04 猫

醤油を通常の飲料と同じ勢いで喉を通過させた(正確には喉を通過する前にそのほとんどは吐き出され、その後醤油の染み付いたシーツを見た看護師にこっぴどく注意された)翌日、中野永子が病室に見舞いに来てくれた。

 「一之瀬・・くん?」

彼女はとても不安そうな表情を浮かべている。心配してくれているのだろう。斉藤の話を信用するならば、記憶を失う以前の俺は、この永子という女性と大層仲が良かったのだと言う。一見おっとりしたように見えるのは、彼女の優しそうな目つきとフェミニンな服装がそう思わせるのだろう。髪は肩よりも少し下の辺りまで伸び、毛先はふわっとした感じに巻き癖が付けてある。第一印象としては「明るい」という部分を除けば昨日会った十川先生とは正反対だ。

 「初めまして・・・じゃないんですよね。すみません、まだ記憶が戻っていなくて」

どうしても他人行儀になってしまう。俺にとっては斉藤も十川先生も、そしてこの永子という女性も初対面同様の再会なのだ。彼等と俺にとっては「二度目の初対面」という矛盾した形容が今の状態に最も近いだろう。

 「そっか、本当に覚えてないんだね。何だか寂しいなぁ」

 永子は見舞いに持って来てくれた花を花瓶に生けて窓際に置きながら呟いた。

 「主治医が言うには、暫くすれば記憶は戻るらしいのですが・・ご心配おかけします」

彼女の切なそうな目を見ていると、何となく謝らなければならないような心情に駆られた。

 「ううん、大丈夫。今一番不安なのは一之瀬くん自身だろうし、私がウジウジしていても一之瀬君の記憶が戻るわけじゃないしね。戻らなくてもいい記憶もあるだろうし・・・」

 「えっ?」

戻らなくてもいい記憶、とは何だろう。俺と永子の間柄は何か後めたいものなのだろうか。

 「あ、き、気にしないで。ほら、酔っ払って無茶をした記憶が次の日になると忘れているって話は良くあるでしょ?で、その記憶って本人はしっかり覚えているよりも忘れちゃってる方が幸せなことって多いじゃない」

 それはそうかもしれない。自分が犯した痴態を鮮明に覚えていれば自己嫌悪の大波が押し寄せて来そうなものだが、忘れてしまえば大概のことは笑い話として暫く揶揄(からか)われる程度だろう。しかし、俺が今陥っている記憶喪失は酔っ払いの其れと同じく、思い出せば自己嫌悪せねばならない内容が含まれているのだろか。それはそれで不安なのだが・・・

 「あ、自販機で缶珈琲買って来たよ。一之瀬君珈琲好きだったから」

半ば強引に話題を逸らされた気もするが、俺は缶珈琲を受け取った。十川先生との話で気になっていたから、自分で買いに行こうと思っていたところだ。

それにしても、見舞い客が次々に珈琲を持って来てくれる程に俺は珈琲好きで通っていたのだろうか。思えば斉藤が電気ケトルを用意してくれたのも、珈琲好きと言う属性が俺に在ったからなのかもしれない。

 「中身は醤油じゃないでしょうね?」

 「お醤油??何の話?」

「いえ、何でもないです」

 笑って誤魔化したが、永子は「まだ頭が明瞭してないの?大丈夫?」と本気で心配そうだった。実は昨日十川先生に醤油を飲まされた云々の話を伝えると

 「あはは、十川先生らしいね」

と笑われた。どうやら十川先生は常態であの感じらしい。永子も最初はかなり彼女の奇行というか悪戯というかに面食らったそうだ。

 「でも十川先生の悪戯って、最終的には研究に関連してるんだよね。ある意味あの人なりの実験なのかもしれないわ。私達はモルモットなのかも」

 モルモットに醤油を飲ませる実験があるのか如何かは知らないが、確かに昨日の十川先生の話も、結局は脳の世界認識という、珈琲や醤油から出てきたとは思えないほどスケールの大きい話へ発展し、俺の世界観に少なからず影響を与えていた。

 「そういう話をするなら、その缶の中身だって、未だ珈琲かどうかは判らないよ?」

微笑みながら永子が言った。

 如何言う意味だろうか。

 「まぁ、十川先生みたいに事前準備もしてないし、飲料メーカーが万一のミスで違う飲料を入れていない限り、その缶の中身は珈琲なんでしょうけどね。でも、まだ缶を開けていない限り、その缶には何が入っていても怪(お)訝(か)しいことはないの。シュレディンガーの猫って知ってる?というか覚えてる?って聞いたほうが良いのかな」

 モルモット(ねずみ)の次は猫・・か。記憶を失う前の俺はその猫について知っていたのかもしれないが、記憶喪失後では始めて聞くワードである。

 「いや、知らない。単に思い出せないだけかもしれないけれど」

要はどんな質問のされ方をしても、今の俺は「覚えている」か「知らない、或いは思い出せない」と答えることしか出来ないのだ。

 「私も本来のシュレディンガーさんが考えてた思考実験については詳しく知らないんだけど、巷で引合いに出されるレベルの“シュレディンガーの猫”というお話は、密閉された箱の中に猫が入れられているの。そして、その箱の中の猫は生きているか死んでいるかは箱を開けて見なければ解らない。逆を言えば、箱を開けた時点で猫の生死が判明するということね」

 それはそうだろう。至極当然な話である。

 「思考実験する程の話なの?そりゃあ箱を開ければ猫が生きてるか死んでるか位は判るだろ。それとも、“生物の生死の基準は何か”って話?」

 それなら思考実験にも成り得そうな話だが、それでは猫をわざわざ箱に入れる意味が良く解らない。

 「いいえ、そうじゃないの。その話なら箱は要らないもの。“シュレディンガーの猫”という話の肝は箱を開ける前にあるのよ。箱を開けてしまうと猫の生死は判別できるとして、じゃあ箱を開ける直前までは猫の生死はどういう状態にあると思う?」

 やはり箱が関係する話だった様だ。猫ならば中でニャーと鳴いたり爪でガリガリと箱を引掻いたりすれば十中八九生きているだろうし、箱を一日観察して物音一つ聞えないなら死んでいる可能性がかなり高いのではないだろうか。

 「うーん、ちょっと論点がズレちゃうなぁ・・・人に説明するって難しいね。じゃあこうしましょう、その箱はとても頑丈で、中でいくら猫が暴れてもビクともしないし、音も外には漏れないの。これならどう?」

 どう?と言われても、それこそ箱を開けて確かめるまでは猫の生死は判らないだろう。

 「そうそう、其処なのよ」

何処だか良く判らないが、永子は我が意を得たりとばかりに右の人差し指でバシッと俺を指差した。何故かしたり顔である。

 「つまりね、箱を開ける直前までは箱の中には生きている猫と死んでいる猫が同じ50%対50%の確率で存在してると考えられるでしょう?それが、箱を開けて猫の状態を確認した瞬間にそのどちらか一方の50%は淘汰されて、生きているか死んでいるかのどちらかに百%定まってしまう。観測することで猫の生死が決定する、というお話ね」

 そんな箱に入れられたら、死なないまでも脱毛くらいはしそうな勢いで猫にストレスを与えそうなのであまり趣味の良い話ではないが、飽く迄も思考実験なのでそういう情に絆されるような話ではないのだろう。それでも引っかかる点は、観測によって猫の生死が決定するという部分である。

 「別に観測者が居なくたって猫はいずれ死ぬだろうし、当然死ぬまでは生きている。観測する前の状態だって生きているか死んでいるかのどちらか百%の筈だろ」

 いつの間にか永子に対してはフランクな口調で会話をしていた。

「自分の可愛がっている猫がもしかしたら箱の中で死んでいるかもしれないと思うと、生きることを願って箱を開けるでしょう?いいえ、箱を開けて死んでいる猫を見るのが嫌で、箱を開けるのを躊躇うかもしれない。少なくともこの箱を開ける側、つまり観測者側には猫が生きている未来と死んでいる未来が半々で葛藤していると思わない?」

 確かに、自分の愛猫ならその葛藤はあるだろう。いくら生きていて欲しいと強く願ったところで、生と死という二つの状態は均衡している様に思う。

 信ずる者は救われると言うが、そんな都合の良い話は無い。そういう意味では観測者が葛藤しようが、逆に猫に何の愛着も無く、箱を開けることに一切の躊躇が無かろうが、箱を開けるまでは猫は生きているかもしれないし死んでいるかもしれないという非常に曖昧な未来しか描けない。

「是非生きていて欲しいけれどね。猫は可愛いもの。虫なら死んでいて欲しいわ」

 分かり易く生物の命に優劣を付けている永子だが、一寸の虫にも五分の魂である。箱の中身が虫であっても箱を開けるまでは生死の程は五分五分なのだ。

 「五分の魂っていうのはそういう意味じゃないと思うんだけど・・・」

 そんな事は百も承知である。言ってみただけだ。意外と洒落の通じない性質なのかもしれない。それとも、俺の洒落のセンスが無いのだろうか。

 「だからね、その缶珈琲も、一之瀬君が蓋を開けて中身を確認するまでは、珈琲が入っている未来とそれ以外の何かが入っている可能性が半々で存在してるんだよ」

 成る程、それが言いたかったのか。コンビニのスナック菓子に縫い針が混入したという事件を今朝のニュースで見たが、強ち、この珈琲にも何か違うものが入っているかもしれない。そうなると少しだけ怖くなったが、話続けて喉が渇いたので缶珈琲を飲むことにした。蓋を開け、そのまま一口飲んでみた。

 「・・・これ、珈琲?」

先日十川先生が淹れてくれたドリップ方式の珈琲とはかなり味が違った。確かに薫りは似ている気もするが、途轍(とてつ)も無く甘い。まさか本当に違う飲み物なのだろうか。

 「え!?本当に違うの!?一寸飲ませて!」

 俺の手から珈琲を奪うと、永子も一口缶珈琲に口をつけた。

 「ん??普通の缶珈琲じゃん」

俺は十川先生が置いていった残り八杯分のドリップ式珈琲を永子に見せた。

 「あぁ、このタイプの珈琲と缶珈琲だと確かに味はかなり違うね。私は苦いのが苦手だから甘い缶珈琲の方が好きなんだけど・・・あ」

 そこで何故か顔を赤くした永子が勢い良く缶珈琲を俺に返してきた。余程慌てている様子で、半ば押し付けるように缶珈琲をこちらに差し出したので中身が零(こぼ)れてシーツが汚れた。確かにこのシーツの染みは昨日の珈琲の染みに良く似ている。いや、昨日の染みは醤油だったか。

 「ご、ごめんね!これ、ハンカチ置いとくからそれで拭いといて!」

何故慌てているのか良く判らず、あぁ、とだけ呟いた俺を他所(よそ)に

 「それじゃあ、私は研究室に戻るね!ハンカチは洗わなくていいから!次のときに返してくれれば良いから!」

 と言い放ち、足早に病室を去っていった。

 残された缶珈琲と、それによって形成されたシーツの染みと、おそらく、その染みを完全に拭い去ることはできないであろうハンカチが俺の元に残された。

 看護師が来てシーツの染みを発見し、俺が二回目の説教を喰らう未来が確定した。

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