Project First Detective

@redbook

第1話 僕のこと

何かを書かなければならない理由なんてたかが知れている。


僕がこれを書き始めた切掛けよりもくだらない理由を僕は知らない。それに、これを読めばきっと鍵山は怒りだして、また僕を蹴りつけるに違いない。


けど、だからって書くのを辞めたりなんかしない。

それに、このパソコンを僕に渡したのもあいつなんだから、これぐらいの文章を書く権利ぐらい僕にもあるはずだ。


とにかく書き続けるんだ。何があっても。


これを読む上で先に知っておいてもらいたいのは、これから書くここ数日の物語がいかに僕の暴発気味な感情にまみれているのか。

そして、今僕が置かれている現状についてだ。


この文章を書く最中に見える風景の中で、誰もが興味を魅かれるものといえば、おそらく天井からつるされた僕の右足だろう。なぜなら、ギブスにまかれた包帯には黒いマジックで腹立たしい程ポップな女の子の絵が書いている。


ちなみに、この落書きは僕のせいじゃない。

ついでに言うと、僕の頭も同じ様な包帯がグルグルと捲いてある。幸い、ここには落書きは無いが、きっと僕が止めなかったらあの男は真顔でここにも描いていたに違い無いだろう。冗談じゃない。担当の看護師はこの足を見て「あら可愛い」なんて言っていたけど、まったく笑えない。本当に冗談じゃないんだ。


今、僕は満身相違の重傷患者として病院の個室に軟禁されてしまっている。


入院先は札幌市東区の天使病院で、入院したのは二日前。救急車で運び込まれた僕はその場で医者に全治三週間の宣告をされ、あえなくこうしてそして今は、こうして病院に居る間の暇を持て余している。


いや、暇を持て余しているだけなら良かった。

それならどれだけマシだった?僕はこうして頭が働くだけいつだってあの出来事を思い出しては苛立たなくちゃならない。僕が何をしたっていうんだ。


クソったれ。


だめだ、こんな言葉使いをしてはいけない。

この文章は最後の証拠だ。これを記しておかないと僕はただの共犯者になるんだ。落ち着くんだ。もっと自分には誰でも


しかもこれを書く前に、僕は病室の壁を殴っている。

しかも、この僕が。

幸い、あんな事があっても、この両手だけは無事だったが、その幸いとやつがいつ災いに変わるのかは誰にも予測できないし、僕に殴られた壁も驚いたろう。

だけど、謝る気なんてない。

あの男にも、謝ってもらう気はない。

そう、あの男はこの文章の存在は知らない。

なにせ僕にパソコンを渡したのは、ただの罪滅ぼしか何かのつもりなのだ。それがまさかここに事の顛末を詳細に書かれるとは思っていないだろう。


それにしても腹が立つ。


イライラしている理由はわかっている。

こんな時、僕はいつも音楽で自分をリセットする。目で見えるものはいつも給食で強制的に食べさせられるピーマンみたいなものばかりだ。けど、耳から入るものは大抵選べる。そこで何か音楽でも聞きたいと思いパソコンの中を調べてみたけれど、見つけたのはAKB48だけだった。


なんなんだ。別にAKB48が嫌いなわけではない。あの男がこういうのが趣味ではないのを知っている。だからどう考えても嫌がらせだ。とにかくイライラする。さっき殴った壁の傷を確認したが、なんとかなりそうだ。ならいっそのこともっと壁を殴ってやろうかと思ったけれど、少し体をひねっただけで今度は体が悲鳴を上げ始める。どうやら、さっきの一発が奇跡のパンチだったみたいだ。


だからって、僕は諦めはしない。

壁を殴れないなら、今度はこのキーボードを殴る。そだ、さっきからこうやって文字を打つ一つ一つに僕の怒りがこもっている。それに、このまま文章を書いたってどうせまともな仕上がりにならないだろうから、とにかく冷静になるためにも、はじめはこの文句からはじめよう。


『くたばれ鍵山』


ああ、やっぱり最高だ。

もっと打とう、もっとだ。

 

『くたばれ鍵山 くたばれ鍵山 くたばれ鍵山 くたばれ鍵山

あのイカレ野郎!

頭のキレたクソ野郎!卍!鬼畜社会!』

 

ああだめだ!これじゃぁダメだ!口汚いし、まるで何時もの僕じゃないみたいで本当に嫌になる!けど止められはしない。なんたって僕はもう復讐を決めてる。お前への復讐はここで固く誓ってる。


それにここは一人きりの病室だ。定期巡回にくる看護士が看守きどりでこの文章を覗いてくる。それでも、時折このキーを叩く指だけは止める気はない。当然だ。なにせ今の僕は完全に異常事態なんだ。


そこで口汚い言葉を止めて、僕の頭の中がどれだけおかしくなっているのか記してみる。はた目から見えないように僕の怒りを表現してみる。それは、まるで脳と頭蓋の隙間で前頭葉がアドレナリンとエンドルフィンのカクテルを次々と飲みほしては吠えた後、酔っ払った右能が猛スピードでここ数日の映像でVJをはじめ、嘔吐寸前の左脳はあの高慢不遜な演説を切り刻んではリピートして嘔吐する。繰り返される低音。薄暗がりの中、甲高いビートに乗せて、何かをどこかに置いて来た無数の僕が下手くそなステップで踊り狂う。サイレンが鳴り響き、突然の暗転。差し込んだスポットライト。汗と涎にまみれた全ての僕の全ての視線のその先で、あの男がステージの上に現れる。坊主頭の、やたら目をぎらつかせた小男。奴の手に握られているのは拡声器。そいつを掲げ、残る片手を観客に掲げ、ひび割れた声でがなりたてる『気が付いたろうがもう遅い!もう逃げられやしないぞ!』


───そう、もう気が付きだろうが、この時点で僕はこの物語のスタートラインを丁寧に切ろうなんて気はさらさらない。残念ながら驚いている暇なんてないし、立ち止まっている余裕なんてあるわけない。書く事を止めたら、たとえこのベットに縛り付けられていたって僕はきっとならんかの犯罪でもおかすだろう。


それに、罪ならもう何度犯したかわからない。覚えている限り、あの日僕が犯した罪は、僕の一生分の罪をすべて注ぎ込んだようなものだ。そうだとも、とっくに僕はまともじゃなくなってる。だから、思いっきり、それはもう狂ったリズム任せに、この狂気の沙汰について書き殴るつもりだ。


まずはあの日、あの朝。

つまりは生まれてはじめて探偵という生きもの出会った、最低最悪の一日の始まりについて。


今思い返すと、皮肉にもあの日の朝はここ数日、いや、ここ数カ月の間でも最高の始まりだった。目が覚めたのは恐らく朝の六時頃で、カーテンからもう朝日が覗いていた。久々の晴れた空には雲ひとつ無くて、ここ数日の雨の事など忘れろと言わんばかりの快晴に僕も笑顔で頷き、眠気眼を擦る事もなくパジャマのボタンを外し、アイロンをかけたばかりのパンツに足を通し、歯を磨き、髭を剃って、鏡をみて、また笑った。

笑うことは大切なことで、その日の朝食は目玉焼きで、焼きあがりもなかなかだった。

ついでに焼いたベーコンを添えてテーブルで覗いてみれば、黄身の中に覗く半熟のオレンジがくっきりと浮かび上がり僕を満足させる。最高の朝。最高の朝食。それはもうこの上の無い気分で、僕はジューシーなベーコンエッグとトーストを食べながら光り輝く朝日を浴びる。想像してみてほしい。まるでドラマのワンシーン。現実味を帯びない奇跡のような一日と、それが始まるこの上無い予感。そんな嘘みたいな最高の一日は、きっとこの僕に素晴らしい体験を与えてくれるはずだなんて恥ずかしい話だけれど、どこかで聞いたその台詞を思い出しながらニヤついていたのは間違いないし、今さら隠すこともないだろう。

朝食を食べ終えた僕は、ラップトップを立ち上げ流れるようにユーチューブを開いてジャミロ・クワイの『CANDY HEAT』を流す。もちろん、ミュージックビデオ付きで。

なぜビデオ付じゃなければいけないのか?それは勿論踊るために決まってる。嘘じゃない。包み隠さず、ありのまま洗いざらい吐き出すつもりだ。

ああ、そうだとも。

僕はその日、大好きなジャミロクワイを聞きながら朝日を浴びて踊った。

しかもちょっとだけ、ほんのちょっとだけ歌いながら。ユーチューブの画面の中でセットアップのジャージを着たジェイ・ケイが退屈な部屋のベットから起き上がり、壁をすり抜けて隣の部屋に入り込む瞬間に合わせて、僕はドアをあけ、書斎からリビングになだれ込んだ。


『キャンディマイヒート ダンス バッドインズザゴーウェイ!!!』


まぶしい朝日が差し込むリビングの中、完璧に覚えた振り付けで、有りもしないテーブルの上の食器を蹴飛ばしながら歌ってステップを踏む。ターン&ライト。パーティー会場に入り込んだつもりで、部屋の中でステップを踏みながら、隣室から聞こえるJKの歌声に合わせて歌った。


空しい馬鹿騒ぎをしながら、体でリズムを刻みつつショルダーバッグの中に荷物を詰める。財布に書類にメモ帳に割り箸、弁当におやつに整髪料にガムにフリスク、そして愛用のウェットティッシュを詰め込んだ辺りでサビに入ったのでターンを決め、チャックを閉め、手を叩き、バックを肩にかけ踊りながらリビングを出た。それからアイフォンにイヤフォンをねじこみ、残る二つを僕の耳に押し込んでアイコンをタップする。もちろん曲はCANNDY HEAT。ラップトップはそのままに、僕は滑るように部屋を出るとマンションの鍵を掛け、そのままエレベーターに飛び乗って一階へ向かう。その最中も、耳から聞こえるジェイ・ケイの声が脳内に響ている。はやく外に出ろよboy。でなきゃこの熱は今すぐにはじけて飛んでいってしまうんだ。CANDY HEAT。聞こえてるだろ?さっさと外へ出るんだ。


脊髄にステージを移したジェイ・ケイの指示に従い、僕はエレベーターのボタンを連打する。そのおかげか、僕が住む高慢ちきな高層マンションの高速エレベータが大急ぎで一階に到着する。早朝からロビーに居る受け付けの女性があくびをしている所に出くわしたが、僕は気にせず挨拶をすると、驚いた顔をしていたが関係ない、挨拶を返されても、どうせ耳はJKで塞がってる。僕はそのまま広いガラス張りと自動ドアをくぐり抜け、朝の町へと繰り出した。


マンションの出口はすぐに公園になっている。その遊歩道を歩いている最中も、僕は軽くステップを踏んでいた。耳元から聞こえるJKの歌声はすでに5週目に突入していたけれど、それよりもこの気分を失いたくない。それに、朝の公園を歩く人は居ないし、居たとしても健康管理に精を出す中高年ばかりで、誰も僕のことなんて見て居ない、長くない将来を恐れる彼らは彼らの事で手一杯だ。

だから、僕はステップを踏み、ここでも歌った。けれど、それはもう部屋の中とは比べものにならない様な、数日ぶりに出した大きな声。


『ダンス!キャンディマイヒートナイトビーマイセルフ!!』


きっと、こんな事をしたことがあるのは僕だけじゃないと信じたい。

誰だってこんなに気分が良ければ歌いたくなるに決まってる。それが例えジャミロクワイだろうが北島三郎だろうがAKB48だろうがなんだろう構わない。音楽。右脳を揺さぶるこの音楽さえあれば、いつだってどこだって自由になれる。


ただ、一つだけ言えるのはそれが長く続かないということ。最高と最低の合間はいつも僕自身で、現実はこの瞬間ですら、どこもかしこも地続きだ。


僕とjkのデュエットを止めたのは二人を繋ぎとめてくれるはずのアイフォンだった。裏切り者が鳴らすけたたましい着信音に驚いた僕は、止せば良いの、にマイク付のイヤフォンスイッチを押す。

「もしもし?」

朝日が急まぶしくなり、目を細めた途端、相手のがなり声がイヤホンから飛び出して鼓膜を刺した。

「もしもしも?あなた一体今何してるの?」

「何って…そりゃ、散歩を・・・・・・」

画面を見るまでも無かったけど一応確認してみる。残念だけど嘘じゃない、母だ。

「散歩?散歩ですて!?朝から?散歩?あなた、失業中の身でよく散歩なんか出来るわね!?なんて脳天きなの!?本当にお兄さん達をみならったらどうなの?そう!そうなの!お兄さん!お兄さんがた変なのよ?ねぇあなた聞いてるの?なんとかいいなさい!」

「……聞いてるよ、母さん」

浮かれた人間を現実に引き戻すのは簡単で、その方法を母は良く知っている。裏切られ急降下する僕をさらに地面に近づけるためにヒスな声がドリルのように耳の穴を突進してくると、あれだけ美しかった風景も、ひび割れた肌で汗を流す老人が走るむなしい空間に変わりはじめた。

「消えたのよ!」

「え?」

思わず口を付いて出た言葉が合図だった。

まるで自分に向かって引き金を引いた気分だ。僕の間の抜けた声に癇癪を起した母はさらに声を尖らせ、僕の鼓膜をギタギタに破りはじめる。

「お兄さんが消えたのよ!行方不明よ!行方不明なのよ!!!」

眩暈がするのは朝日のせいじゃなかった。足がもつれたのでその場に座り込む。膝に痛み。抱え込んだ電話に僕は何かを言おうと思ったけれど、やはり再び間抜けな声で呻く。ああとか、ううとか、本当にヤバい感じで呻いていると、やがて自分が地面に這いつくばっていることに気が付いた。


さて、ここで一瞬我に返り、僕冷静に今までの文章を読み返してみる。するとどうだろう、まるで今まで気が付かなった大切な事に気が付いてしまって、脂汗をかきながら、この文字を消したい欲求に駆られてるが、僕の中でどこかに追いやったはずのアイツがヘラヘラとバックスペースを押そうとする指を押さえつけ、再び真実の告白を求めた。


ああそうだ、僕は自己紹介を忘れていた。


少し遅れてしまったけれど、僕の名前は村窪兎人(むらくぼとびと)今年二八歳になったばかりの男で、現在無職。札幌のアパートで毎朝アメリカのホームドラマみたいなベーコンエッグを焼くのに夢中になっている。それ以外。まだ書くことはない。


ちなみに断らせてもらえば、普段の僕はいつもこういう訳じゃない。その前日も、そのまた前日も、さらにその前日も、踊ることもなく、歌う事もなく過ごしていたんだ。本当だ。まぁ、ベーコンエッグは焼いていたけれど、それは日課みたいなものだ。


それにしても、なんで僕がこんなに毎朝ベーコンエッグを焼くようになったのかといえば、実をいうと、恥ずかしい話、僕はこの日の1っか月前にある会社を首になっている。


で、僕が何をどうしてこんなにグズグズ語るのを躊躇っているのかというと、実は僕は札幌市を拠点に活動するグループ企業『ムラクボ・グループ』の末席に名を連ねていた介護用メーカーをクビになってしまい、それからずっと北24条のマンションに引きこもり続けてきたのだ。


当然、この社名と僕の名前を比べてクビをひねっている人もいるだろうが、それは当然で、このグループ企業のトップは僕の父親、つまり縁故採用というやつだ。


ムラクボ・グループという名前を聞いておそらくピンと来た人も要るだろう。この日本では今や半導体開発で生を知らない人間は居ない大企業で、それこそ君らが使っているパソコンの大部分の半導体はムラクボグループの製品が使われている。


そして、この事業で一躍日本のトップ企業に躍り出たうちの父親はそのまま大躍進。先祖代々の事業一家は、いまや日本の名家にまで上り詰め、僕が生まれた頃には、すでに家は豪邸で学校まで送り迎え付きの嘘みたいな生活。まさしくエリートのボンボン街道をまっしぐらで上り詰めていた。


大半の人が言うだろうが、まぁこの時点でクズだ。ろくな努力もせずに親の七光りどころか42色の有機LEDディスプレイで作られた完全な虚像。


そんな僕がどうなったのか?


僕はいまや僕は生活にも困っているし、ATMは完全に止まってる。迎えの車どころか自転車も先週盗まれ、いまじゃ1駅分の交通費すら削る始末。


ボンボンの息子など大抵はそういうものだし、その苦労は誰にもわからない。


だが、休日に見ているだけだったネットフィリックスのホームドラマを毎日みるようになればわかるだろう。それは、あの画面を消した時のあの虚しさ。多額の予算がつぎ込まれ、日本ではとても真似のできないようなクオリティの物語は僕自身。それを映すのは親の会社が作った高輝度LEDディスプレイ。だが、それも一度でもスイッチを切れば全てが幻想だっっと知る。そう、幻だ。高価な液晶ディスプレイをともす電力が止まればただの黒い鏡になるし、移る自分の姿は輪郭すらも曖昧になる。暗闇の中を蠢くだけ。何かがいるのはわかる。だがそれが誰なのかすら、僕ですらわからなくなる。虚しさから逃れる方法はただ一つ。ディスプレイの電源を消さないことだけ。フルハウスの続編でミシェルとDJの


こうなる前から、僕には自分というものがなかった。


センチメンタルな気分に侵された僕が

勉強も得意ではないし、学校も好きじゃなかった。

ここまで読んで多くの人が思うように当然友達も少ない。金持ちの子供だからそれなりに人気があるのかと思われがちだが、僕はそういうタイプではなく、むしろ引きこもりがちなタイプ。というか、高校の頃は実際に一時期引き篭っている。


その時期から続けている唯一の趣味はブログ。それもくだらないもので、中学生のころから続けているような雑記ブログだ。フェイスブックが生まれて、ツイッターが登場した今でも続けている。


だが、親からは『なんの役にもたたない』と言われてしまった。厳しいと思うだろうが、これが財閥の息子というものだ。そして、その父親というのは、つねに子供に財閥のあとを継がせたい一心だし、僕ら息子たちもその期待に応えなければならない。


けれど、その一族にひとたびダメな人間が現れた場合、その兄弟への迫害ときたらたの家族の比ではないのだ。


そんな体験をするとたどるお決まりの道。

親への反抗のつもりで進学した大学を中退。一人暮らしをはじめるも挫折。

結果、やはり見かねた親がグループの中でも特に重要視されていない末端中の末端である、ある介護技術メーカーに僕を送った。


そこでぼくは営業部に回され、さっそく仕事についてみたものの、いきなり任された仕事はあまりにきつかった。


 けれど、父に容赦などない。というよりも、むしろはじめから僕を一族から追い出すつもりだったんじゃないかと思うほどだ。


 その企業の社長はあとで僕に教えてくれたが、どうやら父に頼まれて無理やり厳しくしていたようだ。僕が仕事のミスをするたびに、とにかくひたすらに怒鳴りまくり、僕をイビリ倒す。いまじゃパワハラだとかブラック企業だとかなんとか騒いでおけば良いのかもしれないが、残念ながら、その企業の息子である僕には成すすべはない。

 その結果、僕は父の設定したライオンの崖があまりにも高すぎたせいで登れず、ついには精神病院に通うはめになった。うつ病と判断された僕が療養のために休職願いを社長に出したとたんにクビとなった。

 けれど、僕がこんな姿になったのは、けっしてうつ病の結果自殺に走ったわけではなく、病気というレッテルは母親からの攻撃を回避するためのお守りに姿を変えている。

 父親とは、それ以降一度もしゃべっては居ない。

最後に電話をしたのは仕事を辞める時だけ。

 それ以来、僕は母親とも連絡を取らずに一か月が過ぎた頃、ATMの残高がつきはじめた事に気が付いた。 

このときまず頭をかすめたのが、父親に電話をしてお金をせがむ事だった。

けれど、僕はそこでなぜかお金をもらわなかった。ボンボンの屑。だったら、父から次の就職が決まるまでの生活費ぐらいもらっても良いはずだけど、結局、ぼくはそのまま使えなくなったカードを丁寧に財布閉いATMをあとにした。


そのあと、僕は大通り公園の真ん中にある噴水目指して歩きながら、ひたすらに重い頭で考えた。ATMの残高は空っぽで、財布には2万円、家には10万円。もってあと一か月といった所だ。


それならバイトでもしてみようと一瞬考えてみたけれど、働く自分の姿を想像し、それもすぐに否定した。この時、僕にって『働く』っていうのは、試合と同じだ。それも、社会というヘビー級の世界チャンプとノーグローブマッチだ。多くの人間は大学を出て、就職をして、そこで安全なグローブと防具と技術を身につけるが、僕にはそれがないのだから負けるに決まっているし、事実おおまけをして負傷中。そこでさらに戦うとなれば下手をすれば死ぬ予感すらした。


それもこれも、すべてはあの会社で地獄の日々が原因だ。毎日のように仕事のミスを繰り返した僕も悪いけれど、それでもあれはやりすぎだ。見積もり書を作成している瞬間、大きな声で課長が僕を呼びつける。そんな時、僕はいつも断頭台に首を差し出している気分だったし、きっと課長は処刑人の気分で、をおびえる僕に向かって言葉の斧を振り下ろす「こいつから社長になったつもりだ?いい気になるなよ坊や」


その後、本当にクビを切り落とされた。


そのはずだったけれど、首元を触ってみても、なぜかまだ首はつながっていた。けれど、もう首から上は無いも同然だ。こんなに硬くて重いハードトップがあったって、もはや思考すらも面倒になる。何もかもが重くて、もうすでにその場所が噴水の前だと気が付かず、そのまま噴水の淵に毛躓き、そのまま噴水のなかにドボン。書きながら情けなくなってくる。

で、そのあと公園の噴水から飛び出た僕は、ガタガタと濡れて震える体を抱えながら、結局、そのままマンションに向かった。


何せ季節はまだ4月。本州の人間は知らないだろうが、北海道じゃまだ町中に雪が残ってるし、風邪を引くなと思ったら、すでに鼻水を垂らしてる。しょうがないと僕はあきらめ、中学生らしい修学旅行生の好機の眼差しを避けつつ、テレビ塔の下をすりぬけ、創生川沿いに道を歩きマンションへと戻った。


ちなみに、このマンションは父の名義で、僕は一切家賃を払っていない。普通に住むとなると、おそらく一日の家賃で僕の残されて全財産が全て吹き飛ぶはず。そんな事を考えながら自室に戻り、一人暮らしの4LDKのリビングでそのまま服を脱ぎ捨て、シャワーを浴びた。あの時ほどシャワーがあることに感謝した事は無かったが、同時に、自分が泣いている事にも気が付いた。。


それからというもの、僕は殆どその部屋から出る事は無くなった。


部屋でやることと言えば昔から続けているブログの更新。

そして、ネットフィリックスなどなど、ありとあらゆる映画系オンライン動画配信サービスを望来しつつ、


会社をクビなってから1ヶ月月がたったある日、突然梅雨明けの朝日が差し込み、ついに奇跡の様なベーコンエッグが成功し、ジャミロ・クワイの音楽に乗せて朝の公園に躍り出た日。母からやってきた電話が、僕にもう一つの現実を突きつけることとなったのである。


さぁ話を戻そう。


母からの電話を受けた僕はすぐさまマンションに戻った。そこで財布を開き、お金の残りを確認する。残金はたったの2568円。これがインテリ家系のなれの果てかと思うと、恐ろしくて母親には交通費の件にを訪ねずにはいられず、とにかくこのお金でたどり着ける場所なのかをグーグルで検索した。


幸い、目的地はそう遠くはない。僕はできるだけお金を節約しようと自転車のカギを探したが、その直後に先週自転車が盗まれた事実に気が付く。で、しょうがないのでそのまま部屋を出る。けれど机に500円玉を忘れてすぐに取に戻り、急いで部屋を出た。途中、鍵を掛けたのかどうだかわからなくなった。けれど、それよりも兄の方が大事で、今朝と同じようにマンションのエレベータの1階ボタンを叩きまくった。まるで同じ行為でも、状況が変われば見える世界も変わる事がある。ジェイ・ケイに煽られてハイになっていた時がどれほど幸福だったのか、ボタンを叩きながら汗を流す僕は悔やんだ。


エレベータが一階についたあと、受付の前を慌てて飛び出していく様子を再び受付のお姉さんに見られたがしょうがない。朝はスキップをして、今は血相を変えて飛び出した二〇20号室の僕の事をどう思っているか?そんな事、あの時は何も考えてなかったが、今でも創造するだけで首を釣りたくなるのでやめておこう。


マンションを出た僕は公園を走る。いまだランニング中だった老人を追い抜き、弁護士風の女性も追い抜き、太目のおじさんを追い抜く。おいおい、すごいじゃないかトビト。毎日部屋にこもりっきりで海外ドラマばかり見ていたお前がよくもこんなに走れるなと感心。が、必死になればなんでも人間やれるものでもなく、それから10分が経過して近くの駅に到着するころには頭の中が真っ白になりはじめ、一たび足を止めればもう足はただ引きずるだけの棒になり、駅のロータリーに入る手前で酸欠を起こし、さっきランニングしていた老人に追い抜かれた。笑いたければ笑えば良い。


けれど、そんな事を気にしている余裕が無ければ、人は結構何を言われても平気なもので、僕は駅に入り、なけなしのお金を払い切符を買って地下鉄南北線のホームから這う様に車両に入った。朝の南北線の込み方だけは東京の山手線にも負けてはいない。工場出荷前の1ダースの鉄の箱に押し込められた人間たちの中で、唯一まじってしまった異質物の僕は周りから白い眼を投げかけられる。が、酸欠でいっぱいになっていた僕はそれどころではない。喘ぎながら幾分か時間が好き、ようやく目的の北24条駅に着く。とたんに体が揺れたかと思うと、次のレーンに乗るサラリーマンたちの群れに追い出された。.


貧相な元サラリーマンの僕は、後方から次々とやってくるスーツやらビジネスバックやら革靴やらに滅茶苦茶にはじき出されて通路の冷たい壁に肩を打たれたあと、どこかのだれかの腕時計がひんやりと股間をなでた。きっと、これが社会からドロップアウトした人間への仕打ちというやつで、僕には工場に出荷される権利すらないってこと。けど、疲れ切った僕には痛みすらなくて、やっぱりというべきなのか、そのまま壁づたいになんとか駅の中を歩いた。

 

冷え切った地通路をなんとか抜け、駅前の通りを北へ進む。かつて北のススキのと言われた歓楽街もいまではすっかり寂しくなったというが、そもそも昼間の歓楽街などどこも寂しいもので、その寂しさをこの町はもっている。それもススキノよりも小さいだけに寂しさは増している。


しかし、そんな街の中に突如としてそびえるマンション群は、交差点を進んで3分もしないうちにたどり着く。

それが、兄の住むマンション。 

僕は電話で言われた通り、マンションの中に向かい、マンションの暗号キーを押した。


ここで僕は再び今朝の母のがなり声を思い出す。


テンションが上がった黒柳徹子みたいに捲し立てる母の声は、電話越しに動くその神経質な手の動きすら想像で書いてしまえる。きっとこう、指先をグワっと開きながら、顔の横で僕の頭を握りつぶすふりをして。

けれど、その一言一句をもらさず語るとなると、それだけでこの話の大半を持っていかれる。そんな作品を書き終えた時の僕を想像するとダルイ。とくれば、母には悪いが潔く若さでもって割愛だ。


まず、母の話によれば兄が行方不明になったと思われるのが、会社から退勤してから翌朝会社の同僚が電話を入れるまでの15時間の間だった。


兄の務める会社は札幌市に本社を置く「シックス・ターミナル」で、兄はそこの研究員だった。シックスターミナル。聞いた事があるかもしれないと思った貴方は大正解。そう、僕が使っているこのノートブックもシックス・ターミナル製だ。ちなみに、さっきから僕のノートパソコンをのぞき込んでいる看守気取りの看護師が身に着けているPDAも、病院内のあちこちに設置されている無線LANも、僕の胸の高鳴りを確認するためにナースステーションに置かれているパソコンも全てシックス・ターミナル制。もしかしたら、これを読む誰かが使っている端末も同じ製品かもしれない。


そして兄が担当しているのは、このパソコンで使用している無線通信システムの研究を担当している。つまり、僕がこれを書くためのアプリケーションをダウンロードできて、こうして事の次第を説明できているのも、全ては兄のおかげと言う訳だ。


そんな兄の恩恵を感じながら記すのも何なのだが、行方不明になった兄の状況はどうにも兄らしくない。


失踪当日。兄はその日の朝から特許申請を出すための書類の作成に追われていたらしい。最近まで研究していた新型の無線通信技術がようやく製品化に漕ぎつける事ができたらしく、研究チームは上にせっつかれながらせっせとテキストを打ち込んでいたという。それが一体どんな技術なのか、しばらく連絡を取っていなかった僕は詳しく知らない。詳しい話を聞いている母に言わせても「きっとノーベル賞ものの新発見」という事しかわからない。まぁ、僕が兄から同じ話を聞いたとしても、きっと訳がわからずに同じことを言っただろう。


そんな凡人には到底想像もできないような偉大な書類仕事がもうすぐで終わろうという時、兄は突然姿を消したという。


失踪直前の状況はこうだ。

 

この間の兄の行方はまったく解っていないどころか、この時間に兄と会った知り合いは誰も居ない。


この点について母は「兄さんってそんなに寂しい子だったかしら」とキィキィと喚いていたけど、間違いなく母も知っている、兄さんはそういう人なのだ。


今回行方不明になったのは双子の兄で名前は村窪正輝。僕らはお互い顔が似てない事で有名だったが、性格もまるで正反対だった。

その事について書くの心苦しいけど、兄の正兄(僕は昔からこう呼んでいる)と僕との最も大きな違いは、期待に応えられたか、そうではなかったか。そして忌々しくも、この文章を読んだ僕の知り合いが満場一致で頷く姿が頭に浮かんでしまうし、そこには母も、父も居て、二人とも僕を見ながら、小さなため息を漏らすのだ。

けれど、そこには正兄は居ない。

僕の想像の中で皆が冷笑する中、兄はただ黙って僕を見ている。そして、そっと僕の元に近づいて、その体で視界を覆い、後ろで笑う人間たちを僕の前から消し去ろうとするのだ。こんな事を思い出したのは、ずいぶん久しぶりな気もした。


だるい過去を引きずりながらマンションのエレベーターに乗りこみ、28回のボタンを押す。モーターの駆動音などしない、ひどくニュートラルな上昇。液晶番に示される数字増えていく様子から不思議と目が離せないでいると、、脛が震えだし、肩に痛みが走りはじめた事に気が付いてしまった。

理由わかっていた。だから見て見ぬふりをしていたが、回数が28階になった頃には無視は難しくなる。廊下を歩き、兄が住むという2869号室のドアの前に立つ。で、運が悪い事に、ドアノブを握った時には、まるで感覚のない自分の両足がこの場から逃げ去ろうと必死に暴れているのを見てしまった。


恐怖とは、人間を動かすための最大の原動力だと昔父は言った。

けれど、僕はそんな言葉を発する父の顔や、その言葉が恐怖だったし、僕の記憶のごみ箱を幾らひっくり返してみたけれど、一度だって恐怖に抗った証拠は残っていなかった。


そして、兄の部屋の前に立った時も、予定通り、僕は結局恐怖には抗えなかった。あれだけ心配になってやってきた兄。それなのに、何も考えずに無駄な事ばかり考えすぎてここに来てしまった事実。扉から、右足がジリジリと下がるのが見えた。なぜ、僕はここまで兄の部屋に入るのが恐ろしいのか?兄を探したかったはずじゃなかったのか?あの優しい兄の顔を、もう一度見たいと思っていたじゃないか。

その瞬間、ドアノブが回った。


もちろん、僕が回した訳じゃない。回ったのはドアの内側からで、僕は急いでドアから離れる。兄さん?まさか、それじゃこの話はお仕舞だ。


けど、本当にこのとき、もしも偶然兄さんが部屋に戻ってきていたなら────きっと、僕はこのベッドに縛り付けられて、こんな話をせずにすんだのだろう。本当に、思い返すだけでもまた怒りがこみ上げて来る。


開いたドアノ隙間からできた坊主頭は意外なほど低い位置にあった。



それからやけに大きな目で僕を睨み上げながら、僕の事を1秒か、2秒程ど足先からつま先までじろじろと眺めた。もちろん、こいつは僕の兄じゃない。だが信じられない事に、そいつは初対面の僕に向かってこう言った。


 「おい、さっさと入れよ」


ここまで書いていったんキーボードを置いた。それから、深呼吸をしてシーツの端を掴みながら、看護婦を呼ぼうか、痛みを堪えて壁を殴るか、それとも再びあいつに対する侮辱罪件名誉棄損上等の罵詈雑言を並べ立てようか迷ったあと、結局、再びキーを押すことにする。ふと小さな疑問が沸き、少しだけ血圧が下がる。

なぜ僕は、この男を毛嫌いしているのだろう?

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