Part3 乖離

 学院の野外練習場を、黒い閃光と黄色い翼が駆け回り、ぶつかり合っている。


〈パープル・ペイン〉と〈ラプティック・ブレイヴ〉スカイブースターが、模擬戦をしているのだった。


 出力で言えば、ブースター装備の〈ラプティック・ブレイヴ〉の方があるかもしれない。けれど、元から高い機動力を持つ〈パープル・ペイン〉の方が、スピードに関しては専門的で、巧みだった。


〈ラプティック・ブレイヴ〉が上を取ったかと思ったら、〈パープル・ペイン〉は頭上からの攻撃を紙一重で躱して位置を入れ替え、地上に向けて蹴り込んでしまう。


 落下した〈ラプティック・ブレイヴ〉は素早く換装してブラストブースターを装備するが、マシンガンもスナイパーライフルも〈パープル・ペイン〉の動きを捕らえる事は出来ないでいる。“神速の紫焔”の二つ名は伊達ではないと言いたげな軌跡を、イアンは描いた。


 俺は遠くから、その光景を見ている。


 開放された競技場は三〇メートル四方で、その周囲を金網が覆っている。四隅には円柱が立ち、流れ弾などを防御するエネルギー膜を張り巡らせる機能があった。俺がいるのは、校舎側の金網の傍だった。


 ルカ=マーキュラス。

 イアン=テクニケルス。


 ついこの間、友達になった彼らが、RCF……コンバット・テクターを使った競技の練習をしているのを、遠くから眺めているのだった。


 転校して来たばかりで、周りに馴染めなかった。生まれた時から、この世界に違和感を覚え続けていたので、他の人たちと仲良くするという事は巧く出来なかった。


 そんな俺は容易く虐めのターゲットとなり、そんな俺を助けてくれたのがルカちゃんとイアンだったのだ。


 彼らは自分に自信が持てない俺でも、友達だと言ってくれて、元気付けるようにしてRCFをやっている姿を見せてくれているのだった。


 でも俺は、却って自分の劣等感を強めるだけだった。


 あの二人は、ああやってコンバット・テクターを身に着けてパンチや蹴りを浴びせ合い、銃や剣といった武器を向け合っている。それでも殺意が含まれないのは、これがスポーツであるという安心感と、二人の間の信頼関係があるからだ。


 俺は、それが出来ない。


 ずっと昔から見ていた、人を殺す夢……。


 その報いとして俺は殺された。殺意を人に向ける事を俺自身はしなくとも、それを連想させる行動が、俺の中に殺意を芽吹かせてしまうかもしれないと思っていた。


 あの二人は互いを信じている。そしてそれ以上に、自分自身を信じている。自分は決して相手を傷付けるような事はないという、スポーツ選手としての自覚があるのだ。


 二人の、未来を見据えた輝く自信が、俺には余りに眩し過ぎる。自分が駄目な人間だと突き付けられているような気分だった。


 そんな俺に、横から声を掛ける者があった。


「――アキちゃん……?」


 俺は初め、自分の事だとは思わなかったが、やがてふと、その呼び方をされた事があるのを思い出した。自分の事だと分かって振り向くと、そこにいたのは黒髪の美少女だった。


〈ラプティック・ブレイヴ〉と〈パープル・ペイン〉の戦いが起こす強い風に、長い髪を手で押さえている日本人形のような少女――


「アキちゃんよね? アキセちゃん! アキセ=イェツィノくんでしょ? ……私の事、憶えてる?」

「……アミカ、ちゃん?」

「うん、うん! 久し振り……でも、どうしてここに?」


 アミカちゃんは、俺の昔馴染みだ。小さい頃、俺と同じ学校に通っていて、俺と同じように周りと馴染めないでいた。彼女は単に引っ込み思案なだけだったが、俺が周囲に同調出来ない理由を分からないでいた頃の事だから、同族に出会えたと互いに思い、惹かれ合った。


 けれど彼女の親の都合で、俺と同じ町にいる事が出来なくなってしまったのだ。確か、母親がそれなりに名前のある人と再婚したのだったか。それ以来の再会だった。


「引っ越したんだ、色々あって……」

「そうなんだ……。でも、驚いたわ。また会えるだなんて思ってなかったもの……」


 アミカちゃんは嬉しそうに微笑んで、俺の隣にやって来た。しかしその笑みが、不意に影を帯びる。


「どうしたの?」

「……えっと、貴方……アキちゃん? よね……?」

「そうだけど……」

「そ、そうよね。何か前と雰囲気が違うから、勘違いしちゃったかと思って……ご免ね? そりゃ、あれから何年も経ってるもの、色々変わってて当り前よね」


 アミカちゃんはそう言って、次は練習場の方に眼をやった。〈ラプティック・ブレイヴ〉は一対の大剣とブーメランを装備したスラッシュブースターに換装し、〈パープル・ペイン〉に接近戦を仕掛けている。近接武器であると言ってもダブルエッジソードは間合いが長く、素手での攻撃が主な手段の〈パープル・ペイン〉では近付く事が難しい。


「ルカさんと、イアンくんね……」

「知り合いなの、二人と?」

「ええ。私もやるから」


 アミカちゃんは、スカートのポケットから、二つのカプセルを取り出した。粒子化したコンバット・テクターを内包したカプセルだ。


「アキちゃんは? あの二人の試合を見てたんなら興味はあるって事よね?」

「……いや、僕は……」


 俺は首を横に振ろうとした。


 俺は、戦うという行為が、模擬的にとは言え人を傷付けるような行為が、恐ろしくてもう出来ない。


 そう思ったのだ。


「でも、そんな僕でも、あの人たちは……」


 友達だと、そう言ってくれる。そう思ってくれる。


 俺はそれだけで充分だ――。


 そう言おうとした俺だったが、世界から音が消えたような感覚に陥り、言葉を止めた。


 俺は周囲を見渡した。すると、音だけではない、全ての時間が停止していた。傍らのアミカちゃんも、紫の装甲も、三原色のアーマーも、全て色と動きを失って、モノクロの世界に閉じ込められていた。


 俺だけが、動いている。

 いや、俺と、僕だけが。


「返してくれ……」


 俺はそんな声を聞いた。何処から聞こえるのか分からない声だった。けれど俺の全身の細胞を響かせるような声だった。


 俺は、俺の影が足元からなくなっているのに気付いた。さっきまで影が伸びていた方向に眼をやる。校庭の方向……金網の向こうに、俺の影が移動して人の形を作り出していた。二次元から三次元に、影は現れた。


 その影は俺の姿を……アキセ=イェツィノの姿を作り出した。影の内側から、俺の顔が現れる。


 中肉中背。

 長い前髪で眼元を隠した、没個性なスタイル。


 いつも鏡で見る俺だったが、俺が一番違和感を抱く俺だった。


「返してくれ……」


 俺とアキセを仕切る金網のフェンスを掴んで、アキセは言った。


「返せ? 何の話だ……」


 俺は言い返した。


「僕を、返してくれ」

「お前を? 俺がお前に、何を返さなくちゃいけないって言うんだ」


 俺の口調が、俺のものになっていた。

 アキセ=イェツィノの口調ではなく、俺自身の……前世の俺の口調になっていた。


「ルカちゃんを……イアンを、イツヴァちゃんを、アミカちゃんを……」

「――」


 アキセは、俺に手を伸ばした。全てのものはモノクロだ。けれど停止している。モノクロのアキセは、停まった世界の中でも動く事が出来ていた。


 アキセの腕が、フェンスをすり抜ける。


「僕を、返してくれ。君は僕じゃない、僕を君は奪ったんだ。僕を、僕の友達を返してくれ」

「違う……俺は俺だ! アキセ=イェツィノだ!」

「アキセは僕だ。僕を、僕を返してくれ……返してくれ!」


 俺は抵抗する間もなく、アキセの両手で頸を挟まれた。アキセは俺の頸を、強い力で絞め上げた。


 頸で血流が止まり、頭に血が行かなくなる。俺はアキセの腕を掴んで引き剥がそうとしたが、出来なかった。こちらが力を込めるに従って、アキセが頸を絞める力も強くなっているようだった。まるで、自分で自分の頸を絞めているようだった。


「君は僕じゃない……僕から、僕を奪ったんだ! 君さえいなければ、僕は、僕は……」


 アキセは凄まじい憎悪の表情で、俺の頸に指を突き立てた。指先が頸骨の横に喰い込んで来る。こりこりと、頸動脈を掻き回されているような気がしていた。


「僕を返せ……」


 俺はアキセの殺意に怯えて、何も出来なくなってしまった。抵抗をやめるも、奴は俺の頸を絞め続ける。このまま窒息するか、それとも頸動脈を引き千切られるか、又は頸の骨を折られてしまうかもしれなかった。


 俺は口から泡を吹き、眼を白黒させていた。視界が歪み、狭まり、そして黒い世界に堕ちてゆく。






 ――そこで、俺は眼を覚ました。

 眼の前に白い天井があった。

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