Part6 告白
VIPルームは簡単な体育館くらいの広さはあって、正直、俺では持て余してしまう。
金色で縁取られた赤い絨毯も、有名な画家の風景画のオリジナルも、凝った作りの電飾も、俺には無用の長物という奴のように思われた。
部屋の中心にある小さな円卓で、俺とアミカちゃんは向かい合っている。
ショートカットで天真爛漫という性格をプログラミングされたメイドロイドと、見目麗しい真面目なバトロイドが、俺たちにそれぞれ紅茶を入れてくれた。
「ごゆっくりどうぞ~!」
「用があれば、お申し付け下さい」
メイドロイドとバトロイドは、そう言って部屋から出て行った。呼吸が人間のものより熱い――内部の精密機械を維持するのに放熱している――以外は、丸っ切り人間と同じだった。
人権保護法の制定によって家政婦の類を雇う事が禁じられてから作られたのがメイドロイドやバトロイドだが、超高級のAI搭載機と話していると、人間とのやり取りと何も変わる事はないように思う。
「明日ね……」
アミカちゃんが言った。一見すると、いつもと同じように落ち着いていると見えた。
「ん……」
「私、やっぱり怖いな」
「え?」
「軽い気持ちで言った訳じゃないけど、戦場に出るって事でしょ? 怖いよ、私」
「――」
「アキちゃん、嫌な気持ちになるかもしれないけど、聞いてくれる? テクストロの時の事」
「良いよ」
「アキちゃんがタクマ選手と戦った時、私、すっごく嫌な気分だったわ」
「イアンも言っていたよ。あれは戦いとしてリアルかもしれないけど、テクストロ……スポーツやエンターテインメントとしては、相応しくない。ルカちゃんも、タクマ選手の戦い方を、RCFじゃないって言ってた。アミカちゃんは正しいよ……」
「でも、これから私、ああいう事をするんでしょ? アキちゃんも……」
「ああ」
「怖いよ……」
「僕も、怖い……」
怖いけれど、でも、俺は逃げてはいけない。俺は俺の命を奪われる事を恐れてはいけない。俺にその資格はないからだ。魔術師たちがかつての俺のように、無辜の人々の平和を脅かすのならば、俺は命を懸けてでも彼らを止めなくてはいけない。それが死を以てさえも贖い切れなかった罪への罰だ。
「ありがとう……」
アミカちゃんは漸く一口、紅茶を飲んだ。
少しの間、沈黙が続いたが、やがてアミカちゃんから、再び口を開いた。
「兄さんが言っていた事……訊いても良いかな」
アミカちゃんが言う兄というのは、魔術師の一人、彼ら六人のリーダー格であったカインという男だ。
後で聞いた話だと、カイン、アマクサ、インヘル、グラトリ、ジュスト、アスランの六人は、魔導教団の大幹部として六武衆を名乗っている。その中で最も権力を持つのがカインで、噂では彼ら六名の上に一人、導師と呼ばれる人間がいるらしい。
「兄さん……ううん、カインは、アキちゃんに何を言っていたの?」
「――」
カインは、こう言っていた。
“大罪を転ぜしめ世界を超越して生まれ落ちたるその身を
大罪や忌まわしき記憶というのは、俺が前世に於いて犯した罪の事だろう。世界を超越してというのは、俺が前世の記憶を引き継いで生まれてしまったという意味だ。
御子というのが〈ククルカン〉を指すとすれば、彼らは〈ククルカン〉を取り戻す事を諦めていないという事になる。けれど、カインの言う御子というのは、〈ククルカン〉だけではなく、俺の事も指しているようだった。
それらの意味は、分かる。だが、偶然に〈ククルカン〉を手にした俺を御子などと呼ぶのかは分からないし、俺が別の世界から転生したのを知っている理由も、分からなかった。
いや、俺の事を知っている人間が、それを教えたのかもしれない。つまり、あの黒尽くめの魔術師が、カインたちと繋がっているという証拠なのかもしれなかった。
「……アミカちゃん、僕……いや、俺は……」
「俺? そう言えば、この間もアキちゃん……」
俺はアミカちゃんに、俺の事を話した。
俺が昔から、人を殺し、その報復に殺害される夢を何度も見ていた事。その悩みを、魔術師に相談した事。魔術師はその夢が、俺の前世の行動の記憶であるかもしれないと言った事。俺が他者と触れ合うのを怖がっていたのは、かつてのように無闇に人を傷付ける事を恐れていたからだったという事。そしてその事に気付いたのが、八期生の時……つまり、アミカちゃんと再会する直前だったという事。
「あの時、アミカちゃんは、俺に言ったろう」
俺の口調は、アキセのものではなくなっていた。
“……えっと、貴方……アキちゃん? よね……?”
「あの時、アミカちゃんが俺を見て勘違いしたと思ったのは、多分、本当なんだ。俺はアミカちゃんと出会った頃のアキセじゃなくなっていた。俺の見ていた夢、世界に対して抱いていた違和感の正体が分かった時、俺はアキセ=イェツィノじゃなくて、前世の俺と入れ替わってしまったみたいだったんだ。アミカちゃんが知っていたアキセを、俺は奪い取ってしまったんだよ」
「そんな……そんな事、ないよ」
「やめてくれ、君には分からない。俺の事なんか分からないんだ」
「そんなの、魔術師が言った嘘かもしれないでしょ? 誤魔化しただけかもしれない。本当だって証明出来ないでしょ? 貴方の前世と呼ばれる人がいて、罪を犯したとして、その罰をアキちゃんが受ける事はないわよ。貴方はアキセ=イェツィノ、それ以上の何だっていうの?」
アミカちゃんは立ち上がると、俺の傍にやって来た。そして俺の頭を胸の中に抱え込むような動きをした。俺は彼女を突き飛ばして、椅子から転がり落ちた。
「駄目だ、アミカちゃん。そんな事をしちゃいけない。俺はアキセ=イェツィノを名乗っているけど、もうアキセじゃないんだ、別人なんだよ」
「貴方はアキちゃんよ……」
「俺は君を殺すかもしれないぞ!? 俺の魂は、殺しを愉しむ心があるんだ。君にどんな酷い事をして、どんな殺し方をするか分からないんだぞ……」
「そんな事ないわ。アキちゃん、言ってたじゃない。戦場に行くのが怖いって。イアンくんが言ってた、あの戦いが嫌な気分だったって……それを憶えてたって事は、貴方だって同じ思いだったって事でしょ? だったら、貴方はそんな殺人者の魂なんて持っていないわ……」
俺はアミカちゃんから逃げた。
アミカちゃんは俺を受け入れようとしている。それが怖かった。
イアンやルカちゃんが受け入れてくれたのは、友達としてのアキセ=イェツィノだ。俺はアキセを演じられている、そう思ったから彼らと安心して友達でいられた。
でも、今のアミカちゃんは違う。俺の魂をアキセ=イェツィノだと言って、受け入れようとしてくれている。一番、彼女の知っているアキセではない部分を、アキセだと言って抱き止めようとしているのだった。
「返せ……」
アキセが言った。俺にだけ聞こえる声だ。俺の肉体がそう言っているのだ。
「僕を返してくれ!」
「やめろ! 俺は違う、俺はアキセを奪っちゃいない。俺はアキセ=イェツィノじゃないんだ!」
俺はベッドに飛び込んだ。柔らかなマットレスが、俺の身体を包み込んでくれた。その俺の身体の上に、別の鼓動が乗っかった。アミカちゃんが、俺の背中に胸を押し当てている。
「貴方はアキちゃんだよ……」
アミカちゃんは俺の耳元で囁いた。
「他の誰でもない、私の知ってるアキちゃんだよ……」
アミカちゃんは意外な程の力で俺を仰向けにさせると、俺の胴体に跨った。部屋のシャンデリアの橙色の光が、彼女の輪郭を淡く煌かせていた。アミカちゃんは身に着けていたブラウスのボタンを外し、彼女らしい清純の白をしたブラジャーを取り去った。
「好き……」
アミカちゃんそう言うと、俺の顔を両手で固定して、唇を押し当てた。肉の感触が唇に思い起こされる。俺はかつて、無理矢理他人の女を犯した記憶がある。その時と同じようだったが、積極的に舌を絡めて来たのはアミカちゃんだった。その肉の蛇から、温かい感情が流れ込んで来る。
俺の手が、記憶に沿って動いていた。唇を吸い、舌を吸われながら、アミカちゃんの細い首筋に両手を伸ばす。絞め上げてしまおうとしていた手を、俺はどうにか抑え込んだ。そしてその腕を、彼女の背中に回した。深海魚のような白い身体は、きめ細かい肌をしており、俺の掌にもちもちと吸い付いて来た。
俺たちはそうして、一つになった。
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