第七章 虚無なる煌き

Part1 英雄

 真新しい、純白の軍服が、俺には用意された。金糸で縁取られたそれは、死に装束のようにも思えた。


 胸元には空っぽな勲章が飾られている。背中には翼を持った蛇の刺繍が施されていた。〈ククルカン〉とは元々、ユカタン半島に存在したというマヤ文明で信仰されていた神の名前で、“翼ある蛇”という意味だからだ。


 神話でのククルカンは光の神で、人々に文化を齎した。同様の物語は、前々時代までは世界三大宗教の一つであったキリスト教にも存在している。尤もこちらでは、神が愛した人間をそそのかした悪魔として描かれているが、派閥によっては人に智慧を授けた天使とも見られているようだった。


 光は智慧の象徴だ。智慧とは、生きる為に必要な、本能を凌駕する理性や思考、思想、文化の事である。又、智慧の光は火にも例えられる。人間は火を得る事によって闇を恐れる必要がなくなり、生活の幅を広げていったからだ。


 そうしたバックボーンがある名前を背負いながら、俺は、その光であった筈の宗教を魔導と呼び、殲滅する為の戦いに出ようとしている。


 俺とアミカちゃん、そして一時的に前線を離れたダイア一佐を乗せた垂直離着陸機が、北米ユカタン半島を目指している。俺たち三人に加え、パイロットが一人、サブが一人、そしてメイドロイドとバトロイドが一体ずつ乗っている大型のV-TOLだった。三人とも、ゆったりとしたソファに腰掛けている。


「これからの予定を説明致します」


 メイドロイドが、俺の傍で言った。


「当機は目的地に現地時間〇一〇〇に到着、フライトはおおよそ三時間。現着の後、臨時准将を部隊員に紹介。以後、イェツィノ准将を魔導教団撲滅部隊大隊長とする為の任命式を行ないます」

「准将!?」

「そうだ」


 ダイア一佐は言った。


「君はあの戦場で、一番上の役職に就く事になる。俺の部隊も君の指揮下に入る」

「そんな、俺……」

「心配するな、既に言っていると思うが、君は飽くまで戦意高揚の為のお飾りで、准将の地位も一時的なものになる。本格的な指揮は俺や他の隊長たちに任せて置けば良い。君がやる事は出動命令だけだ」

「――分かりました」


 俺は頷いた。

 メイドロイドが、説明を続ける。


「任命式後、ブリーフィングにて作戦概要を共有。作戦コードは“ヘビクイワシ”。密林に逃げ込み、ゲリラ的な戦闘を仕掛けている魔導教団を、空爆によって殲滅します。尚、自然環境に配慮した結果、爆裂焼夷弾の使用は四発までに限定されるとの事」


 爆裂焼夷弾とは、着弾と共に破裂し、一発で半径四キロメートルに渡って焼き払う兵器だ。焼夷剤による火災を引き起こすだけではなく、内部には小型の焼夷弾が含まれており、これが着弾の衝撃で更に火災の規模を広げるという訳だ。酸素を喰らい尽くすまで燃焼は止まらず、例え破片や炎から逃げ延びても一酸化炭素中毒や窒息死、気化したリンや燃焼ガスによる生態系の侵食まで発生する。


 前回の大戦でも、この兵器は使用された。当時は内部の小型焼夷弾に核爆弾を密かに搭載していた為に、今でも一部の地域が放射能汚染によって手を出せずにいる。


「尚、焼夷徹甲弾が三発用意されております。こちらの使用許可は大隊長であるイェツィノ准将にしか下せません事をご了承下さい」


 メイドロイドはアタッシュケースを取り出し、俺の前のテーブルに置いて開いて見せた。焼夷徹甲弾は、掌くらいの全長で、専用のライフルを使用する事になっている。外見はご覧の通りだが、威力自体は作戦に使用される爆裂徹甲弾と遜色ない。


「魔導教団の拠点や、その守護の要である〈エージェント・オブ・ダークネス〉に使用する事を推奨致します」


 という事だった。


「それでは、快適な空の旅をお楽しみ下さい」


 冗談の心算なのか、メイドロイドはそんな事を言って、アタッシュケースと共に引っ込んで行った。


 俺は慣れない高級な生地のシャツに戸惑いながらも、横に掛けられたククルカンの刺繍がある上着を眺めた。まさか、落ちこぼれの学生が、こんな立派なものを着る事になるなんて、誰も思わないだろう。


 落ちこぼれと言えば、機体に乗り込む前に、学校のクラスメイトたちが見送りにやって来た。イアンとルカちゃんはいなかったが、ツァ=ヴォミ先生を初めとした皆が、学生らしく色紙にメッセージを書いて送ってくれた。今時珍しい、かなり昔の習慣だった。


 アミカちゃんは涙ぐんでそれを受け取っていたが、俺はそんな気分ではない。クラスの中には、もう忘れている者も多いが、俺を莫迦にしていた者もいた。いや、莫迦にされているというだけならば、きっと極々僅かの人間を残して、皆がそうだっただろう。落ちこぼれ、人見知り、暗い奴……そんな俺が、あの白い軍服に袖を通しただけで英雄扱いだ。


 そう言えば、こっちに引っ越して来たから一度も会いに来なかった両親も、その中にいた。会話は交わさなかったが、傍から見ても分かるくらい、戦地に赴く俺を誇らしげに眺めていた。


 アミカちゃんはああ言ってくれたが、やはり俺は、アキセ=イェツィノではないという事を改めて思った。元から両親という事には違和感を覚えていたが、あの人たちが見ているのはクラスメイトたちと同じ、〈ククルカン〉を身に着けた准将閣下というだけで、アキセ=イェツィノでも、勿論、俺でもない。


 それで良い。

 俺に名誉は要らない。俺は過去の自分を贖う為に、命を懸けるのだから。


「アキくん……」


 アミカちゃんはソファから立ち上がって、俺の傍にやって来た。

 俺は彼女の手を握り、彼女も俺の手を握った。


「戦争が終わるまでは、アキくんは皆のイェツィノ准将だから……」

「ん……」


 アミカちゃんは、一時的に三等陸曹相当の地位を与えられている。GAF社の協力を取り付けられたという功績と、それにプラスしてアミカちゃん自身の実力があっても、特別に優秀な成績を残している訳ではない学生としては異例の大出世だ。迷彩柄の上下を身に着け、その上に防弾チョッキなどを着用する事になっている。


「ん……便所行って来る」


 不意にダイア一佐は立ち上がり、機体後部のトイレに向かった。……気を利かせてくれたという事だろうか。


 俺とアミカちゃんは薄っすらとだけれども微笑み合って、自然と顔を近付けていた。


 機体は、目的地を目指して飛んでいた。






 ユカタン半島を覆うジャングルでは、未だに新しい遺跡が発見される事がある。と言っても、大戦以後は古代文明や宗教に関する研究は停滞し、ここ一〇〇年以上、現地民以外がジャングルに足を踏み入れる事はなかった。そしてその現地民も、今は多くが密林から追放されている。


 そうではない者は、連合のやり方に反発を抱き、古来の習慣や文化を頑なに守り続けている者たちであった。連盟も、彼らに対する弾圧によって文化人や知識人たちから反発受ける事を嫌がってアンタッチャブルを決め込んでいたのだが、魔導教団はそこにつけ込んで、彼らを自分たちの傭兵としてしまった。


 当初、教団幹部の多くはその決定を訝しんだ。宗教的・倫理的見地から、彼らを騙すような形になる事に不満を唱える者。コンバット・テクターが入り乱れる戦場で、彼らがどんな役に立つのかという意見。そもそも、未だに根強く宗教的生活が残るこの場に、文明の利器をねじ込む事からして厭う者も、少なくはなかった。


 とは言え、今時、ジャングルで生活している者だって携帯電話を持ち、テレビを見て、そして狩りには銃を使用する。文明未開の地という表現は、前々世紀にあってさえも適当ではない。彼らは、文明によって自分たちの信仰が揺らぐ事はないと分かっているのだった。そして彼らの信仰が、何らかの組織による団結が条件ではなく、信仰の下に自然と生まれる結束によるものだという事も、知っていた。


「見習わなければならない、と言うより、我々自身が宗教を魔導として貶めていたのです」


 六武衆を含めた幹部会議の場に於いて、初めて姿を現した黒尽くめの男は言った。


 導師グーリーだ。


「宗教とは本来、自由な信心に依り、より善く生きる為の手段であり、目的ではありません。忘れないで欲しいのは、我々が剣を執り、銃を執るのは、決して宗教の復権の為ではないのです。より善く生きる為の教えや約束、善意を前提にした生活集団を脅かそうとする、科学によって盲目となった連盟を破壊し、智慧の教えを再び誰の手にも渡るよう、誰の心にも響くよう、取り戻す事なのです。我々は自由です、古来の伝統、未来の科学、全てを受け入れる事が出来る。我々は何らかの手段によって、個人の善悪を規定した牢獄を創り上げる心算はありません。その事を胸に誓い、それぞれの神に願い、そして戦いましょう。戦いを終わらせる為に戦う、最後の聖戦士こそ、我々なのです」


 グーリーはそのように言って、魔導教団のメンバーを纏め上げたのだった。

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