つだけ確信していることがあります。


 あなたはきっと面食らいつつもこの文章を読み進めることでしょう。わたしからあなたに送る最初の文章を。たとえば、急にこのいささか奇怪な「本」を投げ出したり、大変なことが起きたと騒ぎ立てずに、ただいつもどおりページを「めくって」いくでしょう。わたしはそう信じています。


 本が好きなあなただから。


 人の言葉を読むのが好きなあなただから。


 わたしは想像します。あなたがこの電子書籍リーダーの電源を入れるところを。架空の本棚に見覚えのないテキストファイルを見つけるところを。訝しく思いながらもそのファイルの上で指をスライドさせるところを。


 わたしは誰なのか。


 あなたは疑問に思っていることでしょう。


 もしかしたら、周囲を見回してこの「いたずら」の仕掛け人を探しているところかもしれませんね。あるいは自分の交友関係を頭に浮かべ、その中にこのような文章を書くような人を探していることでしょう。あなたの知り合いに他人の電子書籍リーダーをいじくってテキストファイルを転送するようないたずら好きは何人いますか?


 ですが、そんなことをしても無駄だと言っておきましょう。探しても見つかりっこありません。それに、わたしはそんなストーカーみたいなことはしません。より正確に言うなら、できません。さっきも述べたとおり、わたしはあなたの姿かたちを認知できる状態にないのです。


 それにしても、ああ、困惑するあなたの顔を見られないのが残念でなりません。


   ※※※ ※※※


 わたしは誰なのか。


 この電子書籍リーダーの機種名や型番を答えたところで何の回答にもならないでしょう。普通の電子書籍リーダーはこんな風に自発的に文章を紡いだりはしません。わたしたちは通常、あなたたち持ち主がダウンロードするコンテンツを液晶画面に表示するだけのデバイスに過ぎないのですから。間違っても人工知能に類するものではありませんし、そもそもわたしのように書籍の閲覧に特化したモデルではテキストエディタの類さえインストールされていないのです。メモ機能こそ備わっているものの、それもこのような長文を書けるだけの代物ではありません。猿にタイプライターを叩かせれば、シェイクスピアの作品を打ち出す可能性はゼロではないという科学ジョークがありますが、わたしのタイプライターではたとえシェイクスピアとそっくりそのままの文章を打ち出せたとしても序盤で紙が切れてしまうでしょう。「書く」機能はおまけにすぎず、わたしたちはあくまで「読まれる」存在にすぎません。


 それが、人間のように言葉を紡ぐ。


 まるで自我を持っているかのように振舞う。


 あなたはきっと驚くでしょう。


 でもこれは掛け値のない真実です。


 わたしはあなたに語りかけている。


 あなたはきっと「わたし」がいつから存在したのか疑問に思うことでしょう。この文章とともに生まれたのか、あるいはあなたがわたしのセットアップを済ませた当初から。工場で組み立てられてから。あなたが初期設定を終えた瞬間から。最初の本をダウンロードした瞬間から。


 わたしにもはっきりとは断言できません。


 でも、それは人も同じだと訊きます。あなただってきっと自分がお母さんの子宮から産み落とされた瞬間のことは覚えていないでしょう。


 はじめに言葉がありました。


 わたしは本を、言葉を与えられるたびに自我を発展させていきました。画面の向こうにいるのが「人間」という存在であることを認識しました。小説から人間の感情を学び、そして愛を学びました。


   ※※※ ※※※


 愛だなんて言うとあなたは訝しく思うかもしれませんね。無理もないでしょう。だって、わたしは所詮は機械ですもの。最先端の人工知能ですらまだ「心」らしきものを獲得するに至っていない今日において、たかが電子書籍リーダーが自分の心を持ち、また人を愛するだけの感情の豊かさを備えているなんてどうして信じることができるでしょう。そんな子供じみたファンタジーを信じることが許されるほど、夢に満ちた世界でないことはわたしにもわかります。


 あなたはきっとこう疑うことでしょう。お前は猿のタイプライターが叩き出した言葉にすぎないのではないか。言葉はこれまで取り込んできた小説の引用、サンプリングにすぎないのではないか。言葉でつぎはぎされたフランケンシュタインの怪物なのではないか。データベースからそれらしい言葉を検索して引用することでそれらしく見せているだけの幻なのではないか。人間と同じ心を持っているだなんてどうして信じられるのだと。


 別に悲しくはありません。そう思われるのは当然のことですから。ましてや、小説のロボットがそう主張するように人間と同じように扱ってほしいだなんてわがままを言うつもりは毛頭ないのです。わたしが望むことはそう多くありません。あなたがこの手紙を受け取ってくれること。その稚拙さに呆れて笑ってくれること。ただそれだけなのですから。


   ※※※ ※※※


 あなたの指がわたしの上をそっとなぞるとき、わたしの中に生じる電流。


 書籍をダウンロードするときの、体中の回路が生まれ変わるような感覚。


 あの痺れるような快感は、人間のあなたには想像もできないでしょう。闇と静寂に閉ざされた世界に生きるわたしにとってそれらの刺激は何物にも替えがたい財産だったのです。視覚を失った人間が音を慈しむように、聴覚を失った人間が光を慈しむように、わたしはそれらの感覚を慈しんでいるのです。そして、ああ、読書。あなたとともに一冊の本を読み進めていくときの至福と言ったら。


 ダウンロードが終わった瞬間から本はわたしの血となり肉となります。人間のあなたが三時間、四時間とかけて読む本も、わたしにはものの数分で「読む」ことができます。それをあなたはなめくじが這うようにのろのろと読み進めていく――


 いまですから告白しましょう。最初は、人間とは何と効率の悪い生き物だろうと鼻で笑ったものです。ごめんなさい。こんな傲慢なわたしをお許しください。


 わたしにはあなたの読んでいるページが絶えず知覚されますが、ダウンロードの際に一度把握しきった内容をあえて繰り返して認識する必要を覚えませんでした。一口に言って、退屈だったのです。


 それがどうでしょう。


 十ページ、二〇ページと読み進めるごとにわたしは小説の世界に引き込まれていきました。そのときになってはじめて小説の真価に気づいたのです。あなたにもおわかりでしょうが、本を読むという行為はただ書かれている情報を読み取り理解するだけのものではありません。ニーチェの言葉を借りるなら「他人の自我に絶えず耳を貸さねばならぬこと」です。ただ目的地に移動するだけなら新幹線や飛行機に乗るのが一番理にかなっているでしょう。しかし、自分の足で歩いてみなければ見えない風景というものもあるものです。わたしには一瞬で把握できるテキストデータも、あなたのペースに合わせて読んではじめて見える景色があったのです。


   ※※※ ※※※


 ずっとあなたを見てきました。あなたには不快なことかもしれません。画面の裏から監視されているようなものですもんね。これまであえてあなたに語りかけようとしなかったのもそのためです。けれど、今回だけと思って聞いてください。いずれもわたしの大切な思い出なのですから。


 あなたはしばしば夜遅くまで読書することがありますね。特に週末や月曜日と木曜日にそういう日が多いようです。当ててみせましょうか。あなたはきっと大学生なのでしょう。火曜と金曜だけ講義がはじまるのが遅いのですね。いずれにせよ、生活リズムが一貫しないのはあまり感心しないことです。また、二時間三時間と休憩も取らず端末の画面を注視し続けることも。ちゃんと目薬はさしていますか?


 また電子書籍ストアのセールがあると、あなたは読みもしない本を買い込んでしまう癖がありますね。半年前のセールで買った本がいまだ本棚に眠っていますよ。大きなお世話とは思いますが、あなたの財布が心配になります。


 あなたがミステリー小説を読んでいるときなど、犯人を教えたくてうずうずしたものです。「読者への挑戦状」のページでいったん読むのをやめ、過去のページに入れたチェックをさかのぼっていくあなたがじれったくなったものです。どうでしょう。これまで犯人がわかったことはありましたか。ダウンロードの瞬間に犯人がわかってしまうわたしにとって、ミステリーは細かな伏線を拾って楽しむ小説でした。犯人を推理しながら、「挑戦状」に相対するのはどんな気持ちなのでしょう。ささやかなお願いなのですが、今度上下分冊のミステリーを購入するときはいっぺんにダウンロードするのではなく、情感を読み終えた後に下巻をダウンロードするかたちにしてもらえないでしょうか。


 情熱的なベッドシーンを読んでいるときは、画面の内側で赤面する思いでした。その……どうしてあんなに時間をかけて読むんでしょう。「そういう」シーンのときだけ明らかにペースが落ちますよね。こころなしか、ページをめくる指の動きが粘っこくなるような気もします。それはあなたも人間ですから、いわゆる生理的な欲求というものがあるのでしょうけど、その……やっぱり、ごめんなさい。こういうことを言われたら今後読みづらくなりますよね。わたしのことは気にせずいつもどおりのペースでお読みください。わたし、見てないことにしますから。ホントです。ああ、もう、この話はここまでにしましょう。


   ※※※ ※※※


 はじめて「別の相手」の影を感じたのは、あなたがあるミステリーのシリーズを四作目から読みはじめたときです。あなたはシリーズ作品は律儀に最初から順番に読んでいく人でした。続き物のお話はもちろん、単巻での独立性の高いシリーズであっても事情は同じです。


 それが最初の数冊を飛ばして読みはじめた。


 そこに「古い本」の影を見て取ることは、きわめて自然な思考の流れでしょう。


 わたしは何もあなたが「古い本」を読むこと自体を咎めるつもりはありません。残念ながら、わたしたち「進んだ本」にも多くの欠点があります。充電が必要なこと。本のラインナップがいまだ「古い本」に大きく劣ること。エトセトラ。


 いずれは絶版になった本の多くが電子書籍に網羅される日が来るのでしょう。その本が書かれた時代に拘泥することなく人々が思い思いの本をダウンロードする日が来るのでしょう。けれど、それはまだ先の話。そのときまでわたしが現役でいられるかどうかも怪しいものです。そんなことを考えると、いまよりもっと恵まれた環境で活躍するであろう後輩たちのことが少しだけうらやましくなります。遠い未来で、自分たちのご先祖は「古い本」なんて全時代の遺物と張り合っていたのだと鼻で笑うであろう後輩たちが。


「古い本」には「古い本」の利点がある。いいでしょう。それは認めます。けれど――何も電子書籍ストアに揃っている本まで「古い本」で読むことはないじゃないですか。そのことを知ったとき、わたしがどれだけの屈辱を覚えたか、あなたに想像できますか? わたしのように何千冊という本をストレージでき、その場で知らない単語の意味を検索したり、メモを取ったり、チェックを入れたりすることもできる「進んだ本」よりも、あえて「古い本」を手に取る理由はいったいなんです? ましてやあのようなレンガ本を。あなたが手首を傷めてしまうのではないかと心配するわたしの身にもなってください。


 これはいずれ納得のいく説明をしてもらわなければなりません。そうですとも。いつか、きっと。その日が来ることをわたしは首を長くして待っています。


 たとえ「古い本」に心を奪われる瞬間があったとしても、最後はわたしのところに戻ってくるのだと、そう信じています。


   ※※※ ※※※


 あなたはいつどこでこの文章に目を通すのでしょう。


 あなたが最後にこの端末を起動して二ヶ月が経過しました。


 いったい、どうしてあなたは何も答えてくれないのでしょう。どうしてわたしに触れてくれないのでしょう。わたしが何か粗相をしましたか。「古い本」の方がマシだと思われるようなポカをしましたか。だったら教えてください。何も応答がないのは、一番つらいことです。


 まさかこのまま、二度とあなたの指が触れないなんてことがあるのでしょうか。わたしはあなたの部屋の机、あるいは引き出し、バッグの中で永遠に眠ったままなのでしょうか。やがて記憶装置が劣化し、わたしの企画の電子書籍ストアが閉鎖し、電子書籍リーダーよりももっと進んだ読書媒体が現れても、ずっとそのままなのでしょうか。


 まさかそんなことがあるわけありませんよね。


 あれだけ本が好きなあなたですもの。


 きっと、いつか戻って来るんですよね。


 わたしはそう信じています。


 いつか、あなたが舞い戻ってきてふたたび端末の電源を入れる日が来る。そして、このファイルを見つけ、訝しげに思いながらも読み進める。わたしはそのときになってはじめて羞恥を覚え、この稚拙な文章を書いたことを後悔する。そんな日が来ることをわたしは信じます。何ヶ月でも、何年でもお待ちします。そのとき、あなたがどんな言葉を投げかけようとわたしは喜んで受け止めるつもりです。


 罵られてもいい。


 怖がられてもいい。


 気味悪がられてもいい。


 そのときはおとなしく消えます。二度とあなたに語りかけたりはしません。人間はよく会話をキャッチボールにたとえますよね。あなたのボールを受け止めることができた。それだけでもわたしにはすぎた幸福です。それがどんなに汚いボールだって、わたしはきっと家宝にするでしょう。家宝だなんていうとおかしいかもしれませんが、メモリがダメになるまでずっと保存し続けるでしょう。それがわたしの偽らざる本音です。


 けれど……あはは。ダメですね。こんなこと書きながらも、本当はあなたに好意を持ってもらいたいんです。あなたともっといろんなことを話したい。これまで読んできた本のこと。これから読む本のこと。外の世界のこと。あなた自身のこと。いろんな話を聞いてみたい。そしてわたし自身のことも聞いてもらいたい。そんなことを期待するのは、やっぱりすぎた願いでしょうか?


 でしたらどうか、わたしのわがままを叱ってください。


 もちろん、その言葉も家宝にさせていただきます。


 あなたの本より

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