第3話
幕府の為に謀ることは、平八郎風情には不可能でも、まだ徳川氏の手に帰せぬ前から、自治団体として幾分の発展を挙げていた大阪に、平八郎の手腕を発揮させる余地があったら、異動は起こらなかっただろう。
一与力出身の陽明学者が、この配分をつき崩せるはずもなかった。彼は役人を経験してきて、政治の力を知っていた。
しかし、飢饉に際し、役人、富豪と賤民の差を見過ごせなかった。この時の彼の怒りは、単純率直であった。
陽明学の真髄が、知る事と行うことの二心はない。とすれば、大塩中斎は、それを実践に持ち込んで、齢四十五にして傍観者になれない人生を全うした男であった。
観念が先にあり、その観念に従って行動を起こすといった形ではなく、仮に彼が陽明学徒でなかったにしても、彼は天保の飢饉に立ち上がっただろう、というのが私の考えである。
しかし、いくつかの疑問は残る。なぜ周りの者を事件に巻き込んだのか。
中斎門下生はいいとしても、挙兵後敗れて中斎父子が潜んだ油懸町の美吉屋という手拭地の仕入れや美吉屋五郎兵衛、その妻つねは中斎を匿ったことで、五郎兵衛は獄間、常は死罪に処せられている。
この夫婦は、大塩家に出入りしていた商人だったというだけで、中斎に利用された。追い詰められた暴動発起人の心情としてこれはわからなくもないが、しかし最後の一転で明確でない歩み方をしている。
傍観者になれない男の人生として、私は江戸後期の一陽明学者について簡単に述べてきたが、しからば当世における傍観者になれない男の人生とはいかなる形がとれるかについて考察してみたい。
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