12 覚醒め

「えっ?」

 意外な返答に思わず声が出た。今の先生の発言は、此れまでの話と百八十度逆ではないだろうか。散々「同じ魂を持つ人間等、調べる迄も無くこの世には存在しない」と宣って居たのは、他ならぬ十川先生である。其れなのに、其の舌の根も乾かぬ内に「ハジメとカガミは全く同じ魂を持っている」。俺の頭は一気に混乱した。

 「君は入院直後に私と話をした内容を覚えているだろうか。脳が認識できる世界が我々の世界の限界だ、という話だ」

 話が逸れた様な気がしたが、逸れたのか如何かも今の俺には判断できなかった。しかし、覚えているか、と問われた内容については良く覚えていた。マッドなオッサンが脳味噌に電極をプスプス刺している光景が脳裏に蘇った。

 「そうだ、その話だ。つまり脳に刺激を与える事で、脳は世界を構築して仕舞う訳だ。さっき双子といえども同じ空間に居座る事など出来ないから、二人の見ている世界は微妙にずれている。そして双子といえども成長の過程で全く同じ経験をする事など在り得ない。故に、双子も徐々に自分固有の思考パターンを形成し、そして其れが個性であり魂であると私は述べた」

 そうだ、確かに先生はそう言った。だから所在地はおろか、外界に出てある程度の制約を受けながらも普通に生活しているカガミと、生まれてこの方試験管の中にいるハジメが同じ魂を持つとは如何しても考えられない。

 「ハジメは試験管の中で目を開けた事すらないが、彼女の脳は世界を構築している。そして其の世界を構築するのに用いられている外部からの刺激は、カガミが経験した刺激と全く同じなのだ。つまり、ハジメは試験管の中に居ながらにして、カガミとまったく同じ経験をしている。少なくともハジメの脳はその様な世界を構築している。だから、双子のように座標系のズレも無ければ、経験の差も生じない。先の私の魂の定義から言えば、二人は全く同一の魂を持っていると言わざるを得ない」

 「そんな・・・ハジメの脳にカガミの刺激をインプットするのも実験の一環ですか」

 俺は再びWD計画への嫌悪感を露にした。

 「いや、そうではない。カガミの経験した情報がハジメに反映されるという現象は、実験関係者も予測していない事態だった。相変わらず実験機関の連中は、その副産物的な事態も研究対象としている様だがな」

 先生も明らかな嫌悪感を示している。

 「何故・・・何故そんな事を許すんですか。先生は実験とは縁を切ったのではないのですか!」

 またも語気を荒げて仕舞う。此の人に限って理由が無い筈が無いと知っているのに。

 「それは・・・私達だけではカガミとハジメの生命を維持出来ないからだ。一旦機関に反旗を翻した道源先生と、それについて行った私に資金援助してくれる者など居なかった。その点については私が考え無しに行動してしまったのが悪いのだ。一時の感情に身を任せず冷静に考えれば、機関の支援を受けながらハジメとカガミを救う方法を模索する方が利口なのはすぐに判る事だった。其れなのに私は、一時の怒りに身を任せてカガミを連れ出した。しかし、元々不安定なカガミの命を繋ぐ事など、私達には不可能だった。理論的には完全でも、其れを実現させるだけの資金を捻出する事が出来なかった。そして私は、事もあろうにカガミを助けてくれと、機関に頭を下げたのだ」

 機関は先生の理論提供と実験への参加を条件に、カガミの保護を承諾したそうだ。

 「君とカガミが屋上で出会った時、彼女は病院着を着ていただろう?あれはカガミの命を繋ぐ為に定期検査を行っていたからだ」

 すっかり忘れていたが、確かにカガミは病院着を着ていた。其れを見て、俺はカガミも入院患者だと勘違いしたのだ。

 「そうやって定期的に検査、投薬を行わないとカガミの命はこの世に繫ぎ止めて置けない程、脆弱なのだ。ハジメに至ってはカガミよりも慎重な対応が必要で、二十四時間体制で試験管に研究者数人が張り付いている。そんな状態だから、彼女らの生態データは事細かに記録に残っているのだが、二人の経過報告の際に、研究者たちは彼女らの脳波がピタリと一致している事に気付いた。其れ以前にも、ハジメの観測データからハジメの脳が何かに刺激されている様な挙動を示している事は掴んでいた様なのだが、その刺激が何に因って齎されているのかは判じ兼ねていた様だ。其処へ来てカガミの脳波との一致が発見された。其れを契機に脳波以外の測定データを比較してみたところ、其のデータは見事に一致していた。この結果から言える事は“ハジメの脳はカガミの体験を追体験している”という事実だ。追体験というと時間的にラグが有る様に聞こえるが、時間的ラグはほとんど無い」

 「何故そんな状態が?俗に言うテレパシーの様な物が彼女達は使えるとでも言うのですか」

 テレパシー。自分で言っておいて何だが、陳腐な表現だ。

 「テレパシーとは厳密には異なるかな。テレパシーはお互いに意思の発信と受信が出来る、つまり言葉を発せずに会話が出来るような能力を指す事が多いが、ハジメの脳波はカガミの脳波を受信しているだけだ。逆にカガミは脳波の発信のみを行っている。つまり、ハジメはカガミの体験を追体験するが、其の逆は今の処起きていない。例えるならハジメの脳がカガミの脳に共鳴している状態と言うとイメージしやすいだろうか」

 「要はハジメはラジオ、カガミは放送局の様な物だという事ですか」

 またしても稚拙な表現である。

 「あぁ、その表現は判り易いな。放送局が発信する電波の周波数に共振する周波数を受信機側で設定してやれば、その周波数の放送を聴く事が出来る。元々性質が殆ど同じであるカガミとハジメは、意図せずとも脳波の共振が起きて仕舞うのだろう」

 それならば何故、送信と受信が明瞭と分かれるのだろう。カガミの脳がハジメの脳に共鳴しても不思議ではない筈だ。

 「それは私も考えていたのだが、思うに情報量の差が原因ではないだろうか。カガミは五感をフルに使って、しかも能動的に行動しているから、脳に入ってくる情報が多い。一方でハジメの方は、恐らく五感に異常は無いのだろうが、試験管の中で微動だにしない状態だから、カガミに比べると極端に外からの刺激が少ない。つまり、ハジメの側から発信する情報量はカガミの其れに比べて非常に小さいと考えられる。さっきカガミが発信、ハジメが受信と断言してしまったが、もしかすると双方とも発信と受信を行っているのだが、その情報量に差がありすぎて、ハジメの発信する信号はノイズ程度にしかならないのかもしれないな」

 本当にそうだろうか。現代科学で計れる脳波の限界と、カガミやハジメが感知できる脳波の限界が等しいとは限らない。そもそも脳波の共振という状態が普通の人間にはまず無い。其れが第三者に観測できて仕舞う程強い二人にとって、我々がノイズで済ませて仕舞う信号は、果たして彼女達にとってもノイズのレベルだろうか。

 もし、二人が先生の言う様に「全く同じ魂」を持っているならば、ハジメがカガミの体験を追体験すると同時に、カガミもハジメの体験を追体験しているのではないだろうか。ラジオと放送局ではなく、お互いが送受信可能な状態で無ければ、完全な一致は見られない筈だ。

 「確かに・・・君の言う通りかもしれないな・・・いや、待て、もしそうだとすると・・・!」

 

 其の時、病室の引き戸がダンッと音を立てて勢い良く開いた。其の先には血相を変えた永子が息を切らせて立って居た。


 「・・先生!か、カガミちゃんが・・・!」


 見れば十川先生も何か焦燥した表情を浮かべている。さっきの口調では、先生は何かに思い当たった様子だったが、其れと関係があるのか。永子は息を整える事無く言葉を続けた・


 「カガミちゃんが・・・倒れました・・・」


 永子がカガミの様態を伝えた直後、先生の携帯が鳴った。着信画面には“山本教授”と表示されている。恐らく出張中の山本研究所の長。山本道源教授だろう。

 俺は一刻も早くカガミの元へ向かいたかった。カガミと初めて遇ったあの日、無意識に病棟の屋上へ駆け出した時の様に。

 しかし、此のタイミングで鳴り出した着信音は、何か厭な予感を知らせる警鐘の如く、夕方の病室を支配していた。

 数瞬の間、三人は時が止まったかの様に硬直した。厭な予感を感じたのは、俺だけでは無かった様だ。着信音が三コール目に入ろうとした時、先生は慌てて電話に出た。

 「・・・はい。・・・はい。矢張りそうでしたか・此方ではカガミが先刻倒れたそうです・・・はい。では、我々はカガミの元へ向かいます。では、詳細は後ほど」

 焦りを隠せない先生だったが、口調は冷静だった。そして我々に電話の内容を伝えた。


「ハジメが覚醒めざめたそうだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る