Part3 友達

 ヒノクニ関東ブロックBエリア――


 昼食を摂り終えたイアンは、丁度うとうとして来た所だったが、ドアをノックする音に眼を覚ました。


「イアン? 入って良い?」


 ルカだった。

 イアンが「ああ」と返事をすると、イツヴァと一緒に、ルカが病室に入って来た。


「調子はどう?」

「今、ちょっと悪くなった」

「え!?」

「昼寝の時間を邪魔されたからな」

「もう、お兄ちゃんったら!」


 イツヴァに叱られて、イアンは薄く笑った。グラトリたちを撃退した功績で、病院のランクを上げて貰い、治療費の何割かも免除されたが、イアンの身体はまだ日常生活を送れる程まで回復してはいなかった。


 その六武衆の一件で、〈パープル・ペイン改〉を装着した事が、まだ響いていた。


〈パープル・ペイン改〉は本来サポーティブ・ウェアとして使用される筈だったものに、〈パープル・ペイン〉のデータを移植して急造したものだ。コンバット・テクターを作る際には、先ずは合金を装甲の形状に作り変えて、それから専用の機械で粒子化する。粒子状態で手を入れるのは大まかな整備や不足した金属成分を追加する場合くらいで、姿を丸っ切り変更してしまうような大掛かりな改造には勧められない。


 その為、出撃した〈パープル・ペイン改〉は不安定で、装着者への負担も大きかった。動けない部分を動かす、負担を少なくしたサポーティブ・ウェアであるにも関わらず、装着者の身体に負荷を掛けるいびつなコンバット・テクターだったのだ。


 お蔭でイアンの完治までには、余計に時間が掛かる事になった。


 医者や看護師はこの事を怒っていたが、一方でイアンが元気を取り戻した事も事実だと考えていた。


 若しかすると前のようにはコンバット・テクターを使えないかもしれない……そんな不安が、イアンの心にはあった。コンバット・テクターを使えなくなる可能性に怯えていたイアンは、その特殊なコンバット・テクターを改めて纏った事で、どうにか自信を取り戻したのだ。


 前のように麗しく空を舞う事は出来ないかもしれないが、大地に根を張って逞しく立つ事は出来る。


〈パープル・ペイン〉と全く戦闘スタイルの異なる〈パープル・ペイン改〉を纏ったイアンは、希望を手に入れたのだった。


〈パープル・ペイン改〉を使った事によるダメージは残っているが、イアンの体力は日を追うごとに回復して、気力も充実し、完治を待たずしてトレーニングを再開したいくらいだった。


「本当、バカねぇ、イアンは」

「何ィ?」

「RCFバカって奴よ。……林檎、持って来たけど食べる?」

「喰う」


 ルカがビニール袋を持ち上げた。中には新鮮な林檎の姿が見える。イツヴァは自分とルカの分の椅子を用意して、ベッドのテーブルを引き出し、イアンの身体と平行に伸ばした。


 ルカが椅子に腰掛けて、果物ナイフで林檎の皮を剥き始める。


「意外と器用なんだな、ルカちゃん」

「でしょー? うちって昔はそんなにお金なかったからさ、メイドロイドとか買えなかったし、自分で色々やるっきゃなかったんだよね」

「そうなのか」

「うん。それに兄弟も多いしさ」

「初めて聞いたかもしれないな」

「別に言い触らす事じゃないでしょ。まぁ、イアンはイツヴァちゃんっていう自慢の妹がいるから、その気持ちは分からないだろーけどね」

「本当、お兄ちゃんには困ってます……」


 呆れたように溜め息を吐くイツヴァ。イアンは「そんな事言うなよー」と猫撫で声を出した。暫くはこうしたシスコン気質も息を潜めていたが、すっかり復活してしまった。


「もう少し落ち込んでても良かったのに」


 と、憎まれ口を叩くイツヴァだが、その表情には優しい笑みが浮かんでいる。何のかんのと、イツヴァの事を兄が溺愛するように、イアンの事を敬愛している妹であった。


「アキセは……」


 イアンが言った。


 兎の形に切り揃えられた林檎が、テーブルの上の紙皿に載せられた。イアンは左手でフォークを受け取って、林檎を口に運んだ。右腕は吊っているが、左肘は動かせる。指はまだ回復しておらず、フォークは握るようにして使っていた。


「そろそろ、向こうに着いたかな」


 蜜がたっぷりと詰まっていて、酸味よりも甘さが来た。しゃりしゃりと噛み砕いてゆくと、糖度の高い水が溢れ出す。


「多分……」

「信じられないよね」


 イツヴァは言った。


「イェツィノ先輩が、戦争に行くなんて。……何て言うか、アミカ先輩は分かんない事はないんですけど、でも」

「そーいや、お前、初めはアキセに印象良くなかったよな」

「……昔の事じゃないっ」


 イアンがけらけらと笑った。顔を赤くしてイツヴァが反論すると、ルカが意外そうな顔をした。


「そうなの?」

「イツヴァは俺みたいな強くてイケメンな男しか知らなかったからな。気弱なアキセは眼中にないって訳だ」

「そーなんだ? やっぱりお兄ちゃん大好きなんだねぇ」

「もうっ、お兄ちゃんもルカ先輩も! 別にお兄ちゃんの事なんか好きじゃないし、イェツィノ先輩の事だって嫌いじゃありませんよーだ。っていうか、お兄ちゃんよりずっと好きだし、アキセさんの事」

「な、何ッ?」


 イツヴァは敢えて、アキセの事を普段とは違う呼び方をした。イアンはそれを聞いて激しく動揺した。シスコンをこじらせたばかりにプレイボーイではないが、男女の機微は少しなりと分かっているイアンは、女が男に対する呼び方を変える意味を分かっている。


「お、おまっ、俺が入院してる間に、あき……アキセと何かあったのか!? ……痛てて……」

「ああもう、興奮しないでさ……」


 コルセットをしている頸をぐっと動かそうとして、イアンは眉を顰める。ルカが急な動きをしたイアンと、兄をからかったイツヴァを窘める。


「イアンってば必死なんだから。アキセはそんな事しないよ。ってか、アキセはアミカちゃんと付き合い始めたってさ」

「何!? やっとか!」


 ルカとイツヴァは、アキセたちがV-TOLに乗り込む前に彼らと会い、その報告を受けた。イアンは落ち着きを取り戻して、感慨深く息を吐いた。


「やっとか、って事は、気付いてたの?」

「アミカちゃんがアキセを好きって事はな。何でも、久しぶりに再会した幼馴染みだって事だったから、こいつぁラブセンサーにびんびん来たって思ってよ」

「ラブセンサーとか、だっさ。でも、まぁ、イェツィノ先輩の方は兎も角、アミカ先輩は露骨だったよね」


 兄のセンスを批判しながら、イツヴァが言う。アキセの転入当初、アミカとは別のクラスになっていたが、アミカがアキセに会おうと教室にやって来るという噂は、イツヴァも聞いていた。アミカがGAF社の令嬢だという話も知れ渡っており、彼女の容姿の美しさもあって、わざわざ別のクラスにまで会いに行く相手がどのようなものか、期待が高まっていたのだ。


「でもさ、何て言うか不吉よね……」


 ルカが自分で切った林檎を一つ食べてから、言った。


「あん?」

「ダイア一佐はあんな風に言ってるけど、戦争でしょ。それに駆り出される私たちと同年代の子がさ、今まで伝える機会は幾らでもあったのに伝えなかった事を、今になって言うんだもの……」

「よせよ、縁起でもない」

「それは分かるけど……」

「平気だよ、あいつは」


 イアンはそう言った。


「あいつは〈ククルカン〉を使いこなせている。タクマの姉さんから聞いたが、あいつは、あのテロリストに襲われそうになったタクマを助けて、逃げるように促した。リュウゼツランを発動したまま、だ。その後も、君たちと敵の区別も付いていた。あいつ自身の優しさが、リュウゼツランの凶暴性を抑え込む事に成功しているんだ。そしてアミカちゃんと結ばれて愛する者を手に入れたあいつなら、きっと〈ククルカン〉の力を制御する事が出来るだろう」

「――」

「あいつが〈ククルカン〉を怖がっていた一番の理由は、人を傷付けてしまうのが怖いというものだった。人はそれを弱さというかもしれないが、俺はそうは思わない。あいつのそれは優しさだ。優しい奴は強くなれる。優しい奴は、愛しいものを守る為なら戦えるからだ」

「――何だか、お兄ちゃん、詩人みたいね」


 イツヴァが笑った。イアンは顔を赤くして、眼を瞑った。


「私もそう思う。アキセは、優しい。そして強い――」


 ルカが拳を振り上げた。


「帰って来たら、二人の為にパーティでもして上げましょ!」

「ああ、良いね、それ。じゃあそれまでに、俺も回復しなくっちゃな!」

「無茶は駄目だよ、お兄ちゃん――」


 そう言って三人は、病室の中で笑い合った。






 メイドロイドの言ったように、真夜中、俺たちを乗せたV-TOLは、ノースアメリカはメキシコシティに到着した。状況は酷いもので、写真で見るような町並みは殆ど残っていなかった。


「俺たちが払った犠牲だ」


 着陸したV-TOLから降りて、その瓦礫の町に唖然としていた俺とアミカちゃんに、ダイア一佐は告げた。


「必ず奴らに勝たねばならない。俺たちは破壊の上にしか生きられないんだ」

「……はい」


 俺は頷いた。

 白い軍服を羽織って、崩れ落ちた町の中を歩き始めた。

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