第5話
男が学校を出て大会社に勤め始めたとする。大会社で仕事をするからには、当然そこへの権力の志向があらねばならない。
マキャベリはその著『君主論』の中で、国家権力を伸長するための統治技術を論じ展開したが、これと全く同じ形が大企業に身を置く男にも当てはまる。
ましてや、枝葉のように細分化した社会の、現代を生き抜くためには、マキャベリズムに巻き込まれざるを得ない、ということも考えられる。
ここが問題である。男の夢と、それに伴う出世への志向は、単に技術的な問題に過ぎないと割り切ってしまえば、それまでである。
将来、夢が実現し、ある程度の出世をしたとき、この男は、今後は無償の行為に転換させられるだろうか。
この男の仕事の意味が明確になってくるのはこの時である。
かつて藤原銀次郎ちう実業家がいた。戦前、この人は私財を投じて藤原工業大学を建て、のちに慶応大学に寄附し、今日の慶応大学工学部の基礎を築いた。
また近くは倉田主税という実業家が何億という私財を研究機関に投じている。功成り名遂げた人の遊びである、といってしまえばそれまでだが、しかしこんな高級な遊びをやれる人が現代の日本に何人いるだろうか。
この二人の実業家は、傍観者になれない人生を歩いてきた、と断じても間違いない気がする。
去年、ある女性流行歌手が赤十字に寄附をして功労賞をもらうのに皇后に会えるのか会えないか、などという実につまらない記事を雑誌で読んだことがあるが、この流行歌手の寄附には全く意味がない。
藤原氏が工業大学を建てたのは、必要に迫られたからであった。倉田氏が金を投じたのも同じ理由からであった。
この二人の実業家は、工業国としての近代日本と共に歩いてきて、更に日本が工業国として発展して行くためにはどうすれか良いかを身を持って実行した男達であった。
ここでは、出世と無償の行為が表裏一体になっている。彼らは功成り名遂げても傍観者にはなれなかった。
出生がそのまま無償の行為につながっていた、と言ってもよい。
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