17 Φ
施設の内側は予想以上に明るかった。窓が無い以上、照明が有るのは予想通りというか当たり前なのだが、それにしても明るい。もっと薄暗いイメージだったのだが、床、壁、天井の全てが白を基調として、加えて照明も白色系の物であるので、晴れた日の雪原のような眩しさである。といっても、実際のゲレンデに行った事があるかどうかは定かではないので想像に過ぎないのだが。明るさに目が慣れるまでに暫くかかった。
瞳孔が光量の調整を終えても、基本的には真っ白だった。奥行き方向の感覚が多少戻った程度である。良く見ると通路の両側にはドアが等間隔に並んでおり、その横には液晶モニタでその部屋の使用状況の表示がある。LOCKは赤色、OPENは緑色である。白以外の色といえばこの二色と、あとは壁や床の接合面に黒く細い線が見えるだけである。白と黒は厳密には色ではないという人も居るから、やはり色は赤と緑だけなのかもしれない。ズラリと並ぶ部屋の多くは赤色で締め切り状態を示していた。OPEN表示の部屋はドアが開放されている部屋もあったので裡を覗いてみたが、部屋に備え付けてある設備以外は何も無く、見た目にも使用されていない雰囲気だった。
「少し前まではもっと部屋が埋まっていたのだが、幾つか実験が終了したからな。無人運用に踏み切ったのも、稼働率が低くなることを見据えての事だ」
実験という言葉には少し厭な印象を持つ。多くの医療が臨床試験や人体実験の成果だという事も解るのだが、医療の進歩の間には倫理観も進歩してきた筈だ。先生やカガミを見ていると、その倫理が破綻している様に思えてならない。
「実験・・ですか」
「ん・・あぁ、私やカガミ、ハジメに関するような実験は表向きでは無いから、今通ってきた様なアクセスの良い部屋ではやらない。そもそも広さが足りない。その辺りの部屋では名実共に社会的、倫理的に正しい実験がされていたのだよ。新薬の開発とかね。事実、この研究機関の成果を以て治療法が大きく改善された病気も幾つかある」
先生の言葉は、一応は俺の不安を解こうとするものだったのだろう。しかし結局は、表に出せない実験は隠れてやっているという事を再確認したに過ぎなかった。良い事をしたらその分悪い事をして良いという理屈はない。悪いという自覚が無ければこそこそ隠れてやる必要も無い。
「それは君の言う通りだな。末端の研究者の中には倫理的にまずい実験であっても、後世の役に立つはずだと信じている者もいるが、上層部は確実もっとマッドな考え方をしている。隠れて実験するのも、倫理がどうのという理由ではなく、バレたら実験が中止になる事だけが彼らの心配の種の様だ。隠れてやる癖に、罪悪感を抱いていないから質が悪い」
研究結果の為に研究する、という事だろう。もはや其れが法的に拙いとか倫理的に糾弾されるべきものだとか、そういう事は視野に入っていないのだ。
「そんな訳で、此処からは通常では通らないルートに入る」
そう言って先生は正面に見えていたエレベータに乗り込み、階数ボタンを押す代わりにカードキーを翳した。一見よく判らないが羅列されたボタンの下方が読み取り部であるらしい。ピッという味気ない電子音がした後、階数表示には数字ではなく円に斜線が貫通した記号が二秒程表示され、元の表示に戻った。
「このカードが無いと入れない階なのだ。このカード通門証も付与してくれと言ったのだが却下された。余程バレたくないのだろうな。このカードは他の一切のネットワークから独立した、このエレベータ専用だ。使用記録も残らない。というか、これから行く部屋は公式にはこの建物には無い事になっている。謂わば秘密の部屋の秘密の鍵だ」
秘密の鍵などと言われると真鍮製の古風な如何にも「鍵」といった形の物を想像して仕舞うが、カードキーでは情緒もへったくれも無い。この殺風景な建物にはこの上なく相性が良い気もするけれど。
下降を始めたエレベータは地下12階を表示した後は階数表示が消えた。その後も暫く下降を続け、エレベータは停まった。停まる直前に、先ほどの記号が再び表示板に表れた。地下12階でも相当潜った印象だったが、そこから更に下降したのだから、もはや自分が今地下何メートルに居るのかも良く分からない。もしもさっき地上で聞いた音が此処から発せられた物だとしたら、相当大きな音だった事になる。
ゆっくりと扉が開く。そこはさっきまで居た一階と同じく白を基調とした壁、床、天井で構成されていたが、明らかに広い。只でさえ真っ白でスケール感の掴めない空間が、一層その輪郭を曖昧にしていた。どうやら一階の様に部屋が分かれている訳ではなく、円筒状の大きな空間が在り、その内側にもう一つ円筒状の部屋が一部屋在る―様に見える。実際には反対側まで行かなければ全体像は分からないが、今目で見える範囲が裏側も対象構造になっているならそんな処だ。正面に其の内側の円筒の入り口らしき扉が見える。此処が目的地だろう。先生がエレベータで使用したカードキーを再び扉の横のカードリーダーに翳そうとした時
「厭だ!」
という声が部屋の裡から響いた。先生は一瞬身を硬直させたが、直ぐにカードを読ませ、扉を開いた。部屋の裡は水浸しだった。その部屋の中央に。
「道源先生!」
血まみれの男性が倒れており、その傍らに矢張り血まみれの少女が立ち尽くしていた。
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