第3話 砂の都

 予想以上だった。

 早くもここに来たことを後悔しながら、シドは太陽を振り仰ぐ。生き返ってからは肉眼で太陽を見ても眩しいと思わなくなった。人より強くなったのだと唯蓮は説明したがどうも釈然としない。皮膚の感覚の方は以前と変わらないので長袖を着用。目立つからとサングラスも渡された。

 唯蓮は大きめのショールを羽織り、黒い大きな日傘を持って、長めの黒い手袋を嵌めている。中に着ているのはこれまた長袍で、その姿はロンドンの町を徘徊するときとさほど変わっていない。涼しげな顔のまま立ち尽くす彼もまた、裸眼で太陽を見上げた。

「アメン・ラー」

 呟く声には確かめるような音色が含まれている。エジプトの太陽神。シドは大きく溜息をつく。本当にこんなところまできてしまった。傍らを見やればミシェルがスーツケースを押している。唯蓮はあの通りの能力からか手荷物はゼロ。桂花とシドの荷物は当然の如くシドが運ぶ羽目になっていた。

 桂花が悪いのではない。唯蓮の命令だ。

「さて、お宅はどちらか」

 肌を貫くような太陽光線に見舞われて、早くも顔色を変えているシドを尻目に、唯蓮はミシェルに問う。彼女はキョロキョロと見回しながらやがて右手側を指した。

「あっちですの。屋敷はカイロ郊外ですわ…迎えが来ることになっているのですけど」

 キョロキョロと見回す彼女、その背後の三人。そういえば、見たところ彼女は裕福な家の娘なのだろうが、何故単身ロンドンに現れたのだろう。唯蓮のように念じるだけでどこにでも移動できるなら兎も角も、スーツケースを見る限り彼女は空路で訪れた様子。それに、少々変わっているが彼女は普通の女の子のように見える。以前の依頼人のような異形のものには見えなかった。

 それでは、依頼人としての条件『人でない要素』は何なのか。シドは注意深くその挙動を見つめた。

 そわそわと爪先立っては雑多な往来を見つめる。薄水色のドレスからのぞく白い腕。その手指は純白のレースに覆われ、キラキラと光を反射させている。服装は少し古めかしいがどう見ても上品なお嬢様であり、この街並みから浮いている。寧ろロンドンの町並みの方がよく似合いそうだ。

 暫く眺めていたが、落ち着きがない、といった印象しか抱けない。それは歳相応の特徴でしかないように感じられた。視線を外し、桂花を見るが彼は相変わらず微笑を浮かべているだけで何を考えているか判らない。ただ、恐らくやる気のない唯蓮よりは余程頼りになる仲間なのだった。彼は強い。物理的な意味で。

 桂花は視線に気付き、小さく頷いた。意味が判らなかったが、次の瞬間上がった彼女の叫びで理解できた。

「あ!きましたわ」

 恐らく、その気配に気付いて合図をくれたのだろう。弾んだ声に誘われるまま顔を向ければ、大型のリムジンが滑り込んでくるところだった。

 巻き上がるのは砂埃か、とよく見れば、それは黄金色の砂ではなく青白くわき上がる冷気だ。そう気付くが、それは勿論人の仕業ではない。どんな生き物かは分からないが、シドは漸くそこでミシェル、或いはその家族が人ではないと実感したのだった。

「さ、お乗りになって!」

 正直、ジリジリと皮膚を焼く太陽に嫌気が差していたところだった。自慢ではないがシドはロンドンから出たことがない。こんなに暑い国に来るのも勿論初めてだった。初めて降り立ったカイロの感想はただ一言。オーブンで丸焼きにされているようだと、それだけだ。

「すぐにつきますから」

 ミシェルは言いながら助手席に座る。窓を過ぎ去る人の群れを見つめてこっそり感動しながら、シドは改めて仲間二人を見た。

 唯蓮は態度こそ変わらないものの、やはり体調が悪いようだ。強い日差しの下で日傘を差されては顔色の判別もつき難かったが、こうしてある程度の光源に抑えられた場所でよく見ると青ざめているのがわかる。ついで桂花。彼は普段以上に表情が読めない。落ち着いた物腰のまま唯蓮の様子を伺っている。

「暑くないのか?」

 問いかければ、唯蓮は首を横に振った。暑くはない。けれど、体が辛いのだろう。話しかけたことを申し訳ないと思ったがそれを察したのか珍しく桂花が自分から話し始めた。

「現在の外気温は三十八度前後、夏の昼間ですからね。私や唯蓮は暑さにも寒さにも苦痛を感じません。問題は…」

 桂花はそこで言葉を切り、チラリと唯蓮を見た。彼は浅く頷く。桂花は頷き返してシドを手招きした。

「お耳を」

 促されるまま身を寄せると、彼は耳元で小さく囁いた。

「依頼人には気をつけてください。体一片でも残れば再生はできますが、苦痛は減じませんので生き地獄ですよ」

 一片…とは。またなかなかに恐ろしい物言いだ。シドは質問を浴びせようと口を開いたが、丁度その時車が急停止した。思わず大きくよろけながら体勢を立て直すと、ミシェルが座席の扉を開いている。

「さ!つきましたわ」

 結局シドは言葉を飲み込み、促されるまま真っ先に地面に降り立った。そして口を開いて硬直したのだ。

 悪趣味、ではないはずだ。フランス式か、幾何学庭園には綺麗に刈り揃えられた植物。水場も設けられている。ただし、この気候とその風景が合致しているかといえば甚だ疑問だ。そしてその奥にある屋敷も、エジプトにあるよりはフランスの田園地帯にあったほうがしっくり来る。

「お入りになって」

 促されるまま開け放たれた門扉をくぐる。途端、不自然な冷気が体中に絡みつく気がした。思わず背中を震わせながら脇に立つ唯蓮を見るが、彼は相変わらず。少々顔色が悪いほかは全く動じる様子もない。その上シドをおいてさっさと進んでしまった。控えていた桂花までもがシドを追い抜いていく。

 シドは慌てて荷物を引き摺りながら、注意深く石畳を進んでいった。話をしていたからか気付かなかったが、どうやらここは庭園の最奥の一角であるらしい。

 車で大門をくぐると暫く、広大な庭園を両脇に眺めることになる。そして屋敷に続く細い道の手前で降り、そこからは徒歩。シドは振り返って遠くに大門を見、そして手前にある小さな門を見た。

 誰かに追われたら逃げ切る自信がない。足は速いが所詮は瞬発力だけで体力がないのだ。

 石畳は緩やかなカーブを描いて扉に続いていた。シドは慌てて小走りになり、石畳の継ぎ目に足を引っ掛けそうになりながら前を行く三人に追いつく。

 ミシェルが扉の前に立った。そのまま数秒。扉はひとりでに開いていく。がらんとしたエントランスホールに、壮年の紳士と艶めいた美女が立っている。どちらもミシェルと同じ淡い金色の髪を持ち、瞳も同じく蠱惑的な緑。見るからに似合いの夫婦だった。

「ご苦労でした」

 女は静かに言い放った。肝が冷えるような高圧的な態度、表情。しかしそれはミシェルに対するものだったらしい。ミシェルはしかし、笑顔で女性に駆け寄って抱きついた。

「お母様、ただ今帰りました」

「いい子でしたね。さ、貴方は着替えてらっしゃい」

 決して優しげな笑みを浮かべたわけではないが、それでも精一杯柔らかい態度に見えた。初対面だが、その女性には鋼鉄の女という形容がぴったりくる。シドは息を詰めた。ミシェルの母親に対する恐怖心というのは中々に拭い去り難いものがあった。

 ミシェルが彼女の脇をすり抜けて奥の階段に向かうと、女は静かにこちらを見る。シドは怯むが、丁度その時唯蓮が一歩、前に出た。

「娘の御無礼をお許しください。曽祖父、ジル公がお世話になったと聞いています」

「いえ。あまりいい結果にはなりませんでしたし」

 唯蓮は静かに嘆息して、些か不躾な視線を向けた。シドとしては彼女が怒らないか気が気ではなかったが、意外にも彼女は深く首を垂れた。

「私たちが卑しい種族であることは…」

「そういう意味ではありませんよ。むしろ感謝しています。私は…約束を忘れていた」

 唯蓮は婦人の言葉を遮り、天井を見上げた。気配を探すようにさまよう瞳。桂花は俯き、静かに息を吐く。その仕草に何かしらの感情がこもっている気がして、シドは少し驚いた。

「こちらの方ははじめてお会いするようですが…」

「ソレはオマケです」

 子供用のお菓子についているおもちゃのようなものだと付け足して、唯蓮はひとりでくつくつと笑った。笑っているにも関わらずまったく楽しそうでもなく、逆につらそうな様子が引き立つようで、シドはまた首を傾げる。唯蓮に役立たずのお荷物扱いされるのは慣れっこだったので今更その言動に傷つくこともない。それはそれで哀れな男である。

「私はセルジュ、妻のシュザンヌです」

 紳士はシドに向けて傍らの女性をしめした。そしてゆっくりと手を差し伸べる。シドは恐縮しながら一歩前に出た。殆ど聞き取れないような声で名乗ってから遠慮がちにその手を握る。氷のように冷たく硬い。

 とすると。この冷気は旦那のものか…。雰囲気の冷たさでは婦人もひけを取っていないが、この手の冷たさは尋常ではない。氷のように、というよりはまさに氷そのもののようだ。

「おや…仲間ではないようですね」

 手を離したあと。彼はシドに薄く笑いかける。人ではないと言っていいものか、彼の問が何を意味しているか。シドには判らず、結局背後を振り返る。応じたのは桂花だった。

「どちらかというと私たちのほうに近いですね。というわけで、残念ながら人ではないんですよ。…申し訳ないですが長居もできません。お話を伺いたいのですが」

 言っている内容は中々勝手だが、桂花の口からでると妙に丁寧に聞こえる。紳士は気を悪くすることもなく、逆に深く頭を下げた。

「申し訳ありませんが、お話は夕食の時に致しましょう。今日はお疲れでしょうからどうぞお休みになっていてください」

 傍らで軽く頷いた婦人は背後に控える階段を指す。

「お部屋は用意させてあります。客間おふたつですが、不十分でしたらおっしゃってください」

 婦人が続けてすぐ、奥から痩せた少女が現れた。黒のワンピースに白のエプロン、ヘッドドレス。美しいが、面立ちは屋敷の主たちとは明らかに違う。恐らくエジプトの少女を雇い入れたのだろう。

 彼女は不安げな眼差しでシドたち三人を見つめ、深く礼をした。

「ご案内いたします。サミーラです。お荷物お持ちいたします」

 彼女と入れ違いに、夫妻は別室に引く。シドに向かって手を差し伸べる彼女の指を、横から伸びた唯蓮の指がせきとめる。

「いえ、この男はトレーニング中ですので荷物は持たせたままで構いません。…よければ代わりに私の手を取って案内をお願いしたいのですが」

「…え?」

 さすがに唯蓮のこの言葉には反応が難しかったのだろう、彼女は目を瞬かせて彼を見た。にこにこ笑う彼は国籍不明の綺麗な男だが、初対面であり、彼女は使用人である。手を取る必要もわからないしそれはただのセクハラだ。見ているほうが恥ずかしくなってシドは慌てて桂花を見る。彼は笑うだけで口を出す気はないようだった。

「日が強くて目が焼かれてしまいました。勿論お嫌なら無理は言いません」

「まぁ…お気の毒に。エジプトははじめてですか?」

 彼女は拙いながら言葉を選び選び、英語で喋った。唯蓮の指を恐る恐る引いて、階段を登り始める。唯蓮の足元を始終気にしている様子が見えるが、彼が普通に歩けるのは明白でシドはやはり恥ずかしくて直視できなくなった。こういうとき桂花の涼しげな顔はいい。気が落ち着くからだ。

 階段を登りきり、右に曲がる。登った階段は突き当たりで左右に広がり、円を描くように二階に続いていた。正面から見れば左側の棟に来たことになる。道順を忘れないようにときょろきょろ見回していたシドだったが、屋敷の構造は至って簡単だった。二階に登って、右手に曲がった突き当たりのドア。両脇に向かい合わせにある扉二つが客間だった。

「ごめんなさい。二名様とお伺いしていたので二部屋だけご用意させていただいておりました。夜までにもう一部屋…」

「いえ、シドは眠りませんから平気です。彼は長い間不眠症なのです…そうですね、三年くらい」

 また唯蓮…ではなかった。なんとそう言ったのは桂花だったのだ。慌てるシドを捨て置いて、桂花はサミーラに話しかける。

「失礼なことを尋ねますが二部屋、どちらが居心地がよいでしょうか」

 問い掛けに彼女はきょとんとした顔をしたがすぐに唯蓮が主であることを見抜いたのだろう。深く頷いてから少し考える様子をみせた。

「…そうですね、左のお部屋は西日がさしますのであえて選ぶならば右のお部屋でしょうか。内装は対になっておりますので差異はございません」

「ありがとう。あと、お仕事の合間で構いませんのでレモン水を持ってきていただけますか?右の部屋に唯蓮が入りますので」

 愛想良く笑う桂花の言葉に少々驚いた様子を見せながら彼女は幾度も頷いた。

「はい、すぐにお持ちいたします」

 恐らく、唯蓮が何も言わないうちに部屋を決めた桂花に驚いているのだろう。シドもはじめは不思議だったのだが、桂花は意外によく采配を握っている。唯蓮が彼の決め事に口を出すことはない。恐らく、唯蓮のことは全て理解しているのだろう。

 彼女は一礼して食事の時間を告げ、踵を返した。シドはその背が見えなくなるまで見つめ、二人を振り仰ぐ。二人は黙って辺りを見回している。シドもならって今一度見回した。

 両脇に金の柄の入った赤い絨毯。恐らく特注品だ。ドアの入り口のあたりだけ飾り枠が途切れるように意匠がされている。壁紙は薔薇柄、突き当りには静物画がかけられ、天井は金色で絡む蔦の文様が彫りこまれている。そこに等間隔で暖色の照明…宝石のようにカットされた硝子に彩られ、キラキラと光を乱反射させていた。

「気配、ありますね」

 桂花がつぶやく。唯蓮は頷きながらよろよろと右のドアノブを掴んだ。

「頭が割れそうだ」

 呟きが聞き取れた。けれどその表情はうかがえない。やはり様子がおかしい。けれど、桂花はとりたてて何をするでもなく、シドに合図をした。

「少し休みましょう。安心してください、私は夜通し起きていますから」

先ほどは不眠症だなどといわれて焦ったが、いざ桂花が起きているときくとどうも申しわけない気がした。けれど自分が起きていられるかといえば自信がない。結局言葉が見つからず、黙って室内に入った。

 

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