第2話 ビビデ・バディデ・フウ(ブではありません)

デレラ侯爵家には年に一度、不定期的に『死の行軍』と呼ばれる行事が行われる。

いまシンはその行事の真っ最中にあった。


「なぜ今なのだろうと考えるだけ無駄か」


シンはきっと下唇を噛む。じんわりと血が滲む。

軽量化の魔法が掛かっているため体感的には五十キロほどにしか感じないが、背負子に積まれた穀物の重さは百キロ。

道中、魔物や盗賊に襲われることを考慮して着ているのは鎖鎧。腰にはロングソードを佩いている。

もうすぐ#花月__かげつ__#(3月)。春の季節だが、地面にはまだまだ雪の方が多い山地。

これはいまから百年ほど前に数年にわたりこの地域を襲った大飢饉の際。

当時のデレラ騎士伯領からマッサチン国に山越えで食料を運んだ逸話が元になっている。

先祖の苦労を偲ぶ行事だが、不定期なのは領軍の訓練を兼ねているからだ。


「シン様。そろそろ夜営のご下知を」


シンの後ろを歩いていた白毛の虎人が声を掛ける。

日没にはまだ時間があるだろうが雪のある場所での夜営の準備を考えると妥当である。


「判った。アル。陣地の構築と火起こし。イーサンは食事の準備。スーは私と共に斥候」


「はっ」


ローブ姿で軽装の猫人の娘のアル。白毛の虎人の爺のイーサン。灰色の毛並みの狼人の男スーが頭を下げる。

シン以外はもふもふ…寒さに特化したメンバーだった。


「すまないな」


差し出されたコップを受け取りながらシンは小さく頭を下げズズッとコップの中身を啜る。

干し肉から染み出た微かな旨味が胃袋を満たす。


「いえ、この程度で」


イーサンも頭を下げる。


「いや、此度の行事に巻き込んだことだよ」


シンは今回の死の行軍が自分が武闘会のことを呟いたのを継母に聞かれたのが原因だと推測していた。

実際は継母がシンの呟いた武闘会と舞踏会を勘違いして実の娘の邪魔になると勘違い。

夫を唆してシンに死の行軍を行わせているという笑い話みたいな行き違いが起こっているのだが…

「舞踏会に参加したかったのですか?」

「場合によっては誰かが我が夫になるかもしれない近衛四聖騎士のお披露目武闘会だぞ。気にならな方が」

「は?」

「ん?」

場が固まる。

「次代様が参加を望んだのは戦う方の武闘会なのですか」

「うちは武門のデレラだぞ踊りで旦那を落としてどうする」

シンは豪快に笑った。


『シン、シンよ起きなさい』


頭に響く声でシンは目を覚ます。


『私の名はディ。お前の5代前のご先祖と呼ばれるものじゃ』


シンの目の前に現れた仙人みたいな老人はニコニコ笑いながら自己紹介する。


「そのご先祖がなんの用ですか?」

混乱したような様子を一切見せることなくシンは答える。


『お主にな『死の行軍』に挑むご褒美を授けようと思ってわざわざ来たのじゃ』

「はぁ?」


シンは自分の頬を抓る。痛い。夢ではないらしい。


「武闘会に参加したいのじゃろ?」


ディの言葉にシンはコクコクと頭を縦に振る。


『その願い叶えてやろう。ビビデ・バビデ・フウ』


老人は杖を取り出して謎の呪文を唱える。

ボンという音が響き、シンは軽装の鎧姿に変化する。

顔には目の部分以外を覆い隠すマスク。頭には吸いつくようにキッチリと嵌ったネコミミのついたカチューシャ。


『その姿は今日の午前0時。城の時計が十二時を指すまで解けない魔法じゃ』


「え、どういう…」


『鈍いのう。今日の武闘会に参加させてやろうと言っておるのじゃ』


シンの目が点になる。

物理的な距離的にもあり得ない話である。


『信じるも信じないもお前次第』


「信じますご先祖さま」


即答したシンの目の前が白く染まり、再び視界が戻ってきたとき…


「キャットレディさま。時間です闘技場においでください」


シンは自身の身に何が起こったのか理解した。

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