Part6 棄権

「良い試合でしたね……」


 アキセが勝利し、暫く何も出来ないでいた観客たちを扇動するように、初めに拍手を行なったのはハルアキであった。


 ハルアキは満足げに言うと、席を立った。インヘルが椅子からぴょんと飛び降りて、彼に続いた。


「他の試合は良いのか」

「充分でしょう」


 アマクサの問いに、ハルアキは答えた。


「奴らに、また厳しく訊かれるぞ」

「え?」

「何故あれが……〈ククルカン〉が誰とも分からない小僧の手に渡っているのか、だ」


 普段は豪放なアマクサが、神妙な顔をしていた。冷や汗さえ浮かべているのは、彼が〈ククルカン〉と呼んだ白いコンバット・テクターの強さを見たからだろうか。


「んー……ま、良いでしょう」


 ハルアキはそう言うと、帽子を軽く持ち上げて視界を広げ、ステージを見下ろした。


 白かった石畳が、全面、真っ黒く焼けてしまっている。恐るべき火力だった。


「初めてのの起動ですからね、あんなものでしょう。が健在のようで、安心しました……」

「ふん、あれで一〇〇分の一の威力でもないと知ったら、ここにいた連中、どんな顔をするかな」

「一〇〇分の一? シュバランケは文字通り一騎当千の究極兵器……一〇〇〇分の一の間違いでしょう」


 ハルアキとインヘル、アマクサはひっそりと会場を後にした。


 入口の前には救急車両が停まっており、会場からストレッチャーに載せられた金色のコンバット・テクターが運び出されて来た。タクマだ。まだ、〈グランド・バスター〉を脱ぐ事が出来ないでいるらしい。


 ストレッチャーの上のタクマは、装甲越しにもうなされているのが分かった。


 それを眺めながら、ハルアキは言った。


「彼も身を以て知った事でしょう、本当の戦いとは、戦争とは、殺し合いとは何か……」

「良い薬だったって訳だ。こんな所で実戦だの何だの言う事の恥ずかしさがどんなものか学べたろう」

「せんそう……きらい」


 インヘルがぼそりと言った。


「いたいの、いや……たいせつなひと、みんな、しぬ」

「誰もそんなものを見たいが為に、この場所に来るのではありませんからね。飽くまでエンターテインメントは、爽快感がなくてはいけません。彼の戦い方も、純粋な兵器である〈ククルカン〉も、ここでは必要のないものなのですよ……」


 ハルアキは小さく笑った。


 アマクサは、その様子を不気味に思いながらも、彼と共にその場を去る事にした。






 ステージは迅速に修理が行なわれたが、流石に一ヶ所が陥没したというレベルではなかったので、かなりの時間を有する事になった。


 三回戦の開始は少し遅れる事になるだろう。


 けれど俺がイアンの病院を訪れたのは、時間が余ったからではない。


「――そうか……」


 俺は傾き始めた陽の射す病室で、イアンのベッドの横でパイプ椅子に腰掛け、イアンに言った。イアンは俺の言葉を聞き終えて、溜め息を漏らすように言ったのだ。


「僕は……三回戦には、出ない」

「――」

「ごめん、イアン……君の期待を、僕に託してくれた思いを、裏切るような事になってしまって……」

「気にするな。却って悪かったな、お前にあんなものを与えてしまって……」


 イアンはどうにか、腕と指一本だけを動かせるようにはなっていた。その腕で、ベッドの横のリモコンを操作し、正面のモニターを起動させられる。そうして、中継されていたテクストロを観ていたのだ。


「リュウゼツラン……」


 イアンが呟いた。


「確か、そんなシステムだったな……」

「うん……」

「俺が言った意味、分かったか? 俺やルカちゃんじゃ、あれが使えないと言った意味が……」

「身に染みたよ……」


 リュウゼツラン――


 あの白いコンバット・テクター……〈ククルカン〉に搭載されたシステムで、あのテクターの本当の機能だ。


〈ククルカン〉の真価は、高度なセンサーでも、高い機動力でも、双剣でも、太陽エネルギーを変換して撃ち出す胸部のレーザー砲でもない。


 時間の経過や装着者のステータスの変化によって発動し、内分泌系に働き掛けて、戦意を高揚させ、痛覚を遮断したりして、装着者を戦う為のマシンへと変えてしまうシステムだ。


 その名前が、リュウゼツランというらしい。


 タクマとの戦いの途中で、俺の動きが急激にスムーズになり、〈グランド・バスター〉を圧倒出来たのは、そのシステムによる所が大きい。彼の腕を文字通り破壊したのも、リュウゼツランによって破壊衝動が高められ、罪悪感を薄れさせられていたからだ。


 リュウゼツランが発動すると、人間的な理性が弱まり、生物としての闘争本能が湧き上がって来る。そして〈ククルカン〉に搭載されていたコンピュータが装着者の昂りを理解して、自分の機能をフルに使用する事を推奨するのだ。


 痛覚が途切れているから、どんな無茶だって出来る。感覚が研ぎ澄まされているから、元来の身体能力の限界を気にせず、あらゆる挙動が可能だ。


 今の俺は、全身ぼろぼろだった。身体中が悲鳴を上げている。ここに来るのだって、かなり体力が必要だった。イアンの前に現れた俺は、全身に汗して、今にも倒れんばかりだったのだ。


 今すぐにベッドに倒れ込みたい衝動を堪えて、俺がイアンの所にやって来たのは、三回戦を辞退するという事を伝える為だった。


 俺はもう……


「僕はもう、あのコンバット・テクターを使いたくない……」

「――」

「怖いよ……怖いんだ。あれは、僕を僕じゃないものにする……」

「ああ……」


 イアンは俺の方を見なかった。頸を固定されているからだ。俺もイアンの方を見られなかった。


「けれどお前は、充分、〈ククルカン〉を抑え付けていたと思う」

「――」

「俺やルカちゃんは、試合に臨む時、練習であっても、真剣にやる。装甲の中で戦意を高揚させ、あらゆるパターンを想定し、自分と敵の動きを考え、戦略を練る。全ては相手を倒す為だ。自分が勝つ為に作戦を考える。……でも、それ以上に大切な事がある」

「――」

「戦う意志だ。強い闘争心……そいつがあれば、作戦が考えた通りに行かなくとも、相手が強くとも、気にせずに戦う事が出来る。〈ククルカン〉はその気持ちを何倍にも膨れ上がらせて、殺意にまで昇華してしまう。……実はな、一度、俺は〈ククルカン〉を使ってみた事があった」

「え?」

「俺は見境なく暴れた……そしてそれが、楽しくて仕方なかった。眼に映る全てを粉々にぶち壊してやりたいという欲求が、腹の底から湧き上がって来るんだ。拳を振るい、蹴りを繰り出し、剣を握る……そして全てを粉砕する事に悦びを感じるようになった。そして俺は、親父を……俺を止めようとした親父を」

「まさか……」

「――」


 イアンは言葉を止めた。


 そして自分を落ち着かせるように何度か深呼吸を繰り返すと、また、話し始めた。


「憶えてるか、初めてお前と会った時の事を」

「うん……」


 転入して間もない頃の事だった。


 あの魔術師から、自分が前世の記憶を引き継いでいるかもしれないと言われた、その翌日。


 俺はクラスに馴染めず、RCFの授業でもぱっとしなかったので、チンピラ染みた同級生に呼び出され、初日から暴行を受ける事になった。


 曰く、なよなよとしたその態度が気に喰わない、という理由だった。


 俺は理不尽な暴力の前に身を縮めるしかなかった。自分の前世が大罪人だった事を知って、今の自分も亦、彼のように残虐な最期へ向かう為の人生を歩まねばならないと思っていたからだ。


 それを助けてくれたのがイアンとルカちゃんだった。


「あの時、お前、言ったよな……」

「――」

「何で戦わないんだ、どうして立ち向かわないんだ? そう言った俺に、お前は、力を振るう事が怖いと言った。自分が傷付くのは良いが、人を傷付けたくない。お前は知ってたんだな、あの状況から逃げるには、相手を自分以上に傷付けなくちゃいけない事を……」

「――」

「攻撃は最大の防御……この間の本にも書いてあったよ。『敗けない為には油断してはいけない。どんな状況からでも、逆転をされる可能性を忘れ、恐怖を感じないようではいけない。相手が倒れ伏すまで攻撃をやめてはいけない。無論、試合のルールや人間としての倫理観が許す限りの範囲で』ってさ」

「――」

「お前は弱い。でも弱いから、傷付けられる痛みを知っている。戦いが嫌いな優しいお前なら、闘争と破壊に心を傾けさせるリュウゼツランと、丁度、釣り合うと思ったのさ……」

「……期待に応えられなくて、ごめん……」


 俺は深く項垂れた。


 成程、確かに、人から見ればそうだろう。

 心の弱い俺と、戦いを楽しむ心を与えるテクター。

 ベストマッチだ。


 けれどそれは、俺が単なる気弱な人間だった場合だ。


 俺の本性は、誰かを傷付けたくてしょうがない人間なのだ。前世の魂をそのまま引き継いでしまった男なのだ。


 俺は傷付けたら傷付けられると悪夢から学び、その恐怖を知っているから、誰も傷付けられないでいたに過ぎない。その恐怖心が、俺に反撃さえも許さなかった。


 でもリュウゼツランの力で、その恐怖心が取り除かれてしまったなら――


 俺は恐らく、イアンが、彼の父を手に掛けようとしてしまった時以上に、戦闘兵器になってしまっていただろう。実際、〈グランド・バスター〉に対しては、そのように振る舞っていた。


「イアン……ごめん」


 俺は何度も謝った。


「ごめんよ……イアン……」


 君の夢を継げず、君の期待に応えられず――

 俺は、何も出来ないままだった。

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