14 反発

 「随分と派手に壊してくれたなぁ」

 殺風景で広い空間。白い壁に囲まれた部屋。入り口には「第1実験室」と書かれている。その入口から一歩中へ入った所で、白髪で初老の男は落ち着いた口調でそう言った。数メートル離れた先には白衣の少女が対峙している。

 「貴方が山本道源・・か」

 少女は口調こそ落ち着いていたものの、その声には戸惑いが紛れていた。

 「ご挨拶だな、ハジメ。僕は君の生みの親だよ?いや、親は陽子君か。となると僕は差詰めお祖父さんかな。まぁ、祖父さんを名乗れる身分ではないんだが」

 山本道源と呼ばれた男は苦笑交じりにそう応えた。

 「貴方と血の繋がりなどありません。そもそも彼女も先生と呼んでいるではないですか」

 「カガミの事か。まぁ、そうだな。陽子君の影響かなぁ。でも君自身がカガミの存在に気づいていたとは、少し驚いたな。」

 巨大な試験管が割れている実験室という状況に似つかわしくない、まるで世間話でもするかの様に男は言った。一方で少女は鋭い口調を崩さない。

 「白々しい。気づかせたのは貴方でしょう。さっき私が死ぬと言いましたね。其れは如何いう意味ですか。此の早すぎる傷の恢復と何か関係があるのですか」

 彼女の右手にはかなりの出血をしたであろう痕跡が明瞭と残っていた。其れにも関わらず、その拳には外傷は見当たらない。

 「今の君は、脳と身体のバランスが崩れているんだ。脳の指令が強すぎるんだな。一般的な人間は無意識に脳の指令にリミッターを掛けている。今の君は其のリミッターが効いていない状態だ」

 道源は割れた試験管の破片を拾いながら言葉を続けた。

 「君が素手で壊した此の試験管だが、液体の内圧に耐えられる様に厚さ50ミリの特殊な強化ガラスで出来ていたんだ。君と同等の体格の女の子が素手で叩き割れる強度じゃない。というか、此れを素手で割れる人間は男女に関係なく居ないだろうな」

 ハジメの体格は一般的な十五、六歳の少女と比べても、むしろ華奢な部類に入るだろう。

 「つまり、君の腕でこのガラスを割ろうとしたなら、腕が保たないんだ。現に君の手も保たなかった。出血の痕はその証拠だね。それでも手を犠牲にしてガラスを割る事が出来たのは、脳から腕の筋肉へ伝達される信号が著しく高かったからだ。普通なら、身体が自壊して仕舞う様な信号にはリミッターが働いて、其処迄の力は出せないんだ。リミッターの程度には個人差が在るが、育つ過程で経験した痛みや人そもそもの防衛本能に拠って形成される。一般的な人間でも窮地に陥ると一時的にリミッターが外れる瞬間が在るんだが、今の君は常時開放状態なんだな」

 “火事場の馬鹿力”ってヤツだね、と道源は付け足した。

 「そのまま制御が効かない状態を続けていると、私は死ぬと?」

 道源が現れる迄は満足感と困惑が入り乱れていた少女の表情に、不安の色が加わっていた。

 「まぁ、死ぬって言い方は語弊が在るかな。生き物は例外なく、いずれは死ぬからね。死期が早まるってのが正しいかな」

 道源は相変わらずゆったりと喋る。

 「今の君の脳は、全ての命令を最大出力で身体に伝えているから、身体の強度を超えた命令を出して仕舞う。そして、治癒に関しても同じように命令を出すから、君の傷の治りは異常に早いんだ。だが、身体の許容できる入力は限られている。脳が強烈な指令を出し続ければ、結局は身体がその入力に着いて行けず、何れは死んで仕舞うだろうな。そうだな、人間の平均寿命の十分の一も保たないんじゃないかな」

 道源の発言は冷酷に聞こえるが、彼の口調は泣きじゃくる子供を宥める様な温和な口調である。

 「そうですか・・・矢張りこの傷の治り方は異常なのですね。そして寿命も通常の人間より短いと」

 ハジメは自分に言い聞かせるように呟いた。死を宣告された悲壮というよりは、言葉にする事で状況を理解しようとしているといった雰囲気である。

 「でも其れは飽く迄も“脳のリミッターを開放し続けたら”の話だ。脳の指令のレベルを一般的な人間のレベル、つまりリミッターを機能させることが出来れば、君は僕達と何一つ変わらない。僕は君に長生きして欲しいから、君の脳のリミッターを元に戻したいと思っているのだが、どうだろう?」

 道源はハジメに対して罪の意識を持っている。其れはハジメに対してだけでなく、カガミに対しても同様で、そして其れ以上に十川陽子に対して強く抱いている意識である。ハジメを死なせたくないという彼の思いは「人の死=回避すべき事」という単純な構図で描かれるものではなく、此の罪の意識が大いに作用した結果に芽生えた感情である。


 しかし、ハジメにその言葉は届かなかった。


「厭だ」


 そう静かに呟いた後、少し間を置いて再度彼女は「厭だ!」と叫んだ。其れは「死ぬのが嫌だ」という意味ではなかった。叫び声が白い虚空に響いた次の瞬間、彼女は常人離れした速度で道源に駆け寄っていた。

 道源の腹部を彼女の右腕が貫いていた。

 白い空間に、再び血の朱色が刻まれた。

「そんな事を言って、私をまたあの試験管に戻す気なのだろう?そうはさせるか。やっと取り戻した私の世界だ。寿命が短いだろうと知った事か。此の世界を再び失う位なら、死んだ方がましだ」

 先程の叫び声が嘘の様に、金属のような冷たい声でハジメは道源の耳元で囁いた。

「・・・おいおい、暴力的な女子は嫌われるぞ・・・やっぱりリミッター掛けた方が良いって・・・まぁ、僕の自業自得なのかなぁ・・・」

 腹部から大量の血を流しながらも道源は温和な口調を崩さなかった。

「・・・また陽子君に怒られちゃうなぁ・・・」

 そう呟くと、道源の意識は次第に遠退いていった。


「道源先生!」


 十川陽子、一ノ瀬影利が実験室に辿り着いたのは其の直後の事である。

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