第11話 コンピュータに酒

こんな話って聞いた事があるかい?


あれは、パソコンでグラビア画像を見ている時だったかな……

その日はとても寒くて、少し離れた所から電気ヒーターを点けていたけれど、ヒーターが吐き出す風は少し離れるとすぐに冷たくなっちまう。

だから、俺は気付に一杯飲もうと思って、台所を漁ったのさ。台所という名の遺跡からは発掘されたのは、一本のウオッカだった。アルコール度数は39°で、ワインコルクの様な蓋を開けると、安物でない事がすぐに分かった。まあ、そんな事は瓶を開ける前から分かっていたんだがな。

俺は良いものを見つけたと、今度は冷蔵庫を漁った。

妻はもう寝ているし、何か、晩飯の残飯とか、缶詰があればなんて思いながら、野良猫の気分になる。

まあ、こっちが蟻の様に働いている間、妻や子供は良い暮らしをしているというのは本当の様で、冷蔵庫の中は宝の山の様だった。と言っても基本は甘い物だが。


そんな中で、一本のサラミを見つけた俺はそのサラミをツマミにする事を決定して、冷蔵庫から持ち去った。

こうなってくると、何だか、サンプルのグラビアなんかじゃ、勿体無い気がしてくる。

俺はいそいそと、コートを着込むと夜の街に繰り出した。

『良い物には。良い物を。』

誰かは忘れたが、良い暮らしをしている奴がそんな事を言っていた気がする。

そんな訳で、俺は近くのレンタルビデオショップまで走った。

深夜でも、街は明るいものだ。そう言えば、現代はもう、ビデオは殆どないのにレンタルビデオショップというのは何かしら可笑しな気分になる。

「いらっしゃいませ~」

と言う、若い店員の疲れた声を聞きながら俺は洋物の映画コーナーに向かった。

暖簾を潜りたい衝動があったが、それではなんだが格好が付かない。話題の新作映画が残り一本だけあったので俺は、それを借りる事にした。

やはり、今日は何かとついている。

家に帰ると、風呂場の前に娘が置いているアロマを拝借して、ヒーターの前に置いてみた。これはついでに、キャンドルでも置いたら、より雰囲気が出るのではないか等と考えてみたが、見回したところ仏壇の蝋燭しか見つからず、キャンドルは諦める事にした。


いよいよ、パソコンの前に座って、最高のひと時を過ごそうと、DVDをパソコンに食べさせて、ウオッカをグラスに注いだ。

「サラミ、サラミ……」

そんな事を言っていると、置きっぱなしの息子の物を拝借したヘッドホンから、映画の予告が流れ出す。

ウオッカを一口飲んで、机の上に置いた時だった――

これが、つい、うっかりというやつなのだろう。手がグラスにぶつかり、パソコンの上にウオッカをぶちまけてしまった。

俺の頭の中では走馬灯の様に、少し前の事が思い出されている。

あれは一週間前くらいの事だっただろうか、会社でコーヒーを飲みながらパソコンを触っていた若い社員が、デスクトップタイプのパソコンのキーボード上にそのコーヒーをぶちまけたのだった。俺はそれを自業自得だと言って笑った。するとその社員は恨めしそうな目で口を尖らせながら「そのうち部長も同じ目にあえばいいんだ」と言ったのだった……

「そうか!わかった!これはアイツの呪いか!!」

俺は半分現実逃避にそう言ってみる。

しかし、事態は変わらな。むしろ、なお悪い。

何故なら俺の目の前にあるのは、デスクトップではなく、ノートタイプ(家族兼用)なのだから。

そう言えば、最近妻が、パソコンの動きが悪いから、調子を見るか、買い替えてくれと五月蝿く言っていたのが脳裏を過る。

我が家にパソコンはこれ一台なのだ。もしかすると、この中には娘と息子のレポートなんかも入っているかもしれない。

確か、息子はこの中に自作の音楽を入れていたはずだし、娘はなんとかというアニメの画像を鱈腹溜め込んで、容量を駆逐していたはず。

そのデータが消えていたら、俺は恐ろしくも二人から呪い殺されるかもしれない。いや、必ず、自分用のパソコンを買わされるに違いない。

早く何とかしなくては……

製品会議の時よりも早く頭を回転させてはいたものの、パソコンの画面はすでにおかしな事になっていた。

こんなエラーは会社でも見た覚えはない。何故ならパソコンの画面が赤い。いや、それよりも、早く水分を拭き取らなければ!

そう思い、座席を立とうとしていると、突然ヘッドホンに『ひくっ』という声が流れた。


「本当にエラーが起きてしまった!!」

俺はそう叫んで項垂れる。

『エラーとは失礼ですね!旦那』

ヘッドホンからは確かにそんな声がして来た。画面は一向に赤いままだ。

『ねぇねぇ、旦那。もう一杯くれませんか?このウォッカ中々ですよ?』

そういった声は少し若い男の声。

俺がそのまま唖然と黙っていると、完全に酔った声で、

『ちょっと、旦那?聞いていますか?』

と言われた。

「えっと、悪い。でも、何処に注げば?」

そう返事をすると、その声は当たり前の様に

『アットマークの辺りにでも注いでください』

と返事をしてくる。

言われるままに注ぐと、ビールでも飲んだように

『くー染みるねー、冬の空と機械の心てか?』

と言われた。なんじゃいそら。

俺はきっとこれは全部夢なんだと思い込むことにした。

「サラミもあるけど、食うか?」

そう聞くと、パソコンは

『いや、サラミはいいっす。固形物は消化しにくいんで』

と答えてきた。その返事を聞きながら俺も、ウォッカをちびちびと飲んだ。

画面は相変わらず赤色だったが、ちょっとピンクやオレンジを混ぜた様なよく見れば斑になっている。

『しかし、お酒飲んだのいつぶりかなー俺ね、元々、酒好きだったんすよ。でも、基本的にこの家の住人って酒飲まないじゃないっすか?いつか、零してくれないかなーって思ってたんすけど、こんな急にその日が来るとは思わなかったっすねー』

パソコンはそれを皮切りに延々と愚痴を話し始めた。

やれ、この家の住人はパソコンの扱い方が悪いだの、容量が重いだの、最新のパソコンの話や、ウイルスについて、株の変化や、ネット環境等々、延々と話を聞かされた。それなりに量のあった酒が空になった頃に、パソコンはやっと話を止めてくれた。


『いやー今日はマジ楽しかったっす。良ければまた話聞いてください。旦那、マジ話、聞いてくれるの上手いから、また聞いてほしいっす!もちろん酒付きで』

パソコンの最後の言葉はそれだ。

そして、パソコンはそのまま真っ暗な画面に変わると、なんの反応もなくなった。

俺はもう、壊してしまったかもしれないという恐怖より、この状態に疲れ果てて、ヒーターを消すと、布団に倒れ込む。

「これは全部、夢だ」

時計の針は深夜3時を回っていた。明日が土曜である事に俺はとても感謝した。


「おとうさん!朝ごはんできましたよ!!」

そんな声に起こされて、俺は重たい頭を付けた体を起こす。

目の前には菜箸を持った妻が立っている。

俺はそのままのそのそと台所に向かう。娘と息子はすでに朝食を食べ始めていた。

「おはよう」

そう言っても返事がないのが当たり前になっている。そんな事を悲しく思う心も遠の昔に置いて来て、俺は新聞を読みだす。

「そういえば、おとうさん。パソコン点けっぱなしでしたよ?それから、お酒の瓶も置きっぱなしだったし、サラミも勝手に食べて」

味噌汁を持ってきた妻が、静かだがとても苛立った口調でそう言った。

「あぁ、すまない……なんだか、疲れてしまって」

俺がそう言うと妻は「気負付けて下さいね」とだけ言う。

昨日の事は全部夢なのだ。そう、夢。珍しく、酒を飲み過ぎたから。

俺はそう自分に言い聞かせる。

「ごちそうさま。パソコン使うね」

淡々とした口調で娘はそう言って、座席を立つ。


「あっ、カナエ!ちょっと待て!!」

パソコンに触れた娘に俺は慌ててそう言った。娘は眉間に皺を寄せながら「何?」と言う。

「パソコン、もしかしたらな――」

まだ喋っている途中だったが娘は驚いた様子で「何これ?!」と叫んだ。

あぁ、やはり、故障していたか……

俺は愕然として、妻の顔を見る。

ゴルフ代が削られるに違いない。俺はそう確信して泣きそうな気分になった。

「すごい、動き早くなってる!!なに、お父さん、修理してくれたの?」

娘の口からは意外な台詞が出てきて、俺は頭を捻る。

「どれどれ?」

妻もパソコンに近づいて「ホントだー」と言う。

俺は慌てながらも「まあな」と言っておいた。目の前で、白米を口に運んでいた息子は冷めた目のまま

「どうやったの?」

と尋ねてきた。俺は、空になった酒瓶を見ながら、

「晩酌しながら、愚痴を聞いてやったかな」

と答える。家族全員の冷たい目線が刺さったが、味噌汁も白米も湯気が立ち、俺の小遣いも当面は安全そうなので、今日の所は全てよしとしよう。

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