第4話

 勇気という言葉がある。

 勇気とは物に恐れない気概、あるいは勇ましい意味だろう。しかし私は、いわゆる勇気ある男という表現を好まない。

これはまことに俗な表現である。勇気ある男とは、私が最初に述べた、俺は男だ、と同じ意味である。

まことの勇気とは何か、私の偏見によれば、公正な視線を備えた男こそ真に勇気のある人間である。

しかし、もう少し退いて考えてみると、公正に対して弱い、というのは、人間の良心の根本である。

 ところが、これが守られていないのが世の中である。守れないのは政治性が絡んでくる。

どんな世界に棲もうと、全く政治性を抜きにした人生は考えられない。従って、ここで考えられるのは、どの程度政治性から自己を守れるかという一事である。

 ところで、政治倫理の規範から現実政治の開放を唱えたのは、ルネサンス期イタリアの政治学者マキャベリーであった。

彼は自ら政治家として動き、その経験から近世的な政治学を創り出し、国家観を打ち立てた。

しかし同時に、その権謀術数は救いようがなかった。

いわゆるマキャベリズムの名称を生んだ先祖であった。しかし、なにもこれは政治の世界に限ったことではない。

あらゆる分野でマキャベリズムが当然の事として通用しているのが世の中である。このマキャベリズムに抵抗を感じていた青年が、齢とともにマキャベリズムに変貌していくのも世の中である。

 

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