Part2 恐怖

「タクマか、お前……」


 イアンは、指くらいしか動かない腕で、どうにか車椅子を転がして、もう一人の車椅子の人物の方へ近寄って行った。


「イアンくん……?」

「こんにちは、ゴルバッサ先輩……」


 ゴルバッサというのはタクマの姓だ。イアンがその姓に敬称を付けて呼んでいるのだから、彼女はタクマの姉という事だろうか。


 彼女の姿を見たから、顔に至るまで包帯を巻き付けているタクマの事が分かったのだ。


「タクマ、イアンくんよ……」

「……い、あん……?」


 タクマは包帯から露出した唇を、ひくひくと動かした。酷い火傷を負っているようだった。


 シュバランケの所為だ。


〈ククルカン〉に搭載された最強の武器は、翼のようなスラスターに取り付けられた太陽光パネル・フンアフプーで得たエネルギーを、強力なレーザーに変換して撃ち出す。その名もシュバランケ。


 タクマは〈グランド・バスター〉の内部で、シュバランケの放つ熱によって炙られ、全身に火傷を負ってしまったのだ。汗を掻く事も出来ず、折られた右腕を固定する事も出来ないので、常に身体を冷やしていなければいけない。


 彼が乗っている車椅子は、身体を常に冷やした状態で外を出歩けるようになっており、太陽光から身体を守る為に透明なカバーで覆われている。


 タクマは、カバー越しにイアンを見ていたが、その後方に立っていた俺を見ると、いきなり悲鳴を上げて暴れ始めた。


 赤ん坊のように泣き出し、車椅子を横倒しにせんばかりだった。タクマは体格も逞しいので、彼の姉の力では転倒を抑える事は出来ないだろう。


 タクマの姉がコールボタンを押すと、たちまち看護士がやって来て、車椅子を支えながら建物の方へ戻って行った。


 イアンが、俺の方に戻って来る。


「知り合い……なの?」


 タクマの姉の事だ。


「大した仲じゃない。初等部の頃、RCF部のマネージャーだっただけだ……」

「――」

「七期生に上がった頃に、あいつは違う学校に行った。それから何があったか知らないけど、奴はあんな風になっちまって……」


 あんな風にと言うのは、テクストロでの振る舞いの事だろうか。


 殺し合い……


 タクマはテクストロを、そんな風に捉えていた。


 コンバット・テクターはそもそも軍隊で使用されるものであるから、それを装着しているのならば模擬戦と言っても殺し合いに近いものに他ならない。


 実戦性を重視した戦い方には、格闘競技としてのRCF選手から苦情もあるだろうが、将来的に軍人として、ルール無視の戦場に駆り出される事を考えると、否定してしまう事も違うように感じる。


「だけど今回の事で、やっぱりあいつは間違ってたって、俺は思ったよ……」

「イアン?」

「殺し合いなんか誰も見たくないんだ。俺は……俺が渡したテクターの所為だって事は分かってる、お前を責める心算じゃない、悪い奴がいるとすればそれは俺だが……俺はあの戦いを見て、嫌な気分になったよ。一方的に攻め立て、容赦なく相手を破壊する……リアルではあるけど、競技でもエンターテインメントでもない。本当の殺し合いは、あんなに人を嫌な気分にさせるんだってな……」

「――ああ……」


 そうだ。

 俺はもう少しでタクマを殺す所だったのだ。

 だからタクマは、俺を見て発狂したように泣き出したのだ。


 今まで“殺し合い”を標榜しながら、その実は“殺し合い”などしていなかった。


 一方的に殺し合いモドキを仕掛けて、一方的に相手を嬲っていただけで、いざ殺し合いとしての殺意を向けられ、その瞬間に直面してしまえば、恐怖する。


 その結果が、あれだったのだろう。


「へぇー」


 と、沈んだ気分の俺たちに、声を掛ける者があった。

 見ると、背が高く、がっしりとした体格の背広を着た男性だった。

 髭を綺麗に剃り、髪をワックスで整えてはいるが、逞しい肉体から滲み出る野性味のようなものを隠す事が出来ないでいた。


「結構、聡い子たちだな。君らくらいだと、そういう事を分からない人間の方が多いんだ。彼のようにね」

「え……」


 イアンが戸惑ったような顔をした。


「ダイア……ダイア=ギルバート……?」

「誰?」

「莫迦ッ、お前、この人は……五年前にテクストロ全国大会で優勝した、〈ブロッケン〉のダイア=ギルバート選手だよ!」


 イアンは叫ぶようにして言った。

 普段はクールなイアンの焦ったような様子に俺が戸惑っていると、ダイア=ギルバートさんは楽しそうに微笑んだ。


「若しかして、俺のファンかな?」

「は……はいっ!」


 痛てて……と、固定されている顎の事を忘れて大声を出したイアンが顔を顰める。


 ダイアさんはその場で敬礼をすると、


「SPCW第二部隊長、ダイア=ギルバート一等陸佐。よろしく」


 と、改めて名乗った。

 イアンはぴしっと背筋を伸ばそうとするのだが、どうしても出来ない。代わりに……ではないが、俺もいつもよりも背筋を正した。例えイアンがいなくても、同じようにしたと思う。朗らかな笑みの裏側に、緊張感のようなものを、ダイア一佐は纏っていた。


「あの、俺……ダイア選手……いや、一佐に、憧れて、その……」


 イアンが珍しくしどろもどろになっていた。いつだかのシミュレーションでは、この人に勝てるくらいではないと意味がないというような事まで言っていたイアンが、乗り越えるべき対象である筈のダイア一佐の前で、まるで恋する乙女のようになっていた。


「そうか。嬉しいな……」


 ダイア一佐は握手の為に手を差し伸べようとしたが、イアンの手を見てそれをやめ、代わりに頭にぽんと手を乗せた。イアンは感極まって、泣き出しそうになってしまっている。


「君の事は噂にだけど聞いていたよ、〈パープル・ペイン〉……“神速の紫焔”イアン=テクニケルス」

「――ッ、ほ、本当に!?」


 テクストロにはショー的な面もあり、強い選手には適当な二つ名が贈られる。又は、自称する事が多い。


 イアンの場合は、機動力重視の〈パープル・ペイン〉を使いこなしているので、“神速の紫焔”だ。


 ネットニュースの記事にもあったが、〈グランド・バスター〉のタクマ選手には“黄金闘士”。


 後で聞いてみた所、ルカちゃんは“七変化の鷲”を自称し、アミカちゃんには“切断女帝”というニックネームを与えたらしい。


「それだけに、今回は残念だったね……」

「……はい、俺の力不足で……」


 ダイア一佐が苦い顔で言うと、イアンは自分の怪我の事を思い出してしまった。俯いて眼を逸らしたくとも、頸を固定されているから視線を下げるしかない。


「で、でも、今日は、どうして……?」

「あ――済まないが、今日は君に用があったんじゃない。勿論、会ってみたいという思いはあったが、今日は仕事で来たんだ」

「仕事?」

「うん」


 ダイア一佐は頷くと、俺の方に眼を向けた。俺は最初、ダイア一佐が俺に用がある訳がないと周りを見渡したのだが、他にそれらしい人物や場所は見えなかった。


「君だよ、アキセ=イェツィノくん……」

「僕に……!?」

「ああ。この間の試合の事で、聴きたい事があるんだ」

「――」

「あの白いコンバット・テクター……〈ククルカン〉の事だ」

「――」

「立ち話もなんだから、そこら辺に座ろうか」


 ダイア一佐は中庭の東屋を見付けて、俺たちをそこへ誘導した。


 東屋には、テーブルが一つあり、長椅子が挟んでいる。ダイア一佐は自ら下座に座り、俺は上座に腰を下ろす事になった。俺の左手に、イアンの車椅子がある。


「じゃあ、俺は……」


 と言って席を外そうとするイアンに、ダイア一佐は、


「いや、君もいてくれ」


 と、引き止めた。


「それで、〈ククルカン〉についての話っていうのは……?」

「ああ。先ず聞きたいのは、君がどうしてあの〈ククルカン〉を持っているのか、という事だ。〈ククルカン〉は五年前、連盟に反旗を翻した魔術師たちの連合が使用していたコンバット・テクターの一つなんだ」

「え!?」


 イアンが声を上げた。

 そんな事は知らなかったという感じだ。当然、俺だって知らない。


「驚くのも無理はない。あの反乱で使われたコンバット・テクター……特にリーダー格のテクターは世間に公表され、同系列のタイプのアーマーの取り扱いが禁じられた。だから〈ククルカン〉が参戦していたのなら、君たちも知っている筈……」

「――」

「だが〈ククルカン〉だけは別なんだ。〈ククルカン〉はあの時の戦いで最も戦果を挙げた。まさに一騎当千の活躍振りを見せてね。連中に言わせればまさに戦いの天使だろう。……俺も、奴とは戦った事があるが……あれはまさに、悪魔と言うべき相手だったな」


 五年前と言うと、ダイア一佐はテクストロで優勝したばかりの頃だった。つまり学生時代から軍人としての業務を行なって、戦場に赴いていたという事だ。


「その余りの強さの為、世間に〈ククルカン〉の存在が知られ、潜伏している反社会勢力を活性化させる事のないよう、〈ククルカン〉に関する情報には緘口令が敷かれたのだ。それに、我々も総力を挙げて〈ククルカン〉と戦い、これを撃墜した……犠牲は多かったがね」

「だから、親父も知らなかったのか……」


 イアンが思い出すようにして言った。


「それで、〈ククルカン〉を君がどうして手に入れたのかだが……」


 俺は助けを求めるように、イアンに視線を送った。


「俺です。俺が、アキセに渡したんです。欠場した俺に代わってテクストロに出てくれって」

「ふむ」

「〈ククルカン〉は、五年前……多分、その反乱が沈静化する少し前に、うちの工場に持ち込まれたんです。酷い損傷だったので修理してくれと。それがコンバット・テクターに関する法律が改正される前だったので、修理して、持ち主が引き取りに現れるまで保管していたのですが……」

「改正以前から保持していたコンバット・テクターに関しては役所への届けが必要なく、亦、他者から預かっていたアーマーの場合も、改正前と同様に持ち主が不明のまま三年間が経過すれば役所に届けを出さずに所有権が現在の保管者に移る、というものだね」

「はい。修理は改正間もない頃に終わったのですが、それから持ち主が現れなかったので……」

「では、誰が〈ククルカン〉を持ち込んだのかな?」

「名前や住所は、後で確かめてみたら出鱈目でした。……一佐には分かって貰えないかもしれませんが、うちの工場はお客さまとの信頼関係で成り立っていました。ですから、疑って掛かり、相手の身辺をつぶさに調査するような事は、していなかったんです……」

「そうか……」


 ダイア一佐は息を吐き、


「羨ましいな」


 と、呟いた。


「今日日、取引相手の事を完全に信用するのは難しい。例え顔を突き合わせて話してもその内容を信じる事はせず、相手の身辺を入念に調査した上で契約を結ぶ事が基本だ。今時、何処の会社にも斥候と言うか、探偵のような部署が設けられている。これによって損失を回避する事は出来るが、どうにも息苦しくていけない。自由という名前の牢獄に入れられている気分だよ」


 そこまで言うと、ぽかんと口を開けている俺たちを見てはたと気付き、唇に指を当てた。


「今日のこれは、オフレコで頼むよ?」

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